「運輸交通論(一)・」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「運輸交通論(一)・」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

運輸交通論(一)・

運輸交通は文明の方便たるのみならす交通即ち文明にして交通の外に文明なしと云ふも可なり文明の進歩は歩々際限なくして其高きを厭はす左れは運輸交通の便も多々益

便にして其多を厭ふ可らす近時の文明未た起らさるの時代に當ては歐洲の諸國に於ても立國の元素は專ら武を以てして試に某國の大小強弱を知らんとするにも先つ其海陸軍の數と政府歳入の多寡とを問ふて品評を下したることなれども今や立國の元素は漸く性質を改めて人文と殖産との二者に移らんとするの時勢にして即ち文明の進歩したる國は強國たり大國たるの有樣なれは其大小強弱を知らんとするには海陸軍の數と政府歳入の多寡とに併せて某國に存する運輸交通の便利如何を聞て始て品評を下たす可し運輸交通即ち國力と云ふも可なり盖し政府の歳入なり叉海陸軍なり皆國力より生す可き者なれはなり例へは亞國の海軍は英の下に居り其陸軍は日耳曼に及はさること遠し固より地理の便に由て然るものも多しと雖ども此僅々たる海陸軍を以て國を立て世界中に亞國を評して小弱國と云ふものなきは何そや亞國には人文殖産の盛なるものあれはなり、其運輸交通の道便なれはなり、即ち文明開化進歩したるものあれはなり、此文明の國力を以て要用の時に臨て海陸軍を作ること容易なれはなり

左れは近時の文明中に在て一國を立て世界の各國と進歩の鋒を爭はんとするに内外に運輸交通の便を開くの急要なるは爭ふ可らさるの理由ならん我輩復た多辨を費さゝるなり然るに我日本國に於ては開國以來三十年西洋近時の文明を採て國勢大に進歩したりと云ふと雖ども交通の便見る可きものなし陸上の鐵道全國を合して百里に足らす過般日本鐡道會社の擧ありと雖ども其進歩も甚た徐々たるものゝ如し鐵道の便なけれは郵便の配達も甚た遲くして北海道より九洲へ一封の書を贈て其回答を得るには一月を費すを常とす西洋の人は八十日を以て地球を一周する其時代に當て我日本人は一小島國の辟地に書を徃復する當に三十日を失ふ、文明の鋒を爭はんとする事稚きに非すや陸を離れて海上の艇を見るも亦斯の如し近來は廻船風帆船を以て沿海を渡航して便利なりと云ふと雖も其便利は唯昔年に比して少しく便利なるのみにして决して交通の活溌なるものと云ふ可からす况や日本海を離れて西は僅に上海に至り辛ふして香港に達するのみにして更に一=を=ること能はす顧て東=方大平海を望めは海上更に一片の日章旗を見す四面海に濱する海國にして其海面渡航の權柄をば擧て之を他國人に授るとは吾人の=辱と云ふ可し近時の文明世界に運輸交通の便利如何を以て國を輕重するの品評果して違ふことなきものならは文明國の人民が我日本の海陸を通覧の如何の評を下たす可きや我輩は讀者と共に汗顔するなきを欲するも得べからさるなり今一歩を退け海外の遠航は容易に着手す可きに非すとするも内地の沿海内海の渡航に今日は尚舊製日本形の船甚た多くして西洋風の新製は僅に其中の幾分たるに過きず統計年鑑を見るに明治六年より十三年に至るまて西洋形汽船風帆船の船數噸數及ひ其増減と同八年より十二年に至るまて日本形船の有樣左の如し

   西洋形商船

年次   蒸 滊 船     風 帆 船

     船數  噸數      船數  噸數

明治六年 一一〇 二六、〇八八  三六    八、四八三

同 七年 一一八 二六、一二〇  四一    九、六五五

同 八年 一四九 四二、三〇四  四四    八、八三四

同 九年 一五九 四〇、二四八  五一    八、七九〇

同 十年 一八三 四九、一〇五  七五    一五、六四八同十一年 一九五 四三、八九九  一二三   一九、六二四

同十二年 一九九 四二、七六三  一七四   二七、五五一

同十三年 一六三 三六、八〇七 一六八 三三、五五九

   日本形船

    五百石以上  五百石未満 合計船數  合計石數  

    船數     船數      ==    == 

明治八年度一、五五八 一九、七〇二 二一、二六〇 三、五七七、八五三

同 九年度一、四九七 一八、四二二 一九、九一九 三、三九七、一八三

同 十年度一、四四六 一七、五一八 一八、九六四 三、二五一、四二五

同十一年度一、五二二 一七、六一四 一九、一三六 三、三三三、四〇六

同十二年度一、五三〇 一七、七五四 一九、二八四 三、三五四、七五九

右の統計表に據れは兩機の船數噸數及ひ石數は殆と比較す可らさるの數にして日本の海面は今日尚日本船を以て覆ふものと云ふも可なり而して此日本形の船は如何なる性質の者なるそと尋れは造船航海の學理とては殆と皆鐵にして其船体は極めて脆弱海上に==なるものと云ふ可きのこと====に==一日も===========建造を要するものなりとのことは識者を俟たすして明なり今日の戰爭に弓矢銃劔の用に寄らさるは何そや火器の發明以来攻防の用に適せされはなり西洋理學の原則に基==造船航海の術を工風して叉湯氣の用法を=====上へ日本船の航海に用ゆ可らさるは弓===の戰爭に用ゆ可らさるに異ならす我日本に於ても弓矢銃劔の不利をは疾く之を悟りて之を廢棄したり日本船に=て廢棄せさるの理あらんや意を説く=====の===めさる可らさるなり獨り日本船のみならす西洋形の船にも怪しむ可きもの甚た少なからす西洋船の漸く=行するに從て不學輕器の徒が一時其風に靡き僅に資本を得て無理に大小の船を造り外形は西洋製に似たるも其實は脆弱にして恐る可きもの少なからす=外叉は各地方の河々に於て破船の===常に聞=所なり現今全國にある西洋形の船=して其=======の增す可らさるものならん===亦甚しと云ふ可し是亦改良の法を求めさる可らさ=======         (未完)