「朝鮮國本山津の近況」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「朝鮮國本山津の近況」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

朝鮮國本山津の近況

此程朝鮮より歸來の某氏は彼の安邊事變のとき偶ま浦汐斯德よりの〓〓元山に居て事情を詳にせりとて其話に當日蓮元氏等は五人の中に拳銃一挺と獵銃一挺のみ携へしなれば全く殺生の目的にもあらず〓散の爲めに居留地外見物に出掛けたることと思はる當日の事變夜に入るまで居留地にては之を知らず偶ま雨天唯某歸來の晩きを不心安に思ひ色々と噂して待ちわびる中午後七時過の頃元山の辨察官より我領事館へ(或は云ふ居留人の集會へ)使のものを遣はし本日貴國居留地の壯年若干名何用かは知ら子ども遊歩規程外に出てたるものあり萬一間違などの生しては宜しからざるに付き早々引取る樣取〓ひありたしとの報知にて少しく訝しかりとりとりに評議する其最中に彼の無事なる濱手谷の二氏走り歸て返事の報告、扨ては辨察官の報知こそ不審なれ官にては疾く此變を承知しながら其鎭撫方には手を盡さずして態と遊歩規程外云々と申越したるは後日の談判に第一朝鮮政府の筋にては飽くまでも注意したりとの口實、第二は日本人が遊歩の規程を越したりとの越度を明にせんとの策ならんとて居留人一同先つ不滿の心を抱きたり抑も元山津に日本人の居留地は十萬坪を限り遊歩規程は居留地外朝鮮の十里と定めたれとも此十里なるもの甚た分明ならず屈曲迂廻したる道路の十里と測量〓〓の十里とは莫太の相違なれとも其邊の約束もなし、又朝鮮の一里は凡そ日本の六丁計りのものと云ふと雖ども同國の尺度さへ甚た曖昧なるものにて何を根本に立てて里程と爲したるもの歟これも甚た不分明なり之を例へば在〓日本にても里程に三十六丁あり五十丁あり又七十丁一里は甚た長くして相州七里ガ濱の七里は甚た短く、〓多村御朱印地は拔地にして里數の中に入らずなど殆と無規則なる有樣は今日朝鮮にもある由、加之右の如く十里と規程を定めながら何れを界として表示の標もなく又何れの出、何れの河を界と云ふ〓〓〓〓されば遊歩する〓〓〓〓〓〓〓〓な〓〓〓〓〓〓〓に放て如何ともす可らず從前の慣行なれば〓〓〓の〓〓に〓〓〓〓らしからす〓にて此五名の者に歸りて當日〓めて〓〓の遠足したる譯けにもあらざる〓(〓〓〓の〓〓〓〓〓の後間もなく或る外國人が淡路の國へ渡り早速これを取押へたる〓條約〓に遊歩規程は開港の地より各方へ十里とあり兵庫と淡路と其間に海こそあれ直徑十里以内なれば我方の理窟は立たず去迚當時攘夷論の最中思ひも寄らす淡州へ碧眼紅毛の洋人が遊歩などして有〓者の目に觸れなは夫れこそ大變なれとて幕府にては不容〓心配したることあり朝鮮の事情も正に此邊のものならん

右の次第なるを以て居留人民一般の人〓は自から犯則の者と認めす假令ひ犯則にても地理不案内の日本人が行く可らざる所に行たることならば朝鮮の官の筋より竊に〓して本の道に〓らしむるこそ〓〓の處置ならんに〓て其事なきのみか當日數百千の群兇が慘刻に我三名の兄弟を打ち殺し又重傷を負はしめたるを一介の吏人が之を顧る者もなく剩へ其死人負傷者を「ちけ」薪など背負ふ道具に〓付けて鮮血淋漓に〓て泥水に浸され雨中をも憚らず夜〓をも厭はず荒々しくも居留地に送付したるは固より人類〓〓扱ふの法に非ず犬猫たりとも苟も活物ならば斯慘刻〓〓はあるまじきものをと思ふ程の始末にて異鄕〓〓の同鄕人之を見て泣かざる者なし怒らさる者なし中にも〓〓の壯年輩は内々申し合せ我々一名の力よく朝鮮人十名に〓す今五十名にて押し出せば五百名をば討取る可しとて〓夜〓〓などと騷立つ處を長老は大に心配して兎に角に我大日本政府のあらん限り私の復讐などとは以の外の事なりとて強ひて之を取鎭め翌日に至れは稍や人氣も定りたれとも固より商賣〓〓等の沙汰にあらず只管政府の〓を待つのみ昨今居留人の所望は彼の罪人を捕へて死刑に行ひ其上にて我人民の死を犬死に歸せしめずせめて其死傷の記念のために今後日本人をして自由に内地を旅せしむる歟又は大に遊歩の規程を擴る歟何れにも此〓の談判を〓〓〓之を死傷者の勳功と爲し其次第を朝鮮交際の〓〓に記して永く功名を湮沒するなからんとの熱心にて若しも此所望を〓すること能はさるに於ては居留地を擧けて日本に歸國す可しとまでの氣込みなりと云ふ

外國の交際は固より政府の機密にて人民の〓〓〓〓〓る可きに非す居留の人民が何程に熱心するも必すしも其〓の如くなる可きにも非されとも我政府は今〓〓〓〓〓〓〓其寬其〓孰れに出るも人民の〓足を得〓〓〓〓〓〓〓〓る可きは我輩の信する所なり且事たるや〓〓〓〓〓〓其實況を〓〓したること〓〓さん〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓あり唯〓〓〓〓〓〓〓の日本人〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓と共に〓〓す〓きなり〓〓の〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓大なる所望もあらんと雖ども次第に日を經るに從ひ〓辨の心も恢復す可きなれば兩國の間に大風波もなく穩便に治ることならん切に〓望する所なり