「元山の小變事」
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時事新報に掲載された「元山の小變事」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
昨日馬關よりの電報に據れば先月三十一日元山に〓ても兇徒二百名〓〓して〓〓〓を破壊したる〓、〓く日本人は無事とあれば〓〓〓〓の〓國人は〓〓〓〓したることならん此變乱は〓〓〓〓し〓〓〓〓〓〓〓たる〓〓一片の〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓は〓〓り〓〓〓〓〓れ〓朝鮮人の内にては〓國家の一名にして常に日本人にも厚く遇することに心〓〓之が爲に内國に向ては人望を失ひ〓聞は日本癖などの〓〓〓〓たる人物なりとのことなれば此〓の變も或は其〓〓〓〓たる〓〓計る可らず何は扨置き本年春〓〓〓〓〓〓〓〓の〓〓兎角穏かならず殊に先月二十〓〓〓〓〓〓〓〓〓全國一〓に殺氣を催ふして〓々〓る〓〓に及ぶも〓〓〓の然らしむるものなれば今〓〓〓〓〓〓も〓らざることなり唯我輩の大に掛念す〓〓〓〓〓〓〓釜山の居留人を保護するに其用心の厚薄〓〓に在〓〓〓實は今日申すも甲斐なきことながら本年三月下旬〓邊府〓報の〓我輩は深く後日の再發を恐れて不取敢釜山元山仁川の三港へは我居留人護衛の爲に軍艦を派遣せられ又同時に海底電信線〓〓するの要〓〓〓を切論したれども其論も行はれず〓〓〓日〓至〓しは遺憾に堪へず若しも當時我輩の〓言を〓〓〓〓〓〓の注意を惹〓すことを得せしめた〓〓二十三〓の變乱にも我公使を始め京城居留の日本〓〓〓〓〓〓〓得たるのみならず或は其變乱も斯〓大事に〓〓〓〓〓も計る可からず又三十一日元山の〓發に際しても其近海に常繋の軍艦一隻ありたらんに〓居留人の安心は如何ばかりなる可きや返す々々も殘念なりと雖も〓往の事は追う可らず唯今後の處は少しも怠慢することなくして遣兵の用意を專一とす可きのみ世間の論者は我輩が兵の字を〓す毎に〓〓して之を恐れ或〓我輩を評して開戰主義なりと云〓〓〓〓〓〓〓を以て朝鮮の内政に干渉する者なり〓〓〓〓〓〓〓〓〓無稽の笑ふ可きものなり我輩の〓〓〓〓〓〓我〓時事新報の紙面に在り論者よく其文〓〓〓〓〓〓〓する所あれ極めて古風陳腐なる言なれども論者の了〓を便にせんが爲に敢て告る所のものあり文に〓を止めを武と爲す武の旨たるや徒に戰を開き人を殺すの爲に非す大に開く可きの戰を小にし、多く殺す可きの人を少なくする即ち武の字の字義〓〓〓〓〓〓〓〓の變に就て論を立たるも此趣意にし〓〓〓〓〓〓〓〓しに異ならず世の論者もよく事〓〓〓〓〓〓〓〓し京城の變をして第二の安邊たら〓〓る〓〓て〓めなば我輩は以て滿足す可きなり