「運輸交通論(前号ノ續)」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「運輸交通論(前号ノ續)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

前記の如く海陸の運輸交通其不完全なること甚し但陸路の汽車は未た之を目撃せされは是れなくして不便利を覺へす世の人々も未た東西兩京間の鐡道を徃来せさる今日なれは仮令之を作らさるも物を失ふたるの心地ならざるが故に熱心少なきことならんと雖ども海上の船に至ては日本形の脆弱なる者と西洋形の粗なる者とを運用し今日現在に荷物を失ひ人命を損して社會の禍を爲すに非すや即ち世人の常に目撃する所にして仮令ひ傍觀者にても其國の爲に不幸たるを感せさる者はなかる可し傍觀者に於て尚且然り况や當局の航海者に於てをや必す其船の善良堅固なるを願ふことならん其これら願ふの切なるは軍人か弓矢槍劍を棄てゝ火器を得んことを願ふの情に異ならさる可しと雖ども之を願ふて之を得さるは何そや資本に乏しけれはなり、傍より之を補助する者なけれはなり左れは今我政府に於て一定の法を設けて造船航海の業を保護し次第に之を奬勵して其製造を堅牢ならしめ其渡航を安全ならしめ遂には日本〓製のものをして其跡を絶つこと今の弓矢槍劍を視るか如くならしむるは國の大計に於て焦眉の急と云ふ可き者なり

英國の航海條例は起原甚だ古くして其時代明白ならす千六百年代の央「コロンエル」の政府の時和蘭の海運旺盛なるを嫉み彼れ取て之れに代る可しとの趣意にて頗る嚴密なる條例を英國中に布告し次て「チヤールス」第二世の時有名なる英國航海條例を布告し爾後百五十年間即ち千八百年代の始まて熱心に執行したり條例の大意は海外諸國の産物を英〓〓〓に輸入するには船主は英人にして水夫四分の三以上英人を使役する船にて直ちに〓物品の生産地より船〓すへし外國船にて〓〓を〓〓又は一旦外國へ積行きたる産物を其國より更に英國へ輸出する〓〓禁す云々此條例の結果は和蘭をして海上の權力を失はしめ英國をして代て世界の海王たるに至らしめたりと云へり

此航海條例は直に資金の保護を與へすして禁令を以て保護するものなり今我日本に於ては外國の貿易も誠に寒々たるものにして禁令を設るも保護の功用をば爲さゝることならんが故に我輩の所見に於ては政府にて其財政の都合に從ひ毎年若干の金を投して全國の造船及ひ航海を保護すること緊要なりと信す然かも其保護は我か海國にて航海の不完全なるを感するの度に從ふ可きものにして政府の當局者は何程に之を感するや知る可らすと雖ども我輩の感觸は頗る頴敏にして今日の日本の海運に居ては海外の文明諸國に對して聊か慚愧を覺る者なり世論喋々政府より商工の業に保護すれば爲に競争の念を斷て國の爲に不利なりと云ひ或は政府より保護を被る者が獨り權を専にすれば他の保護を得さる者は之と競爭せんとして遂に失敗するが故に不利なりと云ひ樣々の議論あれども是等の弊害は單に保護より生するものに非ず其保護を施すの方法宜しきを得さるより生する所の弊害のみ即ち日本政府が日本全國の造船及び航海を通覽して其一部分を保護して他の一部分を疎外するより生す可き所のものなり〓て易へて云へば政府が造船航海の事柄を見ずして造船者航海者の誰れ彼れを見て誰を内にして彼を外にするが如き政畧より生す可きものなり苟も政府にて眞實無偏無黨の心を抱き其大目的を海運擴張の一點に定めて西洋新法の造船航海を奬勵し日本形の船をして次第に其跡を絶たしめんことを勉め、保護するものは一般に西洋形の船なり、一毫の保護をも與へずして疎外する所のものは一般に日本形の船なりと唯此二樣の間を區別の事を行ふたらば保護は保護に相違なけれども一般の保護なるが故に競爭云々の點に於ては保護を被りながら保護なきものに等しくして曾て弊害を見さることならん過日來雜報中に記したる「アルヴヰン」氏の意見書なりと云ふ其書中に日本の造船所に就き汽船風帆船を造る者へ保護金を付與し又其航海里數に準して同樣に之を付與す云々は至極の考にして我輩も同意なり但し其造船の保護に就き外國舶來の材料を用るの多寡に由て保護の厚薄もある可く又外國より購求するものにても海上保険の附す可き船なれば之に航海里數の保護を與るは無論なれども其購求のときにも大船をば多少に保護するや否尚考案を要することなり盖し今日の有樣にて我國の造船所に於ては未た大船を造るの塲合に至らす〓ひて之を造らんとするには其〓〓〓にして或は行はれ難きもの歟と思はるればなり〓〓〓〓〓〓〓の〓〓なれば〓