「局外窺見」
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時事新報に掲載された「局外窺見」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
たること多く其心事常に仁に向ふ者を名けて仁者と稱し、之に反する者を不仁者と云ふのみ。若しも然らずして
其行事の局處に就き細目を擧げて評論を下だしたらば、天下古今の人皆仁者ならざるはなく又不仁者ならざるは
なくして、結局仁不仁の論は立つ可らざるものと知る可し。
左れば人間世界は至て廣大なるものにして、論説の廣きは土地の廣さの廣きが如く、其多端なるは人口の數の
多きが如くにして、一人の智力にしては殆ど眼も心も及び難き程のものなれば、他人の發論行事を聞見するも決
して其一局部に就て是非の判斷を下だす可らず。況や己れに異なる者に於てをや。己れに異なりと云ひながら、
其己れは卽ち先方の人に異なる者なれば、此方より他を非とすれば他も亦此方を非とせんのみ。故に議論の主義
を定るには、勉めて其主義の包羅する所を廣くして他の議論を容れ、之を容れ之を許し毫も忌む所なく毫も愛
憎する所なく、遽に之を見れば錯雜無主義と思はるゝ程の寬大を極めて、唯其最後の極端に至りて一點の動かす
可らざるものを守ること緊要なるのみ。譬へば寒暖計を以て我が主義は其沸騰點に在る歟、氷點に在る歟、先づ
之を定め置き、眼界を廣くして江湖を見れば、溫なるものもあらん冷なるものもあらんと雖ども、之を咎るに足
らず、其溫冷は固より相對の關係なれば、一時我主義に反するに似たるも漸くにして然らざるものもあらん、其
局處は反對なるも大體の方向に於て同一なるものもあらん、唯最後の極端たる寒熱の一點に向て、共に進む可き
ものを友として、之に反するものを敵とす可きのみ。
世間年少き輩、又學問の思想乏しき輩は、動もすれば其議論上に敵味方を作ること多くして、心事常に忙はし
く、爲に世の平安を妨るものなきに非ず。蓋し年少ければ血氣壯にして感觸の力強く、人の片言を聞て忽ち是非
の判斷を下だし、怒ることも易く喜ぶことも亦易くして、敵を得ることも容易なれば味方を得ることも亦容易な
り。又老成と稱する人物にても、學問の心掛けなくして文思に乏しき者は、瑕令ひ實際の熟練あるも社會の大勢
を道理上に視察すること能はずして事の局處に眼を遮られ、怒る可らざるを怒り恐る可らざるを恐るゝ者多し。
例へば在昔、加藤淸正、福島正則の流は豐臣の忠臣にして實に豐臣家の爲には身を致すの覺悟なれども、豐家の
大敵は德川なるを知らずして徒に小西石田等の奸を怒り、却て大敵の恐る可きを忘却したるが如し。畢竟是等の
忠臣、忠は則ち忠なれども文思に乏しくして社會の大勢を推考する能はず、局處に眼を遮られたるの罪と云ふ可
し。記者曾て云へることあり、人生怯儒の心は不知より生ずと。人の天稟怯勇の別ありと雖ども、怯の甚しきは
不知より生ずるを常とす。山國の人は波濤を見て恐れ、海濱の民は山谷に入て恐る。物の恐る可きに非ず、知ら
ざるが故に之を恐るゝなり。文士が戰場に臨めば唯砲聾を聞て恐怖すれども、兵に巧なる武將は千軍萬馬の虛勢
に驚かずして却て敵の夜襲に心を配て之を恐る。卽ち軍陣の大勢を知ると知らざるとの差違なり。然りと雖ど
武將は軍陣に大膽なる程に文事に於ては甚だ怯なり、文士は戰塲に怯なる程に文事に在ては則ち勇なり。世説云
々、輿論云々、武人は之を聞て忽ち之を恐れ、其處分は必ず之を兵略に訴る者多しと雖ども、文士は決して然ら
ず、容易に世説に惑はず、容易に輿論に驚かず。其これに惑はず又驚かざるの有樣は、武人が千軍萬馬を恐れざ
るが如くにして、却て其世説輿論外に恐る可きものを恐るゝは、武人が敵の夜襲を恐るゝに異ならず。何れも皆
當局者の知不知より生ずる所の怯勇と云ふ可きものなり。
以上所記の説果して事實に違ふことなくんば、此廣き人間社會に居て、是ぞ我主義なりとて人をも導き身にも
守らんとするには、其主義の範圍をば勉めて廣大にして、衆主義の容る可きものを容れざる可らず。彼の血氣の
壯年又は不文なる老人等が、容易に敵味方を作て容易に爭ひ、以て社會の平安を妨るが如きは我輩の取らざる所