「生糸荷作の説(前号ノ續)」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「生糸荷作の説(前号ノ續)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

伊太里産の生糸は其荷造適宜にして品位もよく揃い之が爲に亞國の絹布製造所に於て常用の品たるが故に時價の昂低少し日本の品は之に反して昂低甚し而して其昂低の少なきは大に昂らざるに非ずして大に下らざることなり之に反するものは大に昂るに非ずして大に下り以て其差違の大なるものと知る可し又この點より見て支那の生糸の日本品の上に位して價の昂低少なきは支那人の手を以て荷作を巧にするに非ず支那國の貿易塲に出る生糸は品位不揃にして荷作も不注意なること日本品に異ならず或は尚これよりも甚しき程なれども在支那の歐商が此粗品を受取り歐商の手を以て荷作を改め品位を揃へて之を亞國へ輸入するが故なり支那人の振り以て知る可し啻に支那のみならず近くは我國の横濱にても瑞西其他の商人は提作にても掛田の粗品にても荷作の不良なるが爲に價の低き品を撰て之を買取り一度ひ之を本國に輸入して其荷作を改め更に之を他國に輸出する者ありと云ふ日本人は勞す可きの手を勞せすして其勞力の利益を他國人に占めらるゝ者と云ふ可し之を我生糸商の耻辱と云はるゝも辧するに辭なかる可し

左れば前樣に述へたる如く我國輸出の生糸をば悉皆器械取にする歟又は座繰曳にするは目今の急要たること固より論を俟たず先つ座繰を以て始めんと云ふと雖ども此事たるや令して行はる可きに非ず命して從ふべきに非されば産出地方の〓〓者にて〓りに之を〓塲する其際に爰に東京又は横濱に便宜の地を卜して生糸荷作の工塲を設立し各地方人民の〓〓のまゝに輸出せんとする品〓をば一切此工塲に引受て其荷作を改め工塲の捺印を捺して之を輸出するの法方を施行したらば必ず彼の國市上の信を〓たして漸く我國産の聲價を增し從前同樣の生糸の質にして毎斤十錢の餘益を見ることならん即ち此餘益は〓〓の性質に拘はらずして荷作の体裁より生ずるものなれば養蠶の巧拙に論なく天然の物は既に形を爲したる上にて僅に入力を加ふるの報酬として見る可き利益なり

國益を起すに天然の産物を以てすると人爲の勞力を以てすると其利害得失は今これを論するにも及はず西洋各國富貴の基は悉皆人力に在りと云ふも可なり殖産の道漸く盛なるに從て人力を用ること漸く多く遂には他國の天産物を輸入して之に人工を加へ又隨て更に之を輸出するに至る可し佛人が支那日本等の生糸を輸入し英人が「アメリカ」及ひ印度等の綿を輸入し絹布金巾の類を製造し更に之を諸国に輸出するが如き是なり元來我日本産の生糸を糸のまゝに輸出するは殖産の道に於て遺憾に堪へざる次第にして實は之を絹布に製して出すこそ本意なれども今日尚未た然るを得ず殖産家の耻つ可き事ならずや然りと雖ども人工の進歩には自から其順序時日もあることなれば絹布輸出は前途尚遠しとするも其絹布の材料に用る生糸丈けにても適當に荷作して外國市上の輕侮を防き兼て我國益の一端を助るは有志の生糸商に於て當務の職分ならん且前に記したる如く方今亞國にて日本産の品を解て荷作を改るが爲に職工の手を費し其職工の賃錢は自から國の物價の高低に關するものなれば之を我國普通の賃錢に比して甚しき差違あり彼の國にて此高き賃錢を拂ふの代りに其仕事を我國に引受け荷作改撰の局を設けて我日本の價高からざる物を衣食する職工を使用するときは其利益たること論を俟たずして明なり唯に公利國益のみならず其當局者に於ても私の利潤〓からざることならん云々

右は某氏と一席の談話を取撮み其大意を記したるものなり我輩素より自から生糸の商賣を取扱たることあるに非ず百事不案内なれども氏の言を聞けば實地の事状を感じたるものゝ如し抑も生糸は我國最第一の産物なれば其大切なること米穀に伯仲するものと云ふも可なり殊に今日外國貿易の權衡を維持するものは唯この一品のみなれば其政策に就て苟も意見あれば之を天下公衆の考案に饗して尚討議する所なかる可らず此意見を世に公にするは盖し新聞紙の本色なり