「朝鮮政略備考」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「朝鮮政略備考」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

朝鮮國の政體は素より君主專制にして、大臣公卿、如何なる佳猷を案じて之を建白するも、君主聽かざれば施

行する能はず。君、惡政を行ふて、臣下これを諫るも、君用ひざれば又如何ともするなし。唯間接にも君主の擧

動を制するものは、數百年來朝野の全面を支配する古習舊慣の力あるのみ。

其官吏組織の大槪を擧れば、國王の下に在て政府最上の位に立つ者を領議政と云ふ。日本にて云へば太政大臣

なり。次に左議政、右議政あり。卽ち左右大臣なり。次に左右贊成、左右參贊、各二人、合して四名あり。之を

輔國大夫と云ふ。次は則ち六曹判書なり。曹とは日本の省の如きものにして、吏、兵、戸、禮、工、刑の六に分

ち、吏曹は官吏の進退黜陟を司り、兵曹は兵馬の事を司り、戸曹は戸籍錢穀の事を司り、禮曹は禮式祭典等の事

を司り、前年は外務をも禮曹にて取扱ひしと云ふ。工曹は建築營繕の事を司り、刑曹は則ち司法官なり。各曹に

長官一名あり。卽ち判書にして、我國各省の卿の如し。判書の次に參判あり。我大輔の如し。但し判書以上は必

ず貴族に限るの法なれども、參判は士族にて之に任ずる者もあり。參判の次は參議、次は正郎、次は佐郎等、屬

官百司、各其職掌あること、梢や日本の制度に似たる所もあり。

在昔は京城に五營を設けて兵員五萬と稱す。今は之を二營に分ち、七千七百の兵は現に之に屯すと云ふ。各道

にも兵營を置き、節度使を遣て之を管轄せしむ。前に記す如く、兵士は悉皆常民より取り、其兵制軍器共に見る

可きものなし。

八道に各方伯一名あり。之を觀察使と云ふ。文武の權を兼ぬ。其次に都事一名、裨將六名あり。都事は文官に

して中央政府より之を命じ、裨將は觀察使の命ずる所にして武官なり。

地方を分て州、府、郡、縣と爲す。但し州中に府あり、府中に郡あるの組織に非ず。唯地方人口の多寡に從て

之を區分して名を命ずるものにして、四者各獨立するものと知る可し。一州の長官を牧使と云ひ、一府の長官を

府使と云ふ。郡は郡守にして、縣は縣令なり。或は之を縣監とも云ふ。地方長官の次に位する者を座首と云ふ。

必ず其地の鄕族を用ひ、其他の小吏員は皆常民より擧げらるゝ者なり。常民も官の吏員と爲りて三世相續すると

きは、鄕族又は中族の籍に入ることあり。

又朝鮮國租税の法は曖昧なるもの甚だ多し。成規に於ては五族の論なく田土を有する者は皆税を納るの法にし

て、或は穀物或は穀代、何れも納税者の隨意にして、其税額の名は甚だ寛なるが如しと雖ども、地方官吏の私を

働くこと甚だ隨意にして、結局小民の頭上に課するものは甚だ重きの實あり。此納税の一事に就ても、常民以上

の四族は、自から官吏私曲の働を免かれて失ふ所少なし。又田租の外に戸布なるものあり。毎戸、布を織て納る

の舊慣を變じて、今は錢を以て之に代へ、布は唯名に存するのみ。是れも全國の毎戸、必ず免かる可らざるの成

規なれども、戸籍法さへ不分明なれば、其間に在て官吏の私するは甚だ容易なり。其不公平なる一例を擧れば、

戸布は朝鮮國中の毎戸と云ふ成規にして、京城幾萬の戸數には之を課せず。蓋し京城には有力家の住居する者多

きが故なり。譬へば日本の封建時代に、日本國中の武家屋敷より地税を納めたることなきと同様の譯けならん。

右の如く、地方の官吏又は樣々の俗吏輩が、政府と人民との間に居て、奸曲を働くは惡む可きが如くなれども、

我輩の所見にては必ずしも此官吏を視て惡人と認るを得ず。元來朝鮮官吏の俸給は極めて薄くして、其公然たる

成規の如く俸給のみを収領しては、迚も家産を立るに足らず。故に其奸曲と云ひ賄賂と云ふが如きは、恰も表向

の給料に當るものにして、所謂御大法の許す所のものならん。我德川政府の時代にても、一年の祿米三十俵か五

十俵の小吏が、相應に家産を立てゝ安樂に妻子を養ひ、時としては幾千百の資金を貯蓄したる者もあり。町方の

與力同心、地方の代官手代等の如き、是なり。何れも皆役德より生ずるものにして、其役德なるものを分析解剖

して之を吟味すれば、悉皆奸曲ならざるはなし、又賄賂ならざるはなしと雖ども、徳川の小吏、必ずしも悉皆惡

人ならざるか如し。左れば朝鮮政府の財政如何んを論ずるには、政府の筋に奸吏多しと云ふよりも、其紀律不取

締にして吏人に私する者多く、事實に私せざる可らざるの事情もあり、反故さらに私せんと欲すれば私するに容

易なるものなりと評して可ならん。                             〔八月十二日〕