「日本銀行の個人取引」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「日本銀行の個人取引」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

日本銀行の個人取引

日本銀行は今度營業法を改正して個人取引を開始すると共に去る二十三年中一時金融の逼

促を救濟するが爲めに設けたる擔保制度を廢止し且つ金融社會に及ぼす急劇の變動を避け

んが爲め特に保證品の區域を擴張したり世間の評判は甚だ高しと雖も我輩の所見を以てす

れば個人取引開始の如き實際金融市塲に及ぼす影響は案外に些少なる可きを信ずるものな

り抑も日本銀行が創業以來公然個人取引を行ひたることなく貸付を爲すに當ても公債證書

政府發行の手形其他政府の保證に係る有價證券を擔保として獨り銀行に對してのみ貸付け

たる其理由を尋るに日本銀行は恰も銀行の銀行にして金融社會の中央に居り末流小銀行の

營業を保護せんが爲めに故さらに個人取引を差控へて間接に彼等の商賣に餘地を與へたる

ことなれども斯くては各銀行の便利なると同時に一個人に取りては甚だ不便利にして中央

銀行が低利にて各銀行に貸付くるを目撃しながら其低利なる金を銀行より借用するには高

利を拂はざるを得ず日本銀行の利子と市中各銀行の利子と比較すれば往々七八厘の差を見

ることさへあり商賣社會一般の不愉快とする所にして個人取引の開始を必要とするの説は

斯る金利の不平均を消滅せしめんとの考に出でたるものにして今回日本銀行の貸付法改革

も自から此邊に見る所ありしが故ならんと雖も又一方より考ふれば從前の貸付法は多年持

續して既に己に慣行の姿を成したることなれば一朝にして舊慣を解き銀行と個人と其別を

問はずして無制限に貸出しと宣言したらんには事業の膨脹に隨て資本の需要に際限なく流

石に中央銀行の資力を以てするも之に應ずるを得ざるのみか個人直に中央に近づくの道を

開て其利子低しとあれば今の小銀行中にて基礎薄弱なるものは最早や營業を繼續する能は

ずして樣々の病症を發し遂には金融市塲全般に非常の變動を見るに至る可し金利をして平

準に歸せしむるは必要なりとするも此の如き急劇の變動は樣々に工風して之を避るこそ理

財の大事なれ左れば今日の實際に徴して個人貸付を開始するの方法を求むれば今回日本銀

行の貸付法に個人取引の利子と銀行取引の利子との間に相應の差別を設けて小銀行と競爭

するの弊を避けながら個人貸付の端を開きたるは穩當の處置にして巧なりと云ふ可し此の

如くすれば直接に金利に影響を及ぼすことは少なくして一方には兎に角に個人貸付の門を

開きたるが爲めに末流の銀行が申合せて不當に金利を高うるなど專橫の奇略を施すに餘地

なかる可し世間或は個人貸付の利子をも銀行貸同樣にせんとの説あるよし自から道理ある

が如くなれども經濟社會全般の平穩の爲め我輩は今日直に之に賛成するを得ざるものなり