「大院君の政略」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「大院君の政略」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

今日までの報道に從へば、今囘大院君は兵士の不平を利用して事を擧げたるものにして、其擧動最も活潑にし

て其成功最も速なり。一朝の運動を以て、之を私にしては十年の宿怨を報じ、之を公にしては以前の政權を囘復

したり。之を評して東洋の奸雄と云て可ならん。然るに此奸雄が朝鮮國の政權を一手に掌握して、愉快は則ち愉

快ならんと雖ども、今後の政略に就て果して所見あるや否。我輩は君の爲に大に憂へざるを得ず。君が政略の骨

髓は孔子の道を尊て外人を斥攘するの二者あるのみにして、今日は既に國母弑殺の名を得たり。孔子の道に對し

て弱點を現はしたるものと云ふ可し。是れは内國の事なれば如何様にも名を作て國民を瞞着し得べしとするも、

外人を斥攘するの一事に至ては殆ど其策に窮することならん。多年國中の人心を養成して斥和の主義を固くした

る朝鮮國に向て、其無禮殘虐の罪を問ふ者は誰ぞやと尋れば、一新洋鬼國たる日本政府なり。此日本政府の要求

に應じて自國の罪を謝し、其罪人を捕縛して巌刑に處し、其國財を出して償金を拂ひ、永世日韓兩國の交際を厚

くして毫も二心なきの證を表せんとするは、固より大院君の身に行ふ可き事に非ず、叉口に發す可き言に非ず。

卽ち其政略の骨髄を失ふものなれば、復た大院君なしと云ふも可なり。況や其罪人を捕縛して刑に處するが如き

は、今日の大院君にして昨日の爪牙股肱を殺すことなれば、股肱先づ亡びて身幹孤立す、途に又共に亡びんのみ。

過般の報道に據れば、君は彼の白樂寛の縲絏を解て之に大將の印綬を授けたりと云ふ。即ち大院君の大院君たる

所以なれども、今、日本より問罪と聞て俄に慌惶し、此白樂寛の一類を擯斥し、又其人の罪に從て之を刑に處す

可きや。至難の事と云ふ可し。

或は大院君の奸雄をして眞に大奸豪雄ならしめ、忽然其心事を飜がへして天下の意表に出で、昨非今是人事の

常なり、今吾は故吾に非ず、吾れは改進開國の主義に變じたるものなり、苟も今吾の主義に從ふ者は之を赦さん、

從はざる者は則ち殺さんとて、大膽不敵にも改めて開國の主領たらん歟。我輩は大院君の膽力を評價して、其働

のよく此點にまで至る可しとは信ずるを得ず。君も亦是れ朝鮮國の一學士にして、六十三齢の頑固翁のみ。據る

所は孔子の道にして、守る所は國體論に過ぎず。區々たる井底の管見に安んじて、世界萬國に文明あるを解せざ

る者が、一朝誤て已が安居たる井底を離れ、直に日本人に接して其文武の實況を目撃し、更に歐洲文明諸國の關

係を知り得たらば、膽破れ眼眩して爲す所を知らず、俗に所謂蔭辨慶を引出して公衆に直接せしたるものにして、

其狼狽想見る可きのみ。聞く所に據れば支那人も今囘の事に付ては大に周旋するの意あるがに如し。既に支那政府

の吏人は現に朝鮮の京城に在りと云ふ。此吏人は今囘の事に付て特に派遣せられたる者歟、或は其前米英等の締

盟に關して在留したる者歟、知る可らずと雖ども、支那の政府が朝鮮を以て屬國と認るの妄想は決して消散せざ

るものなれば、何れにも日韓の間に立入て周旋を試ることならん。卽ち韓廷をして一應の罪を謝せしむるの策を

定ることならん。此周旋は固より我日本の容れざる所なりと雖ども、大院君の爲には聊か便利なきに非ず。其次

第は、君は支那の名義を利して國民鎭撫の方便に用ひ、已が主義は素より攘和の一點に在て謝罪の念なしと雖ど

も、如何せん上國( 支那の尊稱)の周旋もあり、又これを無下に拒絶す可らず云々の口實を以て、曖昧糢糊の間に

人心を瞞着して一時内國の難を免かれ、顧て日本に向ては溫言以て罪を謝し、平和の外面を裝ふの計略を運らす

ことならん。我輩が臆測を以てすれば、頑固翁の策は大抵この邊に出るならんと信ずるのみ。

翁の計略此に出るも、我日本より要求の箇條を提出して遽に之に應ず可らざるは必然の勢にして、其間には言

を左右に寄せて、其罪を輕くせんとし、其期限を長くせんとし、今日は斯くと答へて、明日は又其れと變じ、甚

しきは主任者が病氣と詐り、又は日の吉凶を卜するが爲に談判を延期する等の奇談もある可し。何れにも堪へ難

き次第に立至るは今より豫め期す可きことなれば、我れより談判を開き、其返答次第にて、兎に角に釜山若しく

は江華島其外何れにても要衝の地を占據して談判の抵當と爲し、速に局を結ぶこと緊要なる可し。要償の談判に

兵力を用ひて抵當を取るは、誠に通常の事にして怪しむ可きに非ず。既に前年生麥の事變に關して英國の軍艦が

鹿兒島灣に闖入したるときも、未だ談判をも開かざる前に當時島津家に屬する軍用船二隻を英艦にて取押へたる

ことあり。是亦抵當の積りならん。談判を開かずして先づ抵當を取るは無法なれども、今囘苟も我問罪使が朝鮮

國に至り、一應談判の上、彼れより我要求に應ずるの實證を呈せざるに於ては、速に抵當を取るも妨げあること

なし。昔年の英艦に比すれば十分の寛大と云ふ可し。況や朝鮮人の緩漫なるは多年の事實に於て吾人のよく知る

所なれば、無抵當の談判は到底行はれざることと信ずるなり。                〔八月十六日〕