「朝鮮政府へ要求す可し」
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時事新報に掲載された「朝鮮政府へ要求す可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
朝鮮政府へ要求す可し
三月卅一日朝鮮國元山津の我居留人等が同地安邊府外に於て韓人の爲に襲撃せられ本願寺の蓮元憲誠氏は即死大倉組の兒玉朝次郎三菱會社の大淵吉威の兩氏は重傷にて未た死生を判せずと云へり此變報は四月廿日長崎入港の郵船敦賀丸が始めて齎らし來りたるものにて當初は唯電報に由て得たる簡單なる報知のみなれば其事實を詳にせさりしに四月廿六日に至り元山津四月十七日附の郵書東京に到達したるを以て一と通り此事變の詳報を得たるなり(四月廿七日の時事新報に在り)我東京の政府に於ても我輩と同樣電信郵信に由て一樣に此事變の報告を得られたるなる可く隨て既に此變に處するの政策を决定せられしか又は尚評議中ならんと信するなり其後は元山津より郵船の來着するもの無けれは該地四月十七日以後の景况は如何朝鮮政府の處置は如何我在留吏員の談判の次第は如何重傷者の生死如何等は更に之を知るに由なしと雖とも畢竟するに此度の事變は居留の我國人が遊歩の際不意に無數の韓人に取圍まれ何の道理もなくして慘刻に殺傷せられたるものなれは細分の各節目を調査するに及はす大体に於て其曲先つ朝鮮國人に在りと斷言して可なり或は日本人にも遊歩〓程外〓出でたる越度ありとの説もある可けれとも此〓〓〓〓ぐるもの〓〓國に在ては實に曖昧主〓の〓の〓〓〓〓示杭を以て〓〓〓て分つとしたる樣のものもなく又彼の安邊府近傍へ遊歩するは此地の慣行にて珍らしからさる事の由なれは遊歩規程の口實は以て日本人を罪す可らさるや明なり好しや規程外に在りたりとするも之を殺すとは何事ぞ吾輩は朝鮮國に向て人を殺すの罪を問はさる可らずと信するなり此事變の爲め元山津居留の吾人民は大に不安の思を懷き若し此度の死傷をして到底犬死打たれ損に〓せしめんには貿易交通も最早無用なり〓居地を擧て斷然日本に歸國するに如かすと言合へる由我輩本國に在る衆兄弟に於ても此事變の結局を見て必す大に覺悟する所ある可けんは我政府に於ては决して之を等閑に附せす速に至當の處置ありて人心をして十分に滿足せしめんことを希ふなり元と此事變の電報が東京に達したるは四月下旬にして外務卿井上馨君は其廿四日を以て熱海邊へ療養の爲め出立せられ辨埋公使花房義質君は同しく其廿六日を以て任所朝鮮國へ向て出發せられたり而して此事變の郵信か東京に到達したるは花房君出發と同日なりしを以て考れは井上君が花房君と相別れたる時は未た其詳報を聞かさりしは勿論花房君と雖とも或は之を聞くに及はすして出發せられたるにてはなきやの恐ある程なれは政府は此度の事變に付朝鮮政府への掛合振を花房公使出發前に親しく訓令する所ありたりとは思はれす或は尚評議中にて訓令も未定なりと云はんこそ却て實に近からん歟是に依て我輩は今左に數條を列記し朝鮮政府に向て我政府の要求せられんことを希望するものなり
第一 各居留地の遊歩規程を廢し日本人の内地旅行を自由にす可し
第二 各居留地の周圍十里乃至廿里(日本里程)の間は何れの地に於ても貿易通商勝手たる可く又内地大都府に開設する年市に其開市の日數間は吾商人の行商を許す可し
第三 死傷者の遺族又は當人への扶助賠〓として相當の金額を拂ふ可し
以上の三ヶ條は此度の如き事變を將來に復ひすることならかんとするには必要不可欠の件たるを以て吾政府か至急花房公使に訓令を傳へて之を請求せしむ可きは勿論朝鮮政府に於ても速に之を承諾して兩國の交際を全うす可きは我輩が信して疑はさる所なり而して又我輩が〓みて政府に希望する所は第一朝鮮三港に警備の軍艦を常〓し第二各居留地の巡査を増員し第三對馬〓〓〓釜山〓〓海底電線を架設し以て吾居留人民をして或は孤島の〓人の如き或は〓〓の〓の如き〓用の〓〓て〓かれしめ〓〓〓〓にして〓〓〓〓の〓〓〓〓〓〓〓めんことを〓〓〓〓〓〓