「朝鮮政略備考」
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時事新報に掲載された「朝鮮政略備考」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
我輩は本月五日朝鮮政略備考の一題を掲げて彼の國情の一班 〔斑〕を示し、爾後續々兩三日の社説欄内を充た
して局を結ばんとするの趣向なりしが、紀事未だ半に至らず、事變の續報到來するに際して、其事に忙は
しく、七日より昨十日に至るまでは之が爲に暫く中止したれども、本日より復た初に返りて紀事を終らん
とす。故に本文は五日の續として見る可きものなり。
朝鮮國の人民を日本國人に比較すれば、身幹壯大にして食料も多く膂力強きが如し。我輩は之を見て羨ましき
ことと思の外、彼の國の識者は古來所見を殊にし、其人民の武を好み鬪を樂しむを憂て、其悍強を制するが爲に
專ら人を文に導かんとする方便の中に、最も著しきものは科擧の法あり。卽ち國人の文を試て官を授るの法なり。
科擧の試文に六體あり。曰、詩、曰、賦、曰、表、曰、策、曰、義、曰、疑、是なり。蓋し義とは大學、中庸、
論語、孟子、四書の義を明かにし、疑とは詩經、書經、禮記、三經の疑を解くことなりと云ふ。古來科擧の法を
定ること斯の如くなるが故に、全國學校の規則も家塾の敎授も皆この風に從はざるものなし。苟も家々の子弟が
就學の齢に達すれば、父兄の望む所も敎師の敎る所も、唯科擧の文を善くせしめんとするに熱心して餘念あるこ
となし。若しも年長じて能くせざる者あれば、卿黨これを笑ひ、朋友與に齒せず、父母の憂嘆、教師の失望、際
限あることなし。或は文を能くせずして武を以て出身する者あるも、彼れは武人なりとて世間皆これを賤しむが
故に、良家の子は武擧を願はず、武に擧げられたる者は、政府に在て文官と相對し其官位互に相當するも、右文
左武の風盛にして、第二流の地位に居らざるを得ず。之を要するに朝鮮は今日正に詩賦文章の國にして、政府の
力も人民の力も悉皆文に用ひて餘す所なしと云ふも可ならん。其政府にて心を用るの周密なる一例を擧げんに、
前節に云へる如く平安道咸鏡道の人は他諸道に殊にして、動もすれば武に趨るの風あるを以て、政府は特に之を
憂ひ、此二道に科擧の法を行ふには通常六體文の外に特に講經の法を設く。講經とは經書を講ずるの義にして、
科擧のときに四書三經の本文より其正註細註に至る迄も之を暗誦して其義を講ぜしめ、一句不通のものあるも落
第するを法とす。故に家々の子弟は幼年の時より諧誦に精神を費し、父母これを責め師友これを叱咤し、通夜眠
らず終日食はず、其慘刻實に名狀す可らずして、往々之が爲に病を發して死する者多し。斯る習俗なるを以て、
平安道の人は一家に三男兒あれば其三名中に智力最も多く體力最も逞ましがらんと認る者一名を撰て讀書に從事
せしめ、其餘の心身薄弱なる者をば農と爲し商と爲すと云ふ。文を勤ること斯の如く、一般の風を成して、苟も
衣食聊か完き者なれば詩を賦し文を草せざる者なし。常民社會に至るまでも同樣にして、且又科學の法衣も五族の
孰れを問はず皆これに應ず可しと雖ども、及第して官を授けらるゝに至れば、各其族の等級に相當す可き地位に
用るのみにして、如何なる英才俊秀にても本來の族外に抜擢せらるゝは極めて稀なり。尚文の風盛なりと雖ども、
未だ以て門閥を破るに足らざるものならん。
國教は儒佛二樣にして、儒敎最も盛なり。凡そ國中三尺の童子と雖ども、孔子の尊きを知らざる者なし。佛敎
も國中に廣からざるに非ずと雖ども、大抵下等社會に行はれて、上流の士君子には之を顧るものなし。蓋し佛法
の朝鮮國に衰へたるは其年久し。今より五百年外、前政府王氏の時代には、王室を始め上等の社會にて大に佛を
信じ、佛に奉ずること厚かりしかども、李氏の政府は廢佛の主義にして、革命の後、一時に之を擯げてより、全
國の佛道次第に衰微して遂に囘復するを得ず。今日にても國中稀に寺院の洪大なる者なきに非ざれども、其稀有
の大伽藍は必ず前政府時代に建立したるものにして、五百餘年の古跡たるに過ぎず。今日は唯其敗頽に任するの
み。斯る有樣なるを以て、僧侶の權力も甚だ微にして、殆ど士君子と齒するを得ず。唯鰥寡孤獨の緣る所なき者
が出家して僧と爲り尼と爲り、僅に下等社會の慈善に依賴して生活するのみのことなれば、佛者に人物なきは固
より自然の勢にして、我國の佛門に比すれば天淵の相違と云ふ可し。日本人より考へて一奇事とも云ふ可きは、
朝鮮の國法に於て僧侶を兵に役すると云ふ。此一事を見ても佛法の盛んならざるを知る可し。 〔八月十一日〕