「局外窺見」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「局外窺見」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

西洋近時の文明は悉皆智學の成跡にして物理の原則に出でざるものなし。我國に於ても開國の初より此新法を

採用して、醫術、砲術、航海術を始とし、次で商賣工業の風をも一變して、又海陸の軍制を改る等、改革の事項

少なからず。就中運輸交通の方便は最も文明に大切なるものにして、其利器たる蒸氣、電信、郵便、印刷の法の

如きも次第に其必要なるを感じて、天下の人心漸く之に向ひ、維新以來は其進歩特に著しくして、國中に電信線

を架し、滊船滊車を運用し、郵便の法、印刷の法に至るまで、文明の利器は之を取て遺す所なきが如くなれども、

百事早々に出でたるが爲に、未だ其理を知らずして其物を用るもの少ながらざるか如し。例へば舊時の船頭か又

は新に航海に志す者が、滊船の風力に依らずして走るを一見し、是れは便利なるものなりとて、容易に其船を買

ひ容易に之を運轉する者あり。或は西洋船の結構を目撃し其機関の寸尺を計り、容易に其外形を摸して容易に新

艘を造る者あり。其これを造り之を運轉するや、素より學問上に出るに非ず、卽ち物理の原則を硏究して實地に

施したる者に非ざるが故に、往々甚しき過失を生じて禍を爲すのみならず、物を取扱ふて理を知らざる者は其物

に就て改革進歩の道ある可らず、其運用する所の船こそ西洋船なれ、其造る所の船の形こそ西洋形に似たれ、其

當局の人にして造船航海の理を知らざれば、日本船を造り日本船に乘るに異ならざるなり。叉例へば衞生の事を

議して其處置を施さんとするも、素と其事たるや純然たる理學上に關するものにして、生物の理を知り、化學の

理を知り、人身の生理を知り、人身と外物との關係を知り、其物の害を爲すの法を知り、其害を防ぐの法を知り

て、然る後に衞生の實際にも達して又新奇なる工夫發明もある可きことなるに、本來理學上の考もなく、又親し

く其書を讀み其事に觸れたることもなき人物が、集會等を催ふして僅に一、二先達の人の言を聞くも、其實際の成

跡は甚だ覺束なきものなり。又例へば外國と商賣の事を企て、外國の法に傚ふて會社銀行等を起す者は多しと雖

ども、其人物が必ずしも經濟書を講究したるに非ず、商法の學を執行したるに非ず、海外の歷史地理の大概さへ

尚知るに暇あらずして、外國の貿易を行ひ會社銀行等の役員と爲ることなれば、是亦理を知らずして事に當るの

譏を免かれ難し。又維新以來國内に運輸交通の道開けざるに非ず、沿海に西洋形の船も渡航し、陸には人力車の

用法も開け、又少々ながらも滊車の往來もありて、舊時に比較して便利は則ち便利なれども、固より今日の有樣

を足れりとす可らず。我輩の所見に於て、開國三十年來西洋の文明を入れて進歩したるもの少なからずと雖ども、

其進歩中に就て最も遲々たるものは運輸交通の道、是なりと云はざるを得ず。假に今外國の人にして日本に來遊

する者あらんに、其人が日本の兵隊を見たらば西洋に似たりと云はん。日本人が西洋服を服して西洋食を食する

を見たらば、西洋人に似たりと云はん。諸省諸廳に行て其内部の裝置を一見し、或は諸官員が式日に禮服を着け

て出頭する等の有樣を見たらば、全く西洋に異ならずとて驚くことならん。然るに此西洋に似て西洋の眞に迫る

日本國にして、運輸交通の便利如何を問関へば、海面に浮ぶものは大概皆日本舊形の船にして、陸には僅に人力車

を通じ、其人力車も天然の地勢平坦なる處のみを撰て往來し、東京より西京の間百二、三十里を行くに五、七日を

要し、尚進て中國路より九州に掛り長崎までの四百里は誠に悠々たる遠路にして、往て返るには三、四十日を費

す可し。但し是れは帝國の本街道にして、道の普請盾よく行屆き、橋々の修繕も怠らざるものなれども、左右に

分れて田舎地方の山間に入れば、人力車の通行す可らざるは無論、駕籠もむつかしく、僅に其土地に慣れたる倔

強の男が米鹽を背負ふて瞼阻を攀り又歩を計へて下るのみ。全國の七、八分は皆斯の如しと答へたらば、其外國

人は更に又驚くことならん。西洋近時の文明は交通の便利に在り。交通便ならざれば殖産起る可らず、殖産起ら

ざれば國力增す可らず。國に恃む可き實力あらざれば、如何に其國人が文明の服を服し、文明の食を食し、文明

の法を説き、文明の政を談ずるも、根なき草花が瓶裏の水に養はれて一時の春を裝ふものに異ならずとて、必ず

我國の爲に歎息することならん。

此外國人の驚愕、果して驚愕す可きことにして、其歎息、果して歎息す可きことならば、我日本人は開國以來

大に西洋の文明を喜び我舊時の弊を去て彼の近時の新を採用したりと雖ども、其探る所或は前後緩急の序を誤り

たるものなしと云ふ可らず。但し人智には限あり、鬼神の明を有す可きに非ず。開國僅に三十年にして恰も三百

年の進歩を爲したる日本人なれば、其間に順序を誤るも亦深く咎む可きに非ず。唯これを悟りたる其時に過を改

む可きのみ。且近來は世上に西洋流の政談を忌むの餘りに、一切の西洋説を排せんとする者なきに非ざれども、

畢竟無識無學の謬見のみ。我輩に於ては彼の洋服を服し洋食を食するの文明にても、決して之を文明とせざるに

非ず、固より之を嘉みして奬勵する所なれども、唯他に比して前後緩急の差を辨ずるまでのことなり。讀者之を

誤る勿れ。                                    〔七月二十七日〕