「帝室費」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「帝室費」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

昨日の時事新報雑報第一頁に記し奉りし如く畏くも我〓上?皇〓宮には昨年以来一層〓〓

〓〓〓を仰出されたるが〓〓帝室の費〓大に減少し十四年度分の如きは前年度に比して凡

そ七八分の一を少なくしたりとのことなり此事帝家各御一身上に取りては申す迄もなき御

美徳の一にして人民に於ては我帝徳の美を以て外人に誇るに足る誠に難有仕合にして慶祝

の至り永く斯くあらせられんことを希望して止まざるなりと雖ども我輩は帝家御一身上の

美徳を讃頌するの傍に又大に帝室費の増額を希望して忘るゝこと能はざる理由あるなり

讀者は記臆せらるゝならん我輩曾て時事新報の社説に於て帝室論十二篇を録載し大に世の

識者に問ふ〓ありしが右論中にも詳述する如く帝室は固と政治社会の外に在るものなり帝

家の眼中政黨もなく政論もなく超然高きに在て其尊厳神聖を有つものなり人間名誉の中心

となり全國人民の情を制し義を勵まし法律の欠典を補ふものは世間唯帝室あるのみ故に我

輩が帝室に望む所も亦決して少小ならず則ち〓寡孤獨を憐れみ孝子節〓を賞し以て風俗を

敦厚ならしむるが如きは我輩之を帝室に依頼せんと欲するなり是唯徒らに帝室の煩雜を希

ふに非ず帝室に非されば依頼す可きものなく法律規則に局促する政府の如きは此任に當る

〓最も不適當のものたればなり又學術技藝を獎勵し之をして政治社会の外に獨立せしめん

とするも我輩又之をして政治社會の外に獨立せしめんとするも我輩又之を帝室に依頼せん

と欲するなり今の日本の有り樣を見るに人間の名譽は唯政治の一點に限るものゝ如く朝に

在て政機を躬からせられは野に在て政治を論議するを以て人間第一の面目なりと人も云ひ

己れも信し遂に滿天下の志士をして其學者たり藝術家たるを問はす他の政治家論客と共に

〓を併へて政治塲裏に馳驅せしむるに至りたること我輩が國の爲に驚歎して措かざる所な

り故に今名譽の中心たる帝室にして大に學術技藝を獎勵し其人々を尊重惠顧し學問亦榮譽

を博するの一法なりとのことを示すに至らは學者藝術家も亦各其業に安じて他を顧みず日

本の學藝をして政治社會の風波に搖動せられて空しく枯〓するが如きの憂なかる可し

我輩は此等の緊要事を帝室に依賴して大に日本の文明を進めんとするに差當り帝室の要せ

らるゝ所は費用の増額たること論を俟たず然るに此増費は政府の力に及はさるものを補助

して文明の進歩を十分ならしめんとするに必須欠く可らさるの事業に伴ふものたるを以て

一日も速に之を實施して一視同仁の帝徳を大に宣揚することあらんと欲するなり故に我輩

は帝家に於て諸事御節減の美徳を讃頌すると同時に又大に帝室費を增加し會計年度の精算

毎に必す〓倍の增額ありしとの報告を得んこと我輩が深く希望する所なり

豐公論 第二

前節に述へたる如く豐公畢生の目的は天下調和の一義にして區々たる土壌を貪り又兵糧を

〓るにあらず日本の全土は〓を諸將に分封するも可なり尚〓地なくんば朝鮮を取り大明を

略し三國を合一して諸將に〓ゆるの志望にて大坂の第二城を金陵に築くの〓念なる可し豐

公の朝鮮を征するは歳既に六十に近き頃にて事業未就中途長逝し誠に哀む可しと雖ども若

し四十前後に此擧あらば明朝を?覆して四百餘州を席捲するに疑なきなり惟日本國内の早

く合同調和せさるか故其期の後れたることなれば朝鮮の役其功を奏せさりしも亦内國群雄

の豐公の意を悟らさるの咎にして豐公好て兵を用ひたるの致す〓に在らず世に豐公を論す

るもの曰く豐公は天下を分割して諸將に與へ遂に其餘地なきに苦〓征韓の役を起すと又曰

く豐公は群雄を控馭して其上に立てども戰國殺伐の氣風制し難き〓を以て其鋭を挫折せん

爲めに征韓の擧をなす固其本意にあらすと嗚呼是豐公の志を〓ゆる者と云ふ可し豐公の夙

志は日本全國を調和したる後朝鮮を取り明地を略し大に國威を海外に輝かさんとするに外

ならず故に全國を將士に國威を海外に輝かさてんとするに外ならず故に全國を將士に分與

して少しも吝惜する所なかりしは一日も早く全國を調和して巳か夙志を果さんとすればな

り全國を調和し外國を呑併せんとすればこそ土地を分與して將士を撫綏したるにはあらさ

るなり又其の殺伐の氣制し難きに苦て兵を外に用ひたりと云ふ如き妄も亦甚しと云ふべし

何となれば始め豐公の群雄を招撫するに皆豐公の意中を知る者なく抗旗を飜したることな

れば其一朝降軍の日には首領白刃の下に落つ可きに皆之を宥恕し剰へ適應の土地を〓て之

に與ふ是の故に當時の群雄皆豐公の度量の寛大なるに心伏す又何ぞ豐公の之を制し難き事

あらんや其北伐に當て單騎上杉の敵壘に入り景勝に面して懇に媾話を論し景勝遂に悦で其

官に従ひ又京畿の震災に從者なくして入〓し道に家康の兵を牽て入衛するに遇ひ其佩刀を

家康に授け共に入朝したる如き孰れも皆全國を調和合一する爲めの大智なり嗚呼當時天下

に英雄多かりしと雖ども眞の英雄は獨り豐公なり群雄は局部に齷齪したるに豐公は天下を

調和するを務む空前絶後の人物ならずや豐公の時葡萄牙の敎會日本に來り豐公に見へ其相

談する〓の〓を〓するの書あり其中豐公の言に予は遠からず韓明を〓取し三國を合一にせ

んと欲す事若し成らば汝等は恣に彼地に入り其敎を布け〓〓の敎會に一夫一妻を法とす予

之を爲しと〓ず其豪宕なるを想見す可し

豐公が〓〓主義とせる天下の調和の一義は當時の群雄之〓〓らず〓〓全國合一其〓〓〓す

る〓かりしのみならず朝鮮を征するに其齢既に傾き中途長逝したるも亦群雄が〓く其意を

悟らざりし結果なりと雖ども三百年の間一人も豐公〓知る者なく今日に在つては獨り豐公

を知る者〓〓のみならず豐公の如き廣大無邊の雄〓を〓〓〓〓〓〓〓〓計る者なく滔々た

る天下恰も是小〓〓〓〓〓〓〓〓〓らず小事を爭ひ細行を論し其の〓〓〓なき事なり固よ

り元龜天正の其際には土地を〓して兵〓を〓〓しに今日は是れ王政歸一聖代帝家〓〓〓良

明なれば〓〓の爭ひなしと雖ども方今官民の全國を察し社會の〓〓〓視れば無形有形の別

こそあれ各自各派互に〓分〓し其状況を胸に搆想せば元龜天正の際と相〓〓たることあら

ん(未完)