「露國東洋の兵傭を論ず」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「露國東洋の兵傭を論ず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

露國東洋の兵傭を論ず

露は世界の強國なり彼得大帝の遺訓を守て先王の峭烈に〓〓〓〓の士を〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓稱〓是を〓〓も〓し〓〓〓〓と北上〓三分〓〓〓〓土耳古〓〓〓〓て之を黒湖の涯に敗り地を割て以て乃ち調はしむ歐洲の事旣に定りて本意を東方一獲にせんとし費用を吝とす是勞を購うを千万の兵を徴て十千の艦を率て以て武〓亜細亜の東岸に臨す其意儘く海軍を擴張して自ら東洋第一の海軍國たらんと欲するに在るや明なり世人は露政府の斯の如く日に〓倫の一方に汲々たるも是を曰く露は近來攻伐を以て事とし兵を城外萬里の地に出して民力を疲弊す内に虚無黨の謀略ありて先帝亦これが〓手に〓す實に國家〓發の秋と云ふへき所して此内國の〓を識らすして浸に取りて東洋に養ふ誠に得策と云ふ可らあるなりと此言や或は一理なきにあらさるも未た露の風土を詳にせさる者の論のみ何となれば露は究變の北に位し氷海の用に顧するの國にして其人民は藁藉の間に起居し巌寒峭烈に苦しむ者なり又獨り巌寒峭烈に苦しむのみにあらす藁藉愃ならさる露帝の壓制に苦しみ常に自由の天地に棲息せんことを熱望する者なり唯た其れ然り故に父祖代々を去り墳墓の地を棄て太平洋上温暖の土を求め以て平常の志を爲さんと欲するは固より其至情と云ふへし古昔亜剌比亜の土族は法主マホメットと其後裔とを奉じて熱帯沙漠の地を出て地中海の北岸沃野千里の國に浸入す是れ所謂幽谷を出てゝ喬木に移るの勢にして其情渇者の飲を求むるより甚しき者あり嗚呼其裔、兵を歐洲に出すの日に當り洪水の堤を決して東流するの勢を以て一世を風靡し殆んと歐洲の大半を呑併せんとするも亦た決して偶然にあらざるなり今其れ窃に露人東下の情状を竊するに亦た甚だ之に類するものあるを以て其内國を疲弊して東洋に歓心し虎視眈々として温暖富饒の樂土を慕ひ以て其慾を逿ふせんと欲するも亦た決して惟むに足らさるなり

露人旣に東下の志あり浦潮斯徳港を卜して海軍の本營となし其太平洋上の水兵を都督せしめ以て東洋諸邦を統ふの便に備へ年に月に兵器糧食を貯蓄して漸く強大の勢をなして頃日聞く所にあるを露政府は各種の水雷火を製造するに足るへき宏大なる水雷火薬造廠を浦潮斯徳港に設置せんとし其建設も旣に竣工を告ぐ又た六千〓の兵器を外國より購求するを許可しクロメスタント港造艦局をして明春に新造す可く諸艦の雛形を用意せしめたり之に加ふるに太平洋艦隊を統轄すべき艀哨場を浦潮斯徳港に逼撲せんか爲に八万六千上るとな〓〓〓〓〓〓東漸せりと云ふ

今露政府は如此海軍を〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓