「花房公使は何故に渡韓せざるや」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「花房公使は何故に渡韓せざるや」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

花房公使は何故に渡韓せざるや

地球は五大洲各洲〓數多の邦國ありて〓〓の地ならずと雖とも今日既に我國と條約交通する〓〓〓十八ケ國之を少數なりと云ふ可らず〓〓〓なりと云ふ〓〓中〓は大なり〓は小なり〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓して一〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓雖とも唯其國難なるを辭柄として兔角〓〓〓〓〓〓は此れ朝に夕を謀らず今年に明年を識せず舊定の政客もなくして空しく日一日を過すがごときは我輩最も外交上に於〓〓らさる所なり

〓〓〓〓〓〓なる言葉は社會の上常談と爲り流行の政〓〓〓〓〓す〓〓〓我々の主義は條約改正を斷行する〓在〓と爲れは其何樣に之を改正するやを問ふに及〓〓〓人も〓之を評して改正斷行す可しと和す其輕噪〓或は〓ふ〓堪へたるか如しと雖とも今日一般の人心が〓の外交を度外視せざるの證として見る可きなり我輩謂らく條約固より改正せざる可らず之を改正すること甚だ大切なり今日始めて大切なるに非ず十年前の改正期限以來一日として大切ならざるはなきなり我輩は一般公衆と共に一日も速に改正の落着を願ふものならず〓ひて改正の不十分ならざらんことを要むるものなり然りと雖も我輩又常に謂らく條約改正は外交事務の一部分のみ改正即ち外交なるにあらざるなりと雖とも〓〓圖らん近來速成の政談家は姑らく〓〓す老練の當局者其人と雖とも或は條約改正外に外交なしと〓へるやの疑なきこと能はず我輩の最も疑へる所なり

古人通交近攻の策あり況んや今日歐洲ゥ大國の如き遠くして且つ強なるものは之と相親しむ可きは勿論なりと雖とも又同時に其近くして強ならざるものに向ひては目下之を攻るにあらずして之を撫し之を扶るの〓〓〓る可らず日本に最も近きは朝鮮國なり近きもの〓〓〓〓〓るを〓甚だ容易なり十八ケ國中最も孤〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓朝鮮國なり孤弱なるもの之を補〓〓〓〓〓〓〓〓義務なり既に隣國にして又之を補助〓〓の〓〓なり〓日本は今日の國交政略を以って既に其業務を盡したりと爲す可きや朝鮮釜山港には我人民の居留する者今日既に二千餘名の多きあり實に該港は日本朝鮮兩國交通の關門なりと云ふも虚言にあらさん〓〓然るに其守備者たる領事近藤眞鋤君は過〓〓〓〓〓〓〓〓歸り其再發を期て問ふも未た期ある〓〓〓〓〓〓〓〓聞く處に據れは釜山港の外今出〓〓〓〓〓出〓〓〓國領事〓獻〓君にも近々歸朝の〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓す可きやの噂ありと知らす前〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓む〓に〓して容易に再〓を〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓に堪へさるなり以上二君〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓なり其即ち〓民〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓するに〓〓〓〓〓〓人〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓めたる〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓不在なるか爲め各港の貿易に莫大の損失を來たすことなかる可しとて或は其不在を怨することあるも爰に我輩か最も其説を得るに苦しきの一事あり何そや朝鮮在勤辯理公使花房義質君が其住所京城に在らさること是なり

公使花房君は其身外交官吏なり前二君の如く一港内の通商事務を管するに非すして大日本國と大朝鮮國との閧ノ存在する親睦を敦くし兩國交際の大任に當るの人なり一日其務に服せされは一日兩國の交を疎くす其任重くして且つ大ならずや殊に近時朝鮮の事情を視るに昨年十一月王族李載先の騷亂あり其名とする所は攘倭なりと聞きしも幸にして事速に鎭定に歸したれは最早顧慮する所なかる可しと思の外近日の報道に據れは尚其殘黨の在るありを依然名を攘倭に托し陰に不軌を謀るの疑ありと雖も其黨類の衆多なるか爲め政治も容易に手を下すことを憚り現時は隱伏の病毒たりと此言果して信なるや否之を保すること能はすと雖とも朝鮮國事の多端にして我國二十年前の景況に髣髴たるものあるや推して知る可し此時に當り我日本公使にして其任に在らす兩國交際の重任は擧て之を留守居二三の屬吏に委して憂なしと爲すか加之本年九月は仁川開港の期なり期に先たつこと幾月實地測量經營の工夫もなかる可らす朝鮮政府と此上の談判打合せもある可し我輩決して公使の存在を不要なりとするの理由を見さるなり彼の歐洲ゥ國中單に遠きのみに止まりて未た強大とは評し難き伊太利國の交際すら當任鍋島公使の歸朝せんとするに際して一日も空くせんことを惜み俄に議官淺野長勳君を後任公使に命し片時も其就任を急かるゝとの噂ある傍に隣國にして且つ之を補助するの義務ある朝鮮國に對し昨年六月以來既に一年に近き日月の闌使の在任もなくして兩國交際の敦からんことを欲することあるも我輩其何如を保つこと能はさるなり辨理公使花房義質君は猶何を以って渡韓せさるや