「陸軍食費改正(廿五號の續)」
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時事新報に掲載された「陸軍食費改正(廿五號の續)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
前期の表に據れば我日本人の食物は發熱の品多くして滋養の品少なきを見る可し表中澱粉とは葛粉片栗等の惣名にして糊に用ゆ可き質のものは皆これを澱粉質の物と云ふ就中本邦人の常食として然かも上等の食物に位する者の中には此澱粉質を含有すること凡そ百分中の七八十分にして其澱粉の中には滋養分一と發熱分四十の割合なれば米は以て人類最上の食物たらざること明なり此外吾人の常に食する裸麥の類、芋の類、大根野菜の類も滋養分は甚だ多からず穀物の中にても大豆小麥の如きは最も上等なれとも之を牛肉鶏肉に比すれば其形量の大小輕重を異にするか故に肉類の功力に及ひ難し、之を酒に譬れば肉類は猶燒酎の如く穀類野菜類は猶濁酒の極めて淡きものゝ如くにして功用相似たりと雖とも力の強弱相去ること遠し菜類を食て滋養の功なきに非されとも容量限あるの胃中に納るも滋養未た足らすして胃先つ滿ち之を如何ともす可らず一塊の肉以て數斤の芋に直るは一杯の燒酎以て醉を取るの理に異ならさるなり
又米と小麥と之を常食に用ひて大なる差違を覺へず殊に我國にて米は上等の食物にして之を食へば体力を生すること欺く可らず下等の農家にて平生粗食する者が秋収の〓節一箇月も米の飯を十分に食へば著しく力を生すと云ふ左れば論より証據にして米食を賛成す可きが如くなれとも其實は然らず米の質中には唯發熱分の多きのみにして滋養分は小麥に及はざること遠し故に米を食て生するの力は一時の力にして猶彼汽鑑に薪料を與へて一時に蒸氣を發するに異ならず其汽鑑を補繕するが如く人体の骨肉を補繕滋養するの功力は小麥に多しと云はさるを得ず或は米の功力は急にして實質に益すこと少なく小麥の功力は緩慢にして實を益すると云ふも可ならん酒客が酒を飲て一時力を發するも其實質の力に非さるや明なり米と酒と其働に強弱緩急の別こそあれ其發熱の性質は稍や相似たるものなり
陸軍省にて兵士の常食は固より精米なり今之を小麥の麭包に代へんとするも容易に行はる可きに非す殊に前節に記したる如く人の食物は多年の習慣に由て旨否の感を異にするのみならず之に慣れざる物は之を嫌ふて事實滋養の功を奏せさるの例も少なかされば若しも小麥を用ひんとならば極めて之を徐々にして兵士の情感を傷はざること緊要なる可し特り肉類魚類を用るの一事に〓ては口を放て之を奨勵せさるを得ず我兵士の賄は一日精米六合に菜代六錢なりと云ふ然も此六錢は十年前六錢六厘なりしを減したる者にして之に加るに兩三年は紙幣下落物價騰貴、十年前に比較すれば凡五六割の差違を生し又これに加るに陸軍省中の取締も次第に整頓して會計に洩るゝもの少なく例へば冷飯賣拂の錢又は〓除代等誠に鄙陋なる話なれとも自から兵士一般無名の餘澤なりしものも近來は其始末を改めたりと聞けば一般に滋養の量を減したるや明なり然るに今日議を發して食費揄チの事あらんとす誠に至當の議にして〓〓の美事と云はさるを得ず今參考の爲に英國海軍の賄規則を示すこと左の如し此規則は同國「リウス氏が通俗生理と題する書中に掲けたるものなり
英國海軍規則
毎一人に食料を給するの分量左の如くす可し
麭包 一ポント(百二十匁)
麥酒 一ガルロン(二升五合強)
コヒー(茶の類) 一オンス(八匁)
砂糖 一オンス半
鮮肉 一ポント
野菜 半ポント
茶 四分の一オンス
鮮肉野菜なきときは其代りとして左の品を給す
鹽藏牛肉 四分の三ポント
小麥粉 同量
又或は
鹽藏豕肉 四分の三ポント
豌豆 半パイント(三合二夕)
又鮮肉を給するも鹽藏肉を給するも毎週別に燕麥半ピント酢同量を給す
英國陸軍の食料
英國陸軍尋常の兵士には毎一日左の食料を給す
麭包 一ポント
肉 四分の三ポント
右の品は市上の相塲に拘はらず其價として毎日兵士より六「ペンス」を拂はしめ其他の飲食の品は自辨たる可し(何れも給料の金を以て拂ふことならん)
右の表を見れば英國海陸軍人の食料には滋養分の多きこと明に知る可し之を我軍人の精米六合菜代六錢はものに比すれば大なる差違あることならん又英國にては一切の食料を品物にて渡すの法にして其軍隊が寒地に在るも暖地に在るも同樣なるが爲に不都合なりとの論〓もある由に聞く、我國にては菜代を金額に定めて国内の各地方に屯衛する事なれば其地方運輸の便〓便に從て自ら食料の良否、代價の高下もあらん〓も〓〓すること緊要にして是等の細目に就ても必ず當局者の考〓を煩はすことならんと雖も爰に一大問題は斯く兵士の衣食を改良するに從て斯く費目を揄チし其結局は年々の定額不足の一假に到着す可しとの疑もあれとも凡そ国事に緩急の別ある可きは固より〓〓〓〓〓〓しを急なり其れ〓不〓なりと次第に計へて海陸軍の事に〓り如何なる説を作るも之を不急の部分に算入することは能はさる可し内外無事の日には軍備誠に無用にして全く之を廢するも可ならんと雖とも誰れかよく其無事を保証するや我輩は一日も其証人たるを得さるなり