「板垣君変事の成跡如何」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「板垣君変事の成跡如何」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

板垣君変事の成跡如何

今回板垣君の變報は實に朝野の人心を動搖せしめたるものにして獨り君の不幸のみならず天下の不幸と云ふ可し凡そ社會の幸福は安寧より大なるものなし今回の一擧に付き世の安寧は増したるや減したるや、今後其増減進退は如何なる可きやと尋れば我輩は之に答て退減と云はさるを得ず一昨日其筋へ達したる報道に據れば賊は他政黨の者にも非ず又同志の〓黨ある者にも非すとのことなれとも君は近年民權自由の一主義を唱へて名〓甚た高く既に自由黨なる一政黨を團結して其総理に推撰せられたるものなれば假令ひ其賊の擧動は本人の一心に發起したることにても苟も私怨に非ずして主義に關する殺意とあるからには自由政黨全体の心に感する所に於ても亦この賊一名を私敵とするに止まらずして賊の平生遵奉する所の主義を敵とすることならん其主義は如何なる主義歟、未た知る可らすと雖とも板垣君の主義に反〓する者なるや明なり即ち非自由民権の主義ならん或はこの賊、口には主義の異同など云ふも實は無學無識にして主義も持論もなく又世間に交際もなくして世態の眞相を知らず一朝の發意にて此の暴擧に及ひたるやも計る可らずと雖とも凡そ人を殺すは之を悪むの極度なれば此賊が板垣君を悪みたるや明なり然るに賊は君に私怨なしと云ふ、私怨なくして人を悪むは何そや此狂愚風頓漢が世間の風に吹かれて風と共に之を悪むものなりと臆測せさるを得ず即ち板垣君の主義を悪むの空氣に酔ふたる者ならん然るときは自由黨の人も亦唯賊を怒るのみに止らずして此賊を酔はしめたる空氣を怒ることならん即ち賊は唯この空氣の運動を表するの器械として視らる可きのみ露國にて千八百五十年より六十年の間に民權の議論漸く喧しくして漸く勢力を得たりしが千八百六十六年四月「モスコー」の書生「カラコソフ」なる者が國帝を狙撃し捕へて之を糺せば社會黨に縁故ありて其主義を悅ふ者なりとのことにて之より政府は意を決して社會黨論の征伐に力を〓したることあり蓋し此書生は一個の狂生にして唯社會黨の空氣に酔狂したる者なりと雖とも政府は獨り狂生を堊むに止まらずして此生をして酔狂せしめたる社會黨全体の空氣を厭堊するに至りしものならん即ち人情の定則にして政府も人民も共に免かるること能わさる所のものなり人事の十に七八は情に制せらるるものにして殊に其喜怒哀樂は當局外の物にまで連絡するを常とす例へば旅中病に罹りて心思凄然たるとき恰も百花爛漫の時節なれば翌年も亦花を見て凄然の情を催ふし、慈母の病に侍へりて其臨終のとき偶ま秋月の清朗なるあれば畢生月を見て樂しむを得ず、春花我病に縁なし、秋月母の死に關せずと雖とも尚且然り況や自由政黨の人が其泰斗として仰く所の板垣君を刺されて恰も其時は世間に君の主義を堊むの空氣運動するの時節なりとすれば其空氣が直に君の身に觸れざるも黨與の人が之を怒るの情は彼の春花秋月に感するものよりも甚しからさるを得ず

抑も板垣君は維新の功臣勲勞第一流の人物にして内閣の參議に任したりしが明治六年征韓の事起り廟議二決に分れて君は内閣を去り爾後復た再任したれとも其志行はれずして遂に冠を掛け去て民間に在ること今既に十年に〓し君が民權自由の論を主張して世に公然たりしは明治七年民撰議院建白の時より始りて今日に至るまで終止一の如し其主義の如きは國より政治上の事なれば世上に異議を鳴らす者もあらん又大に賛成する者もあらん我輩とても悉く君の主義に同意する者に非すと雖とも其主義の論は〓く聞き我輩が多年不審を抱て〓す可らすして〓〓〓〓〓〓全く政黨〓〓〓れあるの一事なり、〓〓〓〓〓〓〓〓〓臣なり、〓〓す政黨を〓〓て〓は黨〓〓〓り〓大なりとす、君は維新の政府に用せられたる者に非す〓維新の政府を作りたる者なり、維新政府の一部分は君の物なりと云ふも過言には非さる可し、然は則ち君が内閣の参議に任し又時として其職を去るも固より君の身を輕重するに足らず、君の心事を左右するに足らず、維新政府と板垣君との關係を論すれば明治元年の板垣も明治十五年の板垣も甞て異なることある可らず、板垣に異なるなし、政府固より異ることある可らず、其〓時に參議の職に就き又これを去るは大關係〓〓小變にして唯内閣を去たるのみ、明治政府を去りたるには非ず、我輩の所見は唯斯の如きのみ、然るに板垣君なり又後藤君なり其他維新有功の諸士が一且の機に由て政府を去るときは其翌日より相視る楚越の如し啻に政府に近つくことなきのみならす昨日まて同〓〓僚の交際も全く断絶して私に相接するも稀なるか如も昨今政府に用ひられたる小吏の輩ならは其〓〓や〓〓〓を官、忽ち民にして其痕跡なきも怪しむに足らすと雖とも維新の政府を以て恰も自家の觀を爲す〓き大功の〓臣にして其進退の殺風景なること實に不審に堪へず例へは政府新に勲章の制を設けられたるとき在廷の功臣は皆これを帯ひたれとも在野の功臣は一時野に在るか爲めに其榮譽に與るを得す又細事とは雖とも近年の流行に在廷の貴顕か公に又私に夜會等を催さるる時にも現在の勅奏任官は無論彼の所謂紳士紳商なと云ふ輩まても招待に應して得々集會する其中に國家の元老にして影を見さることも多し我輩〓〓者に於てはより其原因を知らす政府より此流の人を疎外する歟、其人より政府を疎外する歟これを知らすと雖とも其相互に疎遠縁なるの事實は之を傍觀して明に知るへし

加之近來は民間の諸士が政黨を團結して政府と相通し政府と共に主義を與にするものなりと公言して恰も一類の体を成し新聞演説以て在野の諸政黨を攻撃する其新聞紙又演説者の中には時とすれは口を極めて板垣君の主張を〓ける者もなきに非ず固より政治上の事なれは〓〓〓に似たれとも廣き日本國中には随分〓人も〓〓し〓政治上の事と一身上の事と明に〓〓〓〓の〓なく〓〓〓〓攻撃するは即ち其人を攻撃〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓板垣君の人物を攻撃する〓〓な〓〓〓〓〓〓なきを期す可らす尚甚しきは自由黨〓〓〓多大〓の由なれは其黨の中に同様の誤解ある可きも計り〓し何れも事の間違ひなれとも世の中の〓は十に八九間違ひより生するものなれは間違ひと〓〓〓け〓な〓〓に〓す可らす我輩は今回の事變よりして間違ひ生するなきを祈る者なり間違よりして社會の安寧を害するなきを祈る者なり政府當路の諸君には必す所見あらんと雖とも安寧を斬るの丹心敢て一言を呈す