「亞國より來翰日本雜貨之說」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「亞國より來翰日本雜貨之說」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

亞國より來翰日本雜貨之說

亞國にて日本生糸の景况は本月十日十一日兩日の社說を以て報道せし如くなるが昨日叉同國在留の友人より一書を得たり此人は多年彼の國に於て日本の雜貨を取扱ふ商人なるが雜貨とは團扇、扇子、兩天、唐傘、杖、鈞竿、錦繪、日本紙等其數甚た多くして漸く聲價を高くし就中團扇の如きは亞米利加全國到る處として之を見さるはなし殆と日常必要の品と爲りたる有樣にして叉この團扇の物たるや日本の竹と日本の紙を材料として日本人の手に限りて成るものにして他國人の競爭す可らさる品なれば日本に於ては屈強の輸出品たる可し其外扇子にても傘にても其製作の巧なるは獨り日本人の專にする所にして且今日の處にては日本職工の賃銀も甚た貴からすして品物の原價は低く愈以て他國人を壓倒す可き筈なれども今日の實際に於ては却て然らず例へば佛蘭西より亞國へ輸入する扇子は日本の扇子よりも製作拙にして價は貴けれども亞國の商人は佛製の品を仕入れて日本製のものを買はず甚た怪しむ可きに似たれども商賣上に於て果して然る可きの理由あり其次第は佛==輸入の扇子は毎年凡そ定りの數ありて其價にも亦决して大なる變化あることなし故に亞國の扇子の商屋にては一=賣捌の見込を立てゝ幾萬圓の荷物を仕入るゝも必す見込の通りに賣捌くこと容易なれば品物を所有するは金を所有するに等しき姿にして大丈夫なれども之に反して日本の品を仕入るゝときは其價の變化測る可らず年の=に當て日本の雜貨====扇子百本二十圓の代價にて千圓の荷物を引取り夏にならは之を賣捌かんとて藏に貯置たる處=初夏に至て=人は雜貨商乙より同藏の扇子百本を十五圓にて引取たる者あり即ち先きの引取商は未た手を動かさすして既に二百五十圓の損亡を蒙る者なれば日本の雜貨を仕入るゝは極て危險なるものとして手を出す者甚た少なし

右は唯扇子の一例なれども百般の雜貨皆=ら==はなし全体雜貨なるものは人生必用の品には非すして一時の流行に從て之を珍重するまてのことなれば其品の實=如何を問ふ者は少なし例へば日本製新形の杖にて一本三圓と云へば三圓の如くに見へ世間にも之を三圓=して上等の都人士も之を携ることなれども日本の本國に居る雜貨輸出の商人等が之を聞傳へ亞米利加にては竹の杖が一本三圓とかや我れは二圓にて苦しからす否な壹圓にても半圓にても我れは寧ろ三十錢を以て之を賣らんとて三圓より三十錢まて次第に輸送して次第に價を減するのみならす銘々の思々に原品を仕入れ彼の國一年の需要供給の數をも計らす恰も寳の山に金を堀るの熱心にて一時に荷物を送るか故に在亞引受人の藏の内には竹の杖の山を成し之を賣らんとして賣れす之を積戻さんとするも運賃安からす===谷るの塲より乃ち之を見倒商の手に渡せは三十錢尚貴からす二十錢に非されは半價十五錢これより運送の雜費を引去れは品物は無代價に異ならす市中にて日本杖の價俄に下落するときは=に三圓=せられて都人士の手中に在るものも自から品格を落して人情復た之を手に触るゝを=とせす遂には之を子供の犬打つ棒に供するのみ即ち日本國産の聲價を失ふたるものなり

杖の如きは雜貨中に重もなる品にも非されども大切なる商賣品と稱す可き團扇も同様

の禍に罹りて日本人にして損毛を蒙りたる者甚た多し最初は一本二十五錢なるものか十五錢と爲り十錢と爲り飛て下て一錢二錢と爲りたるものもあり畢竟其本を尋れは我國の雜貨輸出商に團結の念なくして自由自在に銘々の働を退ふし内に相競爭するのみにて外に爭ふて知らさるの評なり多年來亞國に日本の雜貨を送て大に利を得たる者もなきに非され===有て當に無し之を他の損毛したる者の損と平均したらは日本國の大計に於ては所得を以て所得を償ふに足らさることならん傳へ聞く日本にては方今政治の議論無く喧しくして往々政黨の團結ある由政談客の爲にも政府の爲にも甚た大切なることならん當局者は須く=機す可きことなれども狼者共は亞國の紐育に=居し觀る所は商賣の證券、自から=る所も亦商賣の事にして心事實商賣の一方に偏りて他を=顧るは=たらす先た一身を富まして次て一國を富まし富貴極は大日本國の一=に當らす當商賣の===人と爭はんと欲するのみ何卒在日本の雜貨商も彼の政黨の團結の如くに仲間組合を立てゝ外人の輕侮を=かんこと呉々も====所なり云々