「生糸荷作の説(前)・」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「生糸荷作の説(前)・」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

生糸荷作の説(前)・

過般亞國より歸來の生糸商某氏より方今彼の國生糸商賣の景况を聞くに日本産出の品

も輸入の高、年に增加し明治十四年七月より十五年五月に至るまで日本人の直輸したるもの二千二百二十二梱、外國人の手よりしたるもの千二百八梱にて合計三千四百三十梱

なり斯く輸入は多けれども爰に一大不幸と稱す可きは日本生糸の荷作り不適當にして其品不揃なるの一條なり故に方今彼の國の絹布製造所に於て日本産の糸を買ふには

專ら器械取座繰曳の二品のみにして其日の荷作に係るものは事實切迫の塲合に非されば之を買はず其次第を尋る 器械取座繰なれば其まゝに織物の製造に用ゆ可きなれども前橋の提作  の掛田の如きは一度も職工の手に掛けて繰り直すに非されば製造の

用に適せず而して其職工の手間は幾分の値段に差響き且時日をも費し縺を解く爲には所損も少なからざることなれば之を嫌ふも亦自然の數なり

叉提作には兩端に紙を卷くの風にして掛田は其端に絹糸の飾あり何れも無用のものなるのみならず之を解くにも多少の手間を費し且量目を以て品物を賣買するに當り其紙なり叉絹糸なり之を風袋に見込て其見込は實に過るを常とす?ち賣方の不利なり尚これよりも不利なるは端に卷たる紙は無價なりとするも飾の絹糸は多少に價ある可き論を俟たず幾千幾万の數に積れば决して僅少ならざる貴き品を刀を以て切棄て之を棄るが爲に人工を費し曾て益する所なし恰も實を費して實を棄るものと云ふ可し掛田も一時は娘糸とて大に聲價を轟かしたるものなれども商賣世界の進歩は迅速なるものにして今日は人をして之を厭はしむるに至れり

右の如く提作掛田の類は製造所に所望少なきが故に多くは彼の國投機商の手に落るを常とす如何となれば投機商は市上に生糸の需要供給如何を察し低價を以て粗品(掛田提

作の類)を買占め一時製造所に品物の拂底なる時を待て利を射るの趣向なればなり凡百

の商賣品にして唯投機商の手に掛るのみのものは其時價の昂低必す甚しくして尋常の商人は之を取扱ふことを好まず以て益其聲價を落さゞるを得ず明治十四年十月より十五年三月下旬に至るまて紐育に於て伊太里産の生糸一斤に付其價の最高五弗九十仙、最下五弗六十仙にして此差違三十仙なり、支那産同最高五弗最下四弗六十仙にして此差違四十仙、日本産座繰同最高五弗六十仙最下五弗十仙にして此差違五十仙、掛田中等品同 

最高五弗三十仙最下四弗四十仙にして此差違九十仙なり

日本産の生糸にして  その時價の昂低すること甚しきは尋常の商家にて之を買持するを好まさるが故ならん にして好まざるは絹糸の製造所に て時の なく常用の品として賣込むことの きが故ならん故に今この  免かれて品物の聲價を立て直し、日本の生糸も亞國の市上に在て堅固なる品なり之を買入れて之を貯へ、之を抵當として金をも貸借し更に掛念なしと云ふまでの市評を取らんとするには我國より輸出の生糸を悉皆器械取にする歟叉は座繰曳にするの一策あるのみ器械を用るは俄に全國に普くす可き事にも非されば先を座繰の法を  する方、行はれ易き法ならん數年以前  の地方にても提作を專とせしものなるを舊小野組の誘導にて今の掛田折返の風に改正し當時この一改正にても地方の爲には一年十餘萬円の利益を增したりと云ふ固より小野組の盡力は唯荷作のみに非ず養蠶の法をも大に進歩せしめたることならんと雖も荷作の一事は呉々も大切なるものと知る可し近日に至ては昔年聲價を得たる掛田も殆と舊套に屬して顏色なき有樣なれば今後數年の間は器械及ひ座繰の時節と爲る可し生糸商に於ては怠漫す可らざるの秋なり(以下次号)