「朝鮮政略備考」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「朝鮮政略備考」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

前に記したるが如く、朝鮮官吏の俸給は成規に於て甚だ薄し。一例を擧れば輔國大夫の月俸は米三石と豆一石

にして、政府の米倉より之を給す。其由來を尋るに、豐臣氏の來攻以前は輔國の祿米月に六十石なりしもの、大

亂の後財政頻りに困難に引續き、又清兵の來冦に逢ひ、政府は殆ど群臣を養ふこと能はず、唯謹倹を旨として次

第に官吏の役緣を減じ、之を半にし又四分一と爲し、輔國の祿も遂に六十石に易るに六十斗を以てするに至り、

以て今日の三石とは爲りしものなり。蓋し朝鮮の一斗は凡そ我五升に當り、二十斗を以て一石と爲すが故に、六

十斗は卽ち三石なり。唯六十の舊名を存するのみにして、其實は往年の二十分一に減祿したることと知る可し。

苟も朝鮮國の大臣にして、一年の祿米三十六石と豆十二石を以て家を成す可らざるは論を俟たずと雖ども、自

から別に歳入の道あり。卽ち夏季冬季兩度の方物、是なり。方物とは八道の人民より都て政府上流の官吏に地方

生産の物品を進呈することなり。夏季は團扇、扇子、帷子、蚊帳、麻布の類、冬季は絹布、皮革、冠履、紙、人

參の類、其品は固より各地方に從て一樣ならず、品の種類も甚だ多きことなれども、人民より之を呈するは國庫

に租税を納ると同樣の成規にして、漫に增減するを得ざるの慣行なり。輔國の家に呈する方物を價に評するとき

は一季一萬兩( 日本の三千圓)に下らず。輔國以上以下皆差等あり。故に彼の國の諺に、一輔國一度一萬兩と云

ふことあり。二季合して二萬兩、卽ち凡我國の六千圓なれば、相應に豐なりと云ふ可し。且一度輔國等の顯官に

任ずるときは、辭職の後とても唯政府より米祿を得ざるのみにして、方物は生涯これを牧領したる上に、死後尚

三年間は其例を癈せずと云ふ。

右等の事情なるを以て、朝鮮國に行て其官吏等に國民課税の厚薄如何を聞けば、甚だ薄くして支那の井田の法

よりも寛なるが如くに答る者あれども、其税は唯中央政府の國庫に納るものゝみにして、正租の外の雜課を枚擧

すれば五公五民の内外なる可しと云ふ。

租税の實際も既に苛酷なる其上に、時々獻金の事あり。之を願納と云ふ。政府にて臨時に金を要することあれ

ば、國中五族の執れを問はず、苟も資産に餘ありと認る者へ説諭して其幾分を上納せしむ。若し命に從はざる者

あれば罪必ず之に及ぶが故に、名は説諭にして實は脅迫なれども、尚外面を裝ひ本人をして資産獻納の義を出願

せしめて、政府は之を奇特に思召すの姿を作る。卽ち願納の名ある由緣なり。其體裁は我封建の時代に幕府及び

諸藩に行はれたる獻金法に異ならず。此願納の爲に國中の富豪が僅に其家産の幾部分を失ふは尚忍ぶ可しと雖ど

も、政府の眼にて何某を富豪なりと認めて其實は富豪ならざる者あり。或は人民相互に平素私怨ある者が、此願

納の機會を利して政府に其富實を誣告し、爲に大に願納を説諭せらるゝ者あり。若しも斯る不幸に罹りては、家

産を空ふして尚願納の金額に足らざることあり。慘刻甚しと雖ども、政府より一度び内命したる者は決して之を

免さず。是に於てか先づ願納當局者の家産を沒入して、不足の高は之を其親族に分賦して納めしむ。之を族徴と

云ふ。大院君の攝政十年の間に、朝鮮國中願納を以て破産したる者殆ど無數なりと云ふ。   〔八月十四日〕

〔註 八月十四日揭載の末尾に「以下次號」とあるが、この表題の社説はその後揭載されなかった。〕