「立憲帝政黨に望む」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「立憲帝政黨に望む」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

立憲帝政黨に望む

立憲帝政黨の樹立以來黨の首領は何人なるや未た之を聞かずと雖とも何れにも其黨の事務を統〓して黨派全体に

同一の主義を貫徹せしめん爲には一名の首領を要することなれば不日其推撰の事ある可しと信ず首領推撰の上は必ず〓〓も捗りて〓〓に〓〓することならんと雖とも其首領の既定未定に拘はらず此帝政黨は他の民間の諸政黨に比すれば全く趣を殊にして我輩をして大に望む所あらしむる者なり聞くが如くなれば立憲帝政黨の綱領と内閣の主義とは盡く同一にして内閣は固く此主義を執て動かず今日の内閣は未た顕に政黨内閣の標題を掲げずと雖とも既に立憲帝政黨に主義を同ふするものなりとある以上は其實際に就て視れば即ち立憲帝政黨の内閣なり立憲帝政黨は今日の政局に當るの政黨なりと云はんも敢て不可なる可きなり云々と此趣意は立憲帝政黨に同主義なる新聞紙面にも明記したるものなり此趣意に據て視れば今日の日本政府は事實立憲帝政黨中の一部分にして政府の針路は過般該黨の諸士が大臣參議に呈したる黨議綱領の旨に從て方向を定む可きこと固より論を俟たす實に此綱領は我太政府の指南とも稱す可きものにして諸士の榮誉、太政府の幸福これに過るものある可からざるなり就て我輩の大に望む所は此立憲帝政黨が速に其運動を始むるの一事に在り方今民間に幾多の政黨ありと云ふと雖とも唯是れ二三の長老七八の書生輩が都鄙の有志者を集合して互に消息を通し互に意見を示して後日の目的を定るに過ぎす、何等の意見あるも之を今日に行ふ可きに非ず、何等の妙策あるも之を實地に施す可きに非ず、實力に於ては誠に微々たるのみならず之を皆無と云ふ可きものなれとも獨り立憲帝政黨に於ては則ち然らず其政黨の實際は既に内閣を組織して現に政局に當るものなれば政治の事項に關し何事を企てて行はる可からさるものあらんや百事意の如くならさる者はなかる可し是即ち我輩が民間の諸政黨をは左まで意に介せずして特に立憲帝政黨に向て大に望む所のものある由縁なり

立憲帝政黨の黨議綱領十一箇條を案するに第一條より第七條に至るまでは大抵皆國會に關係するものの如くなれば明治二十三年の後に其實施を見る可しと雖とも第八條以下は必ずしも國會開設の後を期する事には非ざる可し陸海軍人が國會開設までは政治に干渉するも苦しからざれとも開會後は然らざるを祈願すると云ふ意には非さる可し司法官の獨立も法律制度の整頓するに從ひ固より漸を以てするの意ならんと雖とも必すしも國會の開設を待て然る後に之を獨立せしむることを祈願するの義には非さる可し左れば第十條に至り國安及ひ秩序に妨害なき集會言論は公衆の自由なり演説新聞著書は其法律の範囲内に於ては之を自由ならしむるを要すとあり左れとも此箇條は今日の實際にも既に行はるる所の事にして國安秩序に妨害ありと認る所の集會言論は現に今日も之を止めて其他は自由自在なるに非ずや演説新聞著書も今日其法律ありて法律の範囲内に於いては〓に自由自在なるに非ずや集會言論にても演説新聞著書にても之に從事して法律の範囲内に在るは猶人の身体を持って一室の内に運動するが如し四畳半にても自由自在なり八畳敷にても自由自在なり数に其自由不自由を論するには何か標準を立るに非されば文理を成す可らず運動を全く止むる歟、不自由なり、苟も之を許す歟、無運動に比すれば自由なり、既に其運動を許す、其上の自由不自由は室の廣狹に在て存す、四畳半の運動は八畳敷の自由なるに若かず、斯の如く論し去て文理始て分明なりと云ふ可し左れば今この綱領の第十條に云ふ所の自由とは今日現行の法律よりも一層の自由を増すの義歟、又は今の民情に於いては正しく今の法律を以て自由の適度と認め今後も此割合に從て法律の寛嚴を加減し始終自由の旨をは忘れぬ様にし、誤て今日の割合よりも嚴にすること無からんと念の爲の祈願なれば我輩別に論もなしと雖とも若しも今の法律よりも一層の寛を増す歟又は一層の嚴を増すの趣意ならば是亦國會の開設を待たすして實際立憲帝政黨の政局たる政府に於て容易に實施す可き事なれば我輩は謹て是を拜見致す可きものなり又第十一條に理財は漸次に現今の紙幣を變して交換紙幣と爲すを要すとあり是も國會開設の後を待て其時より始めて漸次と云ふ意味には非さる可し本年より明治二十三年に至るまで八箇年の日月も其漸次中の一部分ならん不換紙幣が交換紙幣と爲るは天下公私の爲に一大慶福なれば實際立憲帝政黨の政局たる政府に於ては其約束を履て之を實施せられんこと我輩の切に望を属する所なり