「『福沢諭吉朝鮮・中国・台湾論集』の逐条的註」 その5
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1・8「第二章 朝鮮・中国論 エ、旅順虐殺」に関して
(11)249頁10行目「旅順の虐殺無稽の流言(註)」(1894年12月14日掲載)
「事実はすなわち事実」(社説本文からの引用・平山註)こう記す福沢が、いかに事実に即そうとしなかったかは明らかである。事実を確認しようとする姿勢さえ、ここでは見せていない。事実は論理や理念からは、ましてや妄信からは出てこないのであって、事実に即して検証されなければならない。福沢自身が、以前はこう書いていたのだが。「およそ新聞の記事・論説は、真理と事実とを重んずるものなり。……いやしくも社会の耳目をもって自ら任ずる者は、一歩また一歩、次第に真理を求めて事実に近づくの工夫こそ肝要なれ。……その時〔無根の馬脚を露わす時〕にいたりて世間にとがめられ、はじめて自ら前言の非を悟るがごときは、慙死〔恥じて死ぬ〕に堪えざる次第なるべし」(「新聞記者に告ぐ」94年3月⑭329)。だがこの言論人としての原則さえ、福沢の状況依存的な思考法によって、もしくはその権謀術数によって、いとも簡単に破られるのである。
上条の註
「旅順の虐殺無稽の流言」の執筆者は石河幹明である
本社説の執筆者は石河幹明である。そのことは『福沢諭吉伝』第3巻754頁に、「著者(石河)をして左の一文を草して「時事新報」に掲載せしめられた」とあることから明らかである。伝記に全文引用されているその内容は、日清戦争時に、日本軍が旅順で虐殺を行ったのは外国報道機関によるまったくのでっち上げだ、というもので、私も『福沢諭吉の真実』(131~132頁)で、その内容の不当性について指摘している。
本社説に付けられた杉田の註では、すべて福沢に関する事実として記述されているのであるが、それらが福沢ではなく石河のこととするなら、私も全面的に賛同する。杉田は本社説について、私が石河の独断で掲載されたとする見解に激しく反発している。私がなぜそのような推測をした理由については、杉田による解説で再び本社説が扱われる(18)で明らかにしたい。