「局外窺見」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「局外窺見」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

我輩が今の日本社會に居て守る所の主義は、西洋の文明を取て我國の固有と爲し、我本来の文明に併せて之を

獨立せしめ、國民の智德を次第に高尚に進めて進歩の秩序を誤ることなく、開闢以來無缺の金甌をして千萬年も

缺ること無らしむるのみならず、尚進で國威を世界中に耀かさんとするの一事のみ。抑も西洋の文明と我日本の

文明とを比較して、彼れは文明なり我れは不文なりと云ふ者なきに非ず。畢竟西洋の士人が我國情を視察するに

左までの勞を用ひず、僅に三、五年の聞見に據て評を下だしたるもの歟。若しくは十數年の間公務商用の傍に一種

類の日本國人に接して其言を聞き、或は古来刊行の書類を讀み今日發兌の新聞紙等を見て早々に審判したる者に

過ぎず。古來交通の不便利なりし日本國内、今日に在て其國人たる我輩と雖ども、生来未だ曾て見ざる所の處に

至て其地方の風俗習慣を察すれば、生來未だ曾て知らざる所のものを知て驚愕することなきに非ず。況や西洋の

客に於てをや。瑕令ひ我國情の視察を以て專一の業として、勞して之を求るも其眞實を得るは難きことなり。且

今の實際に於て我れは西洋に學ばんとするもの多くして、西洋の人は我れに學ばんとするもの少し。學ばんと欲

する者は熱心なれども、否ざる者は其心も亦冷ならざるを得ず。故に西客が我日本の國情を知るの知見は、我日

本人が西洋の國情を知るの知見に及ばざることならん。多年來彼の士人にして久しく日本に在留し我事情を探索

して書を著はしたる者あれども、苟も我國の眞面目を寫したるものは極めて稀にして、大槪は皆皮相の觀察に非

ざれば訛傳誤報の雜錄たるに過ぎず。以て西客が我國情に迂闊なるを見る可し。蓋し西客が殊更に説を作て誤を

傅へ我眞面目を掩ふて裏面の缺典を示さんとするの惡意に非ず、眞實これを知るに由なくして之を知らざる者な

り。

然りと雖ども東西相比して其國勢の盛否如何を尋れば、形體上に於て我日本の國勢は西洋諸國に及ばざること

遠くして、我國民は既に已に之に心醉したる者なり。心既に醉へり、判斷の明も亦自から穎敏ならず。只管彼の

文明を稱賛して、其極度に至ては文明の何ものたるをも分析究明せずして、槪して我れは不文なりと自から認る

者もある其最中に、恰も西洋の人は我國情を皮相して、一切の事物に就き不文半開等の妄評を下だして、以て今

日の名を成し、漫然たる江湖、我れは不文なり西洋は文明なりとて、嘗て之を疑はざるは我輩の常に遺憾とする

所なり。我輩固よりかの日本癖なる者を學て漫に國惡を忌み國美を誇張して事の實を失ふを好まず、唯願ふ所は

西洋の文明を取るに當て其取捨の明を明にして、徒に勞することなく又徒に恐るゝこともなく、以て世界共同改

革進歩の道を與にするに在るのみ。先づ爰に東西の文明を比較して其道德の原論如何を視るに、古來我國の德敎

は儒道と佛法とを以て組織し、西洋諸國に於ては耶蘇敎を以て根據と爲せり。其説く所少しく相異なるものなき

に非ざるも、畢竟善を善とし惡を惡として人を害するなきの私德を明にするに止まるのみ。東西の道德、其主義

相同じと云はざるを得ず。啻に東西相同じきのみならず、世界古今正しく同一なりと云はざるを得ず。左れば主

義の正邪を論ずるは道德論者一局部の爭にして、我輩の關する所に非ざれば之を閣き、其德敎の發して人民の行

事に現はるゝ所を見るも亦大に異なる者なし。之を耶蘇敎の十誡に質すも儒道の五常に徴する唇著しき差違を見

ず。儒佛の人民よく父母を敬愛し、耶蘇敎の人民亦父母に孝ならざるに非ず。殺人、盜偸、詐欺の如き、仁義の 

敎に浴したる者も之を愼しみ、十誡を守るの民も之を爲さず。或は又雙方の風俗習慣を相互に一見して大に驚き、

未だ其内情を詳にせずして遽に之を其人民の不德に歸するものおり。例へば數年前我地方に普通なりし男女入込

の湯屋の如し。今日にても溫泉などにては其禁制にも拘はらず往々入込なるものおり。外國の人が此浴室の體を

見たらば、幾名の男女裸體にて一室に群浴す、去りとは日本には夫婦の別もなく人倫皆無の國ならんと思ふも亦

謂れなきに非ずと雖も、此男女決して人倫を辨へざる者に非ず、否中等以上の士女にても溫泉に浴する等の時こ

そ斯の如くなれ、此士女が浴室を離れて家に歸れば其正雅虔貞なること亦想像外なるものおり。男女授受するに

渡り、手に菓子を抓て立ながら喰ふが如きものならん。其時其場所の然らしむるものにして、本人に固有する不

行儀には非ざるなり。又封建の時代に諸藩の士女の品行は一種特別のものにして、之を平均して最上の美と稱す

可し。或る藩にては其女子にして萬一不品行を犯すときは、父母これに死を命ず、若しも然らざるものは藩主よ

り其家を沒入するの法あり。又日本の婦人は年少にして良人を喪ふも生涯寡居する者多し。國法に於て決して再

嫁を禁ずるに非ず、再嫁三嫁妨なしと雖ども、風俗の微妙なる部分に於て兩夫に見ゆるを慊しとせざるもの歟、

割合にして嬬婦の數甚だ多きが如し。畢竟封建政治の壓制と一般に婦人の無力なるより生じたる事実ならん。論

點に由りては一槪に譽む可きのみにも非ざる可しと雖も、品行節操の一點に就て見れば風俗の穎敏なるものと云

ふ可し。 

下等社會の陋しくして其風俗の無狀なるは萬國普通の事にして、其極端を語るも無益の談なれば之を閣き、西

客が常に我國中等以上の家風を熟知するの機會を得たらば、彼の浴室混浴の疑團も消散することならん。之に反

して我國にて都會の風は田舎に異にして男女相接すること梢や近けれども、田舎の婦人は男子を見ること少なし。

客來の時にも之に接するは必ず主人に限りて婦人は席に出ること稀なり。此風俗に育せられたる日本人が西洋人

の習俗を聞傅へ、其紳士貴女が動もすれば手を携へて歩行し車を共にして往來し、年少の士女たりと自由自在

に談笑遊戲して咎る者もなく、一室に對坐夜話して傍に人なきを妨とせず、殊に彼の「ダンシング」の如き、貴女

の上部の肉體を殆ど露出して男子と相擁し、肉體相接して踏舞し、或は親愛の朋友親戚相逢ひ相別るゝときは男

女の別なく接吻するが如きを目撃すれば、大に驚愕し、西洋は禮儀の國に非ず、男女の別を知らざる者なり、醜

體の醜たるを知らざる者なりとて、一見先づ速了する者なきに非ず。然るに西洋上流の其内部に入て之を視れば

純然たる禮儀の國なり。士女自由に談笑するも其談笑は必ずしも常に淫奔の媒介たるに非ず。「ダンシング」なり、

又接吻なり、唯其國固有の風俗にして、其道德禮儀の上には毫も係あるものに非ず。事柄こそ異なれ、我國の

懇親宴會にて酒闌なるとき衣を脱して裸躍する人あれども、宴散ずるの後は此人決して禮儀を知らざる人に非

ざるが如きものならん。都て一國に固有する風俗習慣の進退は極めて遲々たるものにして、遽に人力を加ふ可ら

ず。若しも強ひて之を進退せしめんとするときは、人心を痛ましめて物を害すること多し。在昔支那の康煕帝が

征伏したる人民に辮髪の巖命を下だし、魯西亞の「ペイトル」大帝が歐洲西方の風俗を輸入せんとして其國民の衣

服と髯に一種の保護税を課したるが如き、是なり。故に今西洋の人が盛夏炎暑の時節に其靴を脱して愉快を覺へ、

日本風の浴衣を着て便利なりとするも、容易に其民俗を改む可きに非ず。日本の人が西洋の服を服して西洋の食