「埃及國の変報・」
このページについて
時事新報に掲載された「埃及國の変報・」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
埃及國の変報・
昨日の時事新報雜帳欄内に於て報道したる如く埃及の「アレキサンドリヤ」港碇泊の英佛聯合艦隊は一昨十二日の晩を以て同港を砲撃するとのことなり此報知は印度「カルカツタ」府より電報ありたる者にて未た其後の報知を得ず事實の眞僞判然ならずと雖ども過日來續々紙上に登?したる埃及國の景状を參照すれは到底此開戰を免れ難きの兆あるを以て此報知は蓋し信に近しと思考するなり
「アレキサンドリヤ」は亞非利加の「ナイル」河口に在る埃及國第一の貿易塲人口十六万餘地中海の東部に古來有名なる良港なり市街の地形は丁字形に海に突出したる小半島の全面を占るものにして三面皆海、港内水深く碇泊の船舶陸上を距ること最も遠きものにして四五丁を出てず且つ陸上砲臺等の武備甚た不十分なるを以て今英佛の艦隊か此貿易上の良港を三面より掩撃せんには一瞬にして破碎微塵とならんこと疑を容れず或は此度の騷乱をして單に「アレキサンドリヤ」の一港にのみ限らしめ且つ 一昨曉砲
撃の一擧を以て此騷乱の局を結はしめんには目下世界の貿易上に著?しき妨害を與へさる可しと雖ども果して公衆の想像するか如く此騷乱をして急に其局を結はしめず埃及人をして必死の力を極めて英佛に抵抗せしめなば夾旬にして其終局を見る可きに非す隨て地峽の通運就中「スヱス」運河の通航を停止す可きを以て亞細亞歐羅巴両大洲の貿易交通上に無上の妨碍を加へ其害の波及する所至大至廣實に吾人か想像し得さる程のものある可しと信するなり
埃及は土耳古の附庸國にして千八百七十九年以來は更に英佛兩國の附庸國とも云ふ可きものと爲りたり近世藩王の意見を以て頻りに無用の虚飾を事とし王家の奢靡官吏の貪婪は更なり大に内地の水利開墾等を企て其得る所費す所を償はす然るに外債の法ありて政府歳入の不足を一時=縫するの手段あるを以て此費用に應すること甚た易く頻年募集の國債今日に至ては積て五億万圓の巨額と爲り隨て漸次國税を增加し全國の人口五百五十万人に向て不相應なる巨額四千二百万圓を毎年収入するに至りたり國債の債主は英佛兩國の人民其多きに居るを以て埃及政府財政困難の爲め國債の元利償還に固く其約束を踐むこと能はさるより兩國の政府は漸く埃及の内政に干渉し遂に千八百七十九年に至て威力を以て埃及政府に迫り時の藩王「イスメール」を廢して位を其子に傳へしめたり現今の藩王「チウ?イツク」是なり英佛兩政府は此廢立と共に爾來各一名の監視總官を埃及に在勤せしめ同國歳出入の豫算百官=陟等の大權を掌握し万機の政を監視せしめ實際埃及人は其國を失ひたるに異ならす斯の如き有樣なるを以て苟も埃及國人にして英佛人の奴隷たらさる以上の者は自國の衰運を歎し英佛の壓制を憤らさる者なく一身を犠牲にして英佛の覇軛を脱せんことを誓へり所謂愛國黨なる者即是なり然るに英佛政府か監視總官を派遣し埃及の大政を擅にしてより以來は務めて外債償還の義務を全うし債主の滿足を得んが爲め先つ政府各般の費用を節?し就中大に陸軍の經費を?殺して一年僅に二百万圓を出てさらしめたり之に依て陸軍二万の將士は不平惜くこと能はず幾度か一揆暴動の企ありたれども十分の成績なし陸軍卿「アラビ、ベイ」は此將士を指揮し愛國黨の首領として威名國中に赫々たるを以て英佛政府の之を嫌忌すること蛇蝎啻ならず英佛政府は=弱の藩王「チウ?イツク」を使令して「アラビ、ベイ」を退けんとすれども=く其意を達すること能はす「アラビ、ベイ」は武力を以て英佛を壓=再ひ自國固有の政權を恢復せんとすれども其力固より足らず兩間の軋轢日に益甚しくして遂に今日の極度に達したるなり
以上は今度騷乱の近因なりと雖ども時勢の大体より觀察するときは埃及國が今日の如く挽回す可らさる危運に陷り不日將に亡國の列に加はらんとするに至りたるの遠因は今代の文明是なりと云ふ可し元來埃及國の=形たるや東西洋間に最第一の要衝を占め世平かなれは貿易必=の門たり世乱るれは一夫之に當て万軍進むこと能はさる==たるを以て苟も軍國に志ある者は之を占領して其富強に貢せんことを欲せさる者なし佛帝「ナポレオン」第一世が千七百九十八年に此國を侵奪したるも英國貿易の=を扼して自國の武威を輝さんとしたるなり然るに今日に至るまて其小弱にも拘はらず埃及國が能く其餘喘を存し得たるものは今代文明の利器蒸氣電氣等が未た其用を逞うせさりしを以てなり千八百五十九年の頃地中海の「アレキサンドリヤ」港より紅海の「スヱス」港迄鉄道を布設し同時に海底電線を以て歐洲との關係を密接せしに至て埃及の形勢を一變し次で千八百六十九年に佛人「レセツブ」氏が「スヱス」港より地中海の「ポルト、サイド」に至る八十七英里の地峽を横斷して運河を通し軍事貿易を問はず東西の交通は一切此道に由ることとなりてより埃及の形勢再變したり埃及原住の「アラビヤ」人種は歐洲諸國の人と其宗教風俗等を異にするのみならす其才識も亦半開の民に固有のものたるを以て文明の利器の媒介に由て隔等の歐人と密接雜居し尚其舊來の地位を維持し永く其居て人の羨望する世界最要の地に占め得るの理なきや明なり文明は長=疾馳して人間を扇ることなし埃及人をして時に及て其眠を覺し廣く万國の形勢を察して相後るヽことなからんことを勉めしては蓋し今日の慘禍に陷らさる可きか