「政府は自家の言論を自由にすべし」
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時事新報に掲載された「政府は自家の言論を自由にすべし」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
政府は自家の言論を自由にすべし
古の民は愚直なり唐虞三代の世は蠻野なり所謂井を鑿て飲み田を耕して食ひ鼓腹撃壤して専制干渉の化を樂み權理自由の何物たるを解せさる者なり故に古の聖人唐虞三代干渉の治に心酔せる者〓を設けて民は之に由らしむへし之を知らしむへからすと云て〓民を諭し〓〓〓かに無知の愚を御し不文の丗を治むれは〓や〓〓〓〓復舊の所謂朝四暮三の政術と殆〓と相異なる所なき者なり單に人文煥〓の民〓を純〓するに〓るの政策なりと用ふを得へけんこと願ふに我國維新以來文化〓に〓す人各月に改て人各々自由の愛すへく政權の貴重すへきを知り〓な正大の政に服して公明の治下に帰せんことを希ふ夫れ〓り今日我國の人民は唐虞三代蠻野の民にあらす亦た昔時封建卑屈の人民にもあらす豈に民可使由の不可使知之の秘密政?(山かんむりに各)に黙從して巳むへき者ならんや夫の結縄の?(糸へんに句)は復た亂〓の緒を治む可らす干羽の舞は以て平〓の國を〓く可らす若し今日の政治家たる者維新撥亂の武斷に〓れ推移變遍の妙理を知らすして徒に自由の民に向て専〓の治を加へんと欲せは其終に世を済ひ民を安んする能はさるのみにあらす亦た自ら禍を被るの悔あらんとす
曩きに我明治政府は新聞集會の二條例を發行して人民言論の自由を制限し叉官吏に内諭して之をして新聞演説の二業に從事すること能はさらしむ今政府か行政の都合によりて人民言論の自由を制限するの利害は世自ら定論あるを以て暫く之を論せすと雖とも政府の官吏に内諭して新聞演説の二事を禁制するに至ては我輩甚た其理の在る所に〓はさるを得さるなり方今我國民權自由の政黨各地に〓起し自ら治政の主義を定めて同志の黨人を結合し〓然として政府に對峙するの状を示し演説に新聞に盛に其説を張り其義を擴め氣焔往々全國に延蔓せんとするの勢あり蓋し政治家の旗幟を政治壇上に樹て勝敗を論戦場裡に爭ひ民心を収攪して一世を風靡せんと欲する者は必す新聞の城池に據りて演説の刀槍を掉ひ以て敵に當るの謀を爲ささる可らす故に政府若し民權の國家を害するを恐れ自由の後世を誤るを慮り其氣焔の延蔓を撲滅せんと欲せは威武も用ふるに足らす腕力も恃むに足らす唐虞伝來の秘密政黨を〓して公明正大の治法に由り新聞演説の二器械を活用して以て黨派政治の爭を開かさる可らす若し其れ然らすして此金湯の城池を萎てて守らす單身赤手身に寸銕を帯ひす漫然として粉戰亂闘の間に往來せは身金石にあらさるよりは其瘡痍を被らざらんと欲すると雖とも決して得可らさるなり今日我政府か官吏に内諭して其筆舌を〓制し之をして政治の言論を〓する能はさらしむるは即ち亦た此單身往來の類にして我輩政府の爲めに甚だ危しとする所の者なり且つ夫れ政府は此の單身往來の政〓を行ふに當り獨り官吏をして新聞演説に從事する能はさらしむるのみにあらす却て民間の政黨には言論の自由を許し之をして〓〓の我國内に於て自在に政府に向て〓〓を試むるを得すして〓〓〓民間政黨に〓〓〓〓〓〓〓すのみにあらす新聞の郵税を減少し其原稿を無税にし以て其政黨の氣焔を〓にす斯くの如きは即ち啻に單身赤手敵中を徃來するの危險あるのみにあらす叉隨て敵に糧を與へ〓〓〓を假す者にして政府の不利不便更に忿々〓〓し〓〓〓ふ〓者と云ふへし然れとも今日の政府〓〓〓〓〓〓なり智力の集點なり又た之を以て自ら〓す所の者なり豈に此單身往來の大不利大不便たる〓知るの明なき者ならんや又豈に知りて而して之を〓むるの力なき者ならんや然らは則ち何を苦をか因循退縮自ら不利不便の〓勢に安することを爲すか是れ我輩の甚た解する能はさる所の者なり然れとも今此因循退縮の状ある所以の者は其一朝鋒を民間の政黨と交るの後偶然不慮の敗を取るなきを保す可らさるを以て暫く息を收めて以て敵の鋭を避くる者なりと謂は〓我輩世の政府を指して怯なりとす者に向て辨〓〓〓なきて〓まさるを得さるなり又唯た辨護の辭なきに〓むのみにあらす其自ら許す所の人民の淵〓智力の〓〓の如き者亦た世を瞞するの虚喝たるに属せ〓〓する〓〓まさるを得さるなり(以下次號)
政府は自家の言論を自由にすべし(前號の續)
且つ夫れ政府は官吏に言論の自由を禁したるを以て百般の政令皆な説明を得す之か爲めに人民往々疑惑を政治上に抱く者尠からす新聞紙上某參議は深夜某大盡の邸を訪ひ密談數刻にして歸れり云々等の事を掲くるを見て世間亦我國政治の萬機は公明正大堂々の議に決せすして深更暗夜密談の間に定まる者なりとの臆測を下す者あるか如し政府の免も亦甚しからすや故に政府若し速に自家言論の禁止を解き官吏の演説を許し白日天公明の論壇に登り以って其方向のある所を指示し天下の人必す〓〓するにあらされば終に何如の禍を生するに至るも未た測る可らさるなり然れとも人或は曰く近日組織する所の立憲帝政黨は在野の〓士と政府の内閣〓の大臣參議と共に團結して成る所の〓にして其〓〓〓〓の〓〓〓〓〓〓〓の同意する所の者なれは今政府は明に言論の自由を許して自家の政策を議論するに〓〓〓と雖とも其〓黨の〓〓たる二三新聞紙と在野の演説者とをして内閣に代り其方向を説明せしめは内閣の〓〓は自ら其〓〓を〓するの煩ならしむ却て其功を收むるを得る者と云ふ可し何如に今日の情勢は黨派政治を要するにもせよ單に廟堂〓扨の〓裡に安座して肉食する者を撫して俄に〓〓〓浮世の風に晒し〓ま以って其威嚴を損せしむるの禍をなすに思はんやと嗚呼是れ何等の言をや思ふに我國の政府は人才の淵源にて〓今日の内閣は維新の功臣なり曾て自ら輿論に卒先して革命の變風を撥し千折高〓の〓に於て明治の政府を組成せる者なり即ち所謂腕に覺への老巧者と云ふへし而して此老巧者か自ら施行する所の政策を説明するに當り奮進して自家固有の才力によりて敵に當るの策を求めすして却て聲價なき二三の新聞紙と演説者とによる此言權の新聞と演説者とは決して堂々たる明治政府の爲めに辨護をなすに足らさるにあらさるへしと雖とも人才の淵源智力の集點にして唯纔に此輩に依ョして以て其命服を〓かんと欲す竊かに明治政府の爲めに遺憾なき能はさるなり然れとも今日の風潮は進取に在り舊きに帝政黨のゥ氏か保守の主義を以って演説せるも終に滔々たる聽衆の喝采を得ること能はす又た其黨有たる二三新紙は日に其聲價を墮し看客の數を減し萎微として甚た振はさるの勢ありと云ふ其れ既に斯くのごとくんは其同黨たる内閣の議員は其位尊くして其俸は多く其功は高くして其論は巧ならさるにあらすと雖とも一旦娑婆の風に吹かるゝに及んては又帝政黨中在野ゥ氏の二舞を爲すを免かれさるへしと云ふ者あらは我輩復た何をか謂はんや
然りと雖とも我政府は客歳十月以來〓主義の人士と分離して別に政黨の内閣を組織し立憲帝政黨の綱領に同意を表して大に黨派政治を擴張せんとする者の如く而して頃日又官吏に公衆の演説を許して施政の方向を天下に明示せんとするの議ありと云ふ是れ誠に政府が夙に我國の進歩を察し今日の人民は決して唐虞三代蠻野の民にあらさるを知り專制干渉民可使由不可使知之の祕密政略を廢して大に處斷する所あらんとする者なりと云ふ可し我輩は
刮目して基茲に至るを見んと欲するなり(畢)