「平成思想史とはどのようなものか?-『概説日本思想史』改訂にあたって」

last updated: 2019-03-11

このテキストについて

平山氏の依頼により、2019年3月9日に国際基督教大学で開催された西洋思想受容研究会での発表 「平成思想史とはどのようなものか?-『概説日本思想史』改訂にあたって」 の音声と資料を公開します。

本文

西洋思想受容研究会

2019年03月09日・於 国際基督教大学

平成思想史とはどのようなものか?-『概説日本思想史』改訂にあたって

静岡県立大学 平山 洋

① 『概説日本思想史』とは

→2005年4月にミネルヴァ書房より刊行された日本思想史の通史。大学で教科書として使用されることを想定。2016年初版第8刷。刊行後10年を経過したため改訂版の企画が持ち上がる。

ウラ話:ミネルヴァ書房は京都山科にある学術出版社で、東北大学日本思想史学講座とは関係は薄かった。その関係の始まりは発表者(平山)が東北大学に提出した博士論文『西田「前期」哲学の研究』の出版を同社に依頼した1996年にさかのぼる。同社は一面識もない発表者の持ち込み原稿の出版を快諾されたうえ、出身講座に大学用教科書として使用可能な『概説日本思想史』の編纂を持ち掛けたのである。発表者の博士論文は、1997年4月に『西田哲学の再構築』として刊行されたが、『概説』については思いのほか準備に手間取り、2001年10月に編集代表として佐藤弘夫東北大学教授を立てることにより本格的に作業が開始された。

② 本書刊行まで日本思想史の通史は(一応)なかった

→皇国史観の苦い記憶

ウラ話:皇国史観とは第2次世界大戦前の日本の歴史観全般を意味するのではなく、東大国史学教授平泉澄が主として1935年以降に唱えた、天皇の意向(叡慮)を中心として日本史全般を記述する方法論のことをいう。マルクス主義の歴史学に対抗するものとして相当程度図式的目的論的に構成されている。皇国史観以前のたとえば水戸学の歴史観は皇国史観とはいわない(あえていえば御国史観)。違いは目的論的であるか否か。皇国史観は平泉がドイツ留学中に体得したヘーゲルの歴史哲学に由来していて、叡慮をGeistと見なしている。ヘーゲル右派の歴史観に近く、その意味ではナチズムなどとも親和的である。1938年、東大国史学科に新設された日本思想史講座で平泉はその立場に基づいての講義を行った。平泉は終戦までに通史を書かなかったので、皇国史観に基づく通史はなかったともいえるが、ことはそう単純ではない。戦後に刊行された『物語日本史』(原型『少年日本史』1970年)は皇国史観に基づく通史ともいえるからである。

➂ 現行版『概説日本思想史』の問題点

→多数の執筆者による分担制に起因する不統一

ウラ話:執筆編集作業は2002年から始まった。最初に佐藤代表が全般にわたる梗概を作成し、担当者はその梗概に従って、指示された枠組みを超えないように執筆した。梗概を支える歴史観は明確ではないものの、戦後歴史教育の要点を押さえた立場ではあった。ただ、梗概に向けての取り組み方は様々で、依頼からかなりずれた原稿を提出した担当者もいた。

④ 改訂版『概説日本思想史』はいかにあるべきか

→最小の修正で、最大の効果を

ウラ話:2005年に完成した現行版は評判も上々で、順調に売り上げを伸ばしたが、20世紀末を記述の最後としていることからいささか古くなったこともあり、改訂が望まれることになった。企画の最初からの関係者で、『西田哲学の再構築』(1997年)・『福沢諭吉』(2008年)・『アジア独立論者福沢諭吉』(2012年)の3冊を同社から刊行している発表者に改訂の基本案を練るよう依頼があった。2015年12月27日に改訂案を同社に送付した。その骨子は以下➊❷の通り。

❶ 現行版の問題点と解決策

  • 問題点1:内容はかなりよいが、現在の大学生には難しすぎる 。
  • 解決策1:用語ごとに簡単な用語説明を加える。
  • 問題点2:古代・中世・近世・近代、それぞれの時代の定義がない。
  • 解決策2:各概説の最初に説明を加える。
  • 問題点3:各章のつながりがなめらかでない(とくに近世の前半)。
  • 解決策3:前章末と次章始に小修正を加える。
  • 問題点4:記述が20世紀末までなので、直近20年間の思想動向が分からない。
  • 解決策4:「第26章 21世紀初頭の思想状況」の増補が必要。

❷ 大規模改訂か小規模改訂か

物故者担当分について修正せずということから、バランス上も他の執筆者分についても大幅修正はしないほうがよい。各章とも力作揃いと言ってよく、難しい用語の使用や、執筆者相互の連絡不足による内容の重複を整理すれば、今後の使用にも十分耐えられる。第26章と参考文献の増補はするとして、各章は頁越えの増補を行わない方針をたてるべき(執筆担当者には増やしたら同じだけ削るようにお願いする)。

⑤ 平成思想史という問題

→天皇の代替わりと改訂が重なったのがそもそもの発端

ウラ話:2015年12月の改訂案では、21世紀の最初の20年分を扱う「21世紀初頭の思想状況」を第26章として増補する計画だった。ところが2016年8月に皇位継承の問題が持ち上がり、2019年5月に新天皇が即位することと決まって、1989年1月から2019年4月までの丸30年間が、1926年12月から1988年12月までの「昭和時代」に引き続く「平成時代」と呼ばれることが確定した。現行版では第23章「民族という幻想」(昭和戦前期)・第24章「戦後民主主義」(1945年から70年まで)・第25章「国民と市民の相克」(1971年から1988年までが中心)と昭和天皇の治世という観念の影響下にあるため、それに引き続く時代についてやはり一つのまとまりとして考える必要がでてきた。

⑥ 平成思想史はあり得るのか

→近現代日本においては天皇の治世と思想潮流はリンクしている(とされている)→平成思想史の可能性について論じる前に、明治・大正・昭和の思想史について概説する

明治思想史:

明治体制の二つの構成要素(王政復古派と西洋近代派)のせめぎあいについて記述。最終的には西洋近代派が勝利する。

大正思想史:

西洋近代派の分派である穏健政党政治派と急進人民派の抗争として記述。穏健政党政治派がとりあえず勝利する。

昭和思想史:

(戦前戦中期)不景気に対応できない穏健政党政治派が退潮すると同時に急進人民 派内の抗争として記述。左派は弾圧され、右派が勝利する。

(戦後高度成長期1970年まで)敗戦により急進人民派右派が退潮し、復権した穏健政党政治派と急進人民派左派の抗争として記述。マスコミや言論界(知識人)は左派で占められていたにもかかわらず、選挙では穏健政党政治派が勝利する。

(戦後安定期1988年まで)総選挙で左派が最大議席を獲得したのは1972年(昭和47年)でドルショック(1971年)とオイルショック(1973年)以後は安定成長期に。思想界でも左派はじりじりと後退して、穏健政党政治派の右派(ほぼ自民党支持層)が支持を伸ばす。ソ連東欧圏の体制崩壊と平成時代の幕開けが重なる。

⑦ 平成思想史の見取り図

→大正時代(第1次世界大戦勃発)、昭和時代(世界大恐慌突入)と同様に、平成時代の開始もソ連東欧圏の体制崩壊という全世界的な変動と時期を同じくしている→平成時代の終焉が何かの大変動と同時となるかは今のところ分からない→とはいえ最後が確定したのでそれまでの30年の日本思想の流れを平成思想史として記述する→その方法としては、取り上げる著作の客観性を保つために月刊『みすず』の「読書アンケート」を用いる。

平成思想史:

(前期1989年から2000年まで)国内での天皇の代替わりとバブル景気の崩壊、世界的規模でのソ連東欧圏の体制崩壊が重なる。改元時の内閣は竹下登内閣で、衆院での自民議席数は約6割と戦後55年体制は安泰に見えた。ところが自民党分裂により1993年には政権与党を追われることになる。景気は一貫して後退傾向で、日経平均株価は1989年12月29日に38915円の最高値を付けた後、1993年8月9日の細川非自民非共産連立政権成立時には20493円にまで下落していた。翌94年6月30日、自民党は社会党と連立して村山内閣を発足させたが、政権は安定しなかった。

このような状況は思想界にも影響を与えた。昭和時代の末期を象徴する著作として盛田昭夫の『メイド・イン・ジャパン』(1987年)という本があった。それはソニーの経営者が市場開拓の苦労を綴った作品だったが、平成時代に入ってからはそうした著作は影を潜めた。中野孝次の『清貧の思想』(1992年)は、虚飾を捨て、安らかな心を重んじ、身の丈に合った清楚な生活を旨とする、という内容で、時代の変化を感じさせた。他に1989年から1994年までに刊行された書籍でその時代をよく顕しているのは、丸山眞男らによる『南原繁回顧録』(1989年)、川勝平太の『日本文明と近代西洋』(1991年)、丸山眞男の『忠誠と反逆』(1992年)、松沢弘陽の『近代日本の形成と西洋経験』(1993年)、会田雄次の『山本七平と日本人』(1993年)、立花隆の『巨悪vs言論』(1993年)などである。

1995年1月には阪神淡路大震災が、そして3月にオウム真理教による大規模テロ事件が発生した。この時の内閣は村山自民社会連立内閣だったが、間もなく自民単独政権である橋本龍太郎内閣に交代した。橋本内閣の主題たる官僚制度の改革(橋本行革)が打ち壊そうとしていた制度の成立について書かれた本が野口悠紀雄の『1940年体制』(1995年)である。日本の国家システムは太平洋戦争遂行のための制度が温存されたもので、それは戦後の高度成長を達成するために極めて有効だったとする本書は、その後の思想書にも影響を与えた。また、一宗教団体が引き起こした一連のテロが及ぼした影響も大きく、とりわけ大澤真幸の『虚構の時代の果て』(1996年)が事件を引き起こした信者たちの内面に迫る著作として、また山折哲雄の『近代日本人の宗教意識』(1996年)が、日本人の宗教意識の分析の書として特筆される。

思想の流れとしての同時的思想史は以上のようなものであったが、それとは区別される過去の思想の研究の書もまた多く発表されている。重要な書籍を挙げるならば、橋川文三の『昭和ナショナリズムの諸相』(1994年)、藤田省三の『全体主義の時代経験』(1995年)、苅部直の『光の領国』(1995年)、小熊英二の『単一民族神話の起源』(1995年)、同『<日本人>の境界』(1998年)、伊藤彌彦の『維新と人心』(1999年)などである。

時期は前後するが、1997年11月の山一証券の廃業を境に、日本の景気は奈落の底に転落していく。雇用環境の悪化もまた目を覆うばかりで、大学卒業生の就職難が問題化した。橋本内閣が参院選敗北を理由として98年7月小渕恵三内閣へと交代した。その小渕も2000年4月に急死し、森喜朗内閣が成立した。経済低迷期の頻繁な首相交代である。金子勝の『反経済学』(1999年)と『反グローバリズム』(1999年)、金子勝と神野直彦による『財政崩壊を食い止める』(2000年)といった、時の経済政策を批判する書物が刊行された。とりわけ『反グローバリズム』は深刻な雇用情勢下におけるセフティ・ネットの不在を批判している。また、斎藤貴男の『機会不平等』(2000年)は、社会階級の継承性が団塊の世代以降強化されつつあることをあぶりだしている。一億総中流というモットーは1980年代の日本の平等性を示すいわば合言葉であったが、それからわずか15年でその幻想は崩れ去ったのである。

(中期2001年から2010年まで)21世紀は平穏のうちに始まった。2001年1月、米国ではジョージ・ブッシュ・ジュニア大統領が就任して9年ぶりに共和党が政権を奪還した。4月、日本では自民党総裁選挙に勝利した小泉純一郎が首相となった。ところが世界情勢は9月11日の米国同時多発テロにより一変してしまったのである。

同時多発テロの影響が日本の思想界に及ぶのはもう少し先のことで、その時点での中心的な課題は加藤典洋の『敗戦後論』(1997年)に始まる戦後日本の精神構造をいかに総括するかについての問題提起にあった。そこで中心となっているのは、旧護憲派が300万の日本人の死者をないがしろにしている一方で、旧改憲派は2000万人のアジアの死者をないがしろにしている、とする両者の立場の違いである。ここで作者である加藤は先ずは自国の死者への哀悼を先にして、そのことによって現在生きている日本人による他国の死者への謝罪の位置に立たせるべきだという。この加藤の主張に対し、高橋哲哉を中心とする旧護憲派から大きな反発があった。高橋の『戦後責任論』(1999年)、『靖国問題』(2005年)がその中心的な著作で、彼は他国の死者への謝罪を先にするべきだと唱えた。

2001年の同時多発テロをきっかけとしてにわかに高まったのが、ナショナリズムへの関心であった。小泉首相が自らの靖国神社参拝を自民党総裁選挙時の公約としたこと、またテロ支援国家とされたイラクへの自衛隊派遣がそのきっかけとなった。姜尚中の『ナショナリズム』(2001年)がその嚆矢といえるが、在日韓国人である著者は日本人のナショナリズムへの傾斜を戦前につながる危険な兆候とみなしている。一方小熊英二の『<民主>と<愛国>』(2002年)は、太平洋戦争に敗れた日本人が、戦後いかに振舞い思想したかを占領期から70年代の「ベ平連」までたどった、いわば歴史考証学の書である。戦争体験・戦死者の記憶の生ま生ましい時代から、日本人が「民主主義」「平和」「民族」「国家」などの概念をめぐってどのように思想し行動してきたか、そのねじれと変動の過程が描かれている。そこで明らかとなっているのは、当初は何ら矛盾するとは考えられていなかった両概念が、時代を経るにしたがって愛国(ナショナリズム)が右派(旧改憲派)の占有概念とされていくことである。左派(旧護憲派)はやがてナショナリズムを唱えなくなり、それにかわって世界市民概念を前面に押し出すのである。

なおこの時期の思想史研究としては、ほかにジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』(2001年)、山室信一の『思想課題としてのアジア』(2001年)、ケネス・ルオクの『国民の天皇』(2003年)などが注目される。

(後期2011年から2019年まで)2011年3月11日の東日本大震災と、その後の津波・原子力災害は、世界観を一変させるほどの衝撃を人々の心に与えた。山本義隆の『福島の原発事故をめぐって』(2011年)など。また、ナショナリズムを肯定する立場からの百田尚樹の『日本国紀』(2018年)が評判となっている。(以下勉強中)

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