「立憲帝政黨の組織を論ず」
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時事新報に掲載された「立憲帝政黨の組織を論ず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
立憲帝政黨の組織を論ず
立憲帝政黨の綱領は我輩に之を熟讀して大意の所在を知る其黨の人が政治に關して今後履行す可き針路を明にして之を天下に約束したるものなれば必ず其約束の如くなる可しと信するのみ殊に其組織は在野の諸士と政府の内閣即ち大臣參議と共に團結したるものにして實際に於て今日の内閣は立憲帝政黨の内閣なり立憲帝政黨は今日の政局に當る者なりと云ふ程に公然たる政黨なれば其本局は何れに在て其黨の首領は何人なるか我輩未た之を聞かずと雖とも都て政黨なるものは必す一名の首領を戴て其指揮に從ひ一黨の主義を一途に出てしむる事要用なれば立憲帝政黨にも既に其首領をば推撰したる歟或は今方に推撰の最中ならん此黨首推撰の事に付き特に我輩の注目する所は黨首が野より出る歟朝より出る歟の一點に在り、黨首野より出るとせん歟其人物は即ち在野新聞の記者又は演説の辨士ならん此人物が立憲帝政黨の首領に任して政府の内閣は帝政黨中のものなりとすれば政黨の本色に從て内閣は其黨首の主義に背く可らず取りも直さず大臣參議は書生の指揮に從ふものと云ふ可し是れも餘り穩かならさるが如し左れば帝政黨の首領は政府の中より推撰して其黨の本局を政府に定めん歟首領は特に推撰するにも及はず太政大臣三條實美公の在るあり實美公が一政黨派の首領と爲りて内閣の諸彦が之を輔翼し在野の記者辨士の輩と固く團結して其施政の針路を天下に明告するものとすれば立憲帝政黨の綱領十一箇條は正しく今の政府より公布したるものにして人民は之を拜見して大政府の御布告又は御諭告として奉戴せさるを得ず既に之を政府の公文として信するときは政府は今後の施政に於て豪厘も既定の主義を變易す可らず其責重しと云ふ可し故に右黨首の推撰は甚た大切なる事柄にして果して朝野の孰れより出る歟我輩は指を屈して之を待つ者なり
今の政府は既に在野の諸士と固く盟約して一團の政黨を結ひ其諸士の中には新聞の記者もあり演説の辨士もありて朝夕政談に忙はしくする者なれば此新聞演説は悉皆立憲帝政黨の器械にして今の政府の主義を表するものなりと認定せさるを得ず若し夫れ果して然らば政治の事項に關して此新聞紙に記す所の一論も此辨士が演する所の一説も政府にて其責に任せさるを得ざる可し如何となれば政府の内閣は此記者辨士の黨類にして人固く同主義なる旨を約し立憲帝政黨なる一團の政黨を〓ひたるものにして同黨中の一言一行は黨中相互に其責に任す可き筈なればなり例へば〓〓帝政黨の諸士が府下新富座の劇場を借用して演説したるも政黨の〓〓目から〓〓〓〓〓〓〓〓〓非すと雖も其〓中に演したる論説に就ては政府も亦其責に任せさるを得す駁論攻撃は〓〓の〓行にして〓より此演説を駁論する者あれば其論〓は政府に向ふものなり又帝政黨の諸士が其駁論に答辨すれば政府も共に答辨する者と知るへし之に答へ之を駁し其多事〓〓ならす政局は果て此多事に堪るの覺悟あるや、政府にて施政の趣旨を語り其公布の文を註釋して人民の了解を便にするが如きは我輩の常に冀望する所にして政府の爲には新聞紙も演説者も必要にして便利なれとも此便利を増さんとするには其責も亦重きを増ささるを得ず唯其便利のみを得て其責を免かれんとするが如きは只事に於て能す可らざるものなり
政府が自から政黨を團結して在野の新聞演説を利用すれば隨て其責任を増す可きは黨然の理由にして然かも此責任は唯に内國の人民に對するのみならず外國の交際上にも大なる關係ある可し我國の著書新聞紙等に外國の事を論し其論鋒或は條約國諸政府の嫌忌に亘ることもあらん甚しきは其帝室の忌諱に觸るることなきを期す可らずと雖とも日本人民私の著書新聞紙なれば外人より之を咎む可き權理もなし又我政府より之を罰するの法律もなくして從前は不問に附したることなれとも今爰に日本政府の大臣參議を擧げて在野の諸士と團結し一政黨体を成して諸士の新聞演説を利用すること明白なる以上は外國の政府より此新聞演説を見れば日本政府の新聞演説にして正しく政府の意見を表するなりと認めさるを得ず然るに其新聞記者なり又演説者なり帝政黨も多人數の事なれば末流には随分粗末なる人物もあらん何れの政黨にも免かれざることなれば此輩が時として筆の誤、又口の誤にて外國の政府又は帝王の忌諱に觸るるが如き間違を生したるときに外國政府の筋より正々堂々の論旗を押立て我政府に迫ることもあらば政府は之に向て何と答るや辭に窮することならん如何となれは日本政府の新聞演説を以て締盟國の政府帝王を攻撃したる者なれはなり國權を皇張するは我輩畢生の志願なれとも唯徒に威を張る可きに非されは事の〓〓は先つ我方に覚なきを要す水も洩らさぬ程に注意して尚及はさるを恐るる其最中に危ひ哉、烏合の書生輩を集めて言論を許し政府自から其最後の責に任せんとす我輩の所見に於ては之を外交策の得たるものと許するを得す例えは〓〓の諸新聞に英國皇帝と記すへきを大王と記し又は政〓上に付き露西亜又は日耳曼〓國の〓て引く〓〓の危き今日は云々日耳曼帝の政略〓より云々なと〓〓〓〓〓に〓〓〓より〓〓の〓〓に非されは〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
政府は外國政府に向て謝辭を述る歟又は其記者を罰することならん之を罰すれは政府は自から其〓與を罰するものにして其一政黨を一個人に譬ふれは身躬から其身を〓するに異ならす極めて不都合なるものと云ふ可〓〓〓政黨の團結は極めて大切なる事柄にし〓〓〓〓共の〓〓を有する者は其去就を謹まさる可らす之〓小事に譬ふれは我時事新報の如き僅かに一小新聞〓なれとも〓して世間の政黨に入らす官黨に與〓せす〓黨〓結〓す獨立して我主義を唱ふるものは〓なる他人に黨興して自家の本色を失はんことを恐るれはなり新聞社にして尚且斯の如し況や堂々たる大政府に於てをや少しく思慮を費されんこと我輩の切に冀望する所なり然りと雖とも我輩は毫も人の事を妨るを好ます徒に政府の處置を非難するか如きは最も屑とせしの所にして只管其失体の少なからんことを冀望〓〓冀望の〓ふに我輩の此論旨も過慮に属して無益な〓〓〓て〓る者なり方今政府にも人物少なからさることなし〓〓〓一決、國の安寧の爲に又内外施政の便利の爲に〓して立憲帝政黨の必要なるを發明して大臣参議を擧げて朝野合併の一大政黨を團結し一首領を推撰して其指揮に從ひ果して期する所の成跡を得ることあらは我輩に於ては一點の不平なきのみならす謹て之を拜見致す可きものなり
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板垣退助君の變報
昨夕〓〓を得たるに板垣退助君は岐阜の某所に於て〓〓〓〓〓の〓に臨まれ歸途刺客に逢ひ胸部及ひ面〓〓〓〓〓〓れとも幸にして疵所淺く生命には氣遣な〓〓〓〓と〓〓
〓〓にして文を〓する者あり其筋に達したる電報には板垣君は岐阜縣にて刺客に逢ひ賊は愛知縣士族相原直文なるものにて疵は深手なりと云ふ
事唐突に起り訛傳誤報も多からん電報とて決して容易に之〓〓〓〓〓〓〓れや其電報を傳へて又これを〓ふ 〓〓〓〓〓〓〓〓容易に信す可らずと雖とも板垣君〓〓〓〓〓〓〓〓されたりとの事は確なりと信す此〓〓す〓〓容易ならさる事變にして其次第に由を〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓影響を及ほすなきを期す可〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓三様に想像して三様に成〓〓
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〓〓〓〓〓〓〓〓人か又は〓に〓〓〓ある〓か人〓〓〓〓〓〓〓〓たるもの〓〓れ〓〓〓〓〓〓〓〓
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〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓きは則ち我輩は君の身の爲に不慮の災難を痛歎するなり
第二此賊或は某民權政黨中の一人歟又は某末流の同類に〓政治上の宿意を狹み以て昨日の事を擧けたる者ならば其變動の波及する所少小ならず黨派の全体に達して軋轢葛藤の端これより開く可し方今世の政黨なるものは政府を一方にして世間往々之を官權など稱し又他の一方は之を民權と名け民權幾多の黨派を合して一体たるものの如し然るに其一体中より頓に一個の異類を出現して恰も同体相害するが如きあらば天下の民權黨なる者は二流に分裂して官權を加へて三流の姿となる可し
第三此賊或は政治家の一人にして其出處を尋れば所謂忠國流の末流の其臭氣を帯ひたるが如き者にして兼て君の民權家たるを聞知し民權論は怪論なり其論者は國賊なりなどの妄説を妄信して此擧に及ひたることにもあらば其由て生する所の變乱は我輩殆と想像にも及はさるものある可し
未た筆を閣せさるに及ひ又左の一報を得たり云く
昨六日午後七時妓阜町中学院自由黨懇信會に於て愛知縣士族「アイバラチヨクブン」なる者板垣退助を暗殺せんとして胸を刺し輕重五ケ所の疵を負せたり然れとも何れも致命傷にはあらす犯人は直に捕縛したり暗殺の原因は私の怨にあらす主義合はさるより出てたるものなり尚子細は取調之上上申すへし
右は本日其筋へ到來の電報なり又言ふ所に據れは昨年三月の頃愛知縣の士族某板垣君へ面謁を乞ひ其節語次激論に及ひ、時に某は短劍を懐中し居たれとも幸にして無事なりしとの事もあり元來愛知縣には肥後の神風連類似の一黨ありて動もすれは穩かならざる事共尠なからずと云ふ昨日の賊も果して此連中の者歟或は昨年板垣君に面謁を乞ひし者には非すやなどの推察もある由
右は即時電報を聞て即時に筆を執り漫に想像を記したるものなれば讀者をして唯徒に心事を費さしむるの恐なきに非す唯我輩の切に祈る所は右に漫記したる第二の想像も又其第三も悉皆虚空にして結局第一の想像を實ならしめ且君の疵所も極めて薄手にして〓〓〓〓てら〓〓一事〓〓