「不愉快なる地位」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「不愉快なる地位」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

不愉快なる地位

今回朝鮮事件に關し支那政府の所置は我輩が了解し能はざる所たるは之を前日の紙上に論述したり而して又朝鮮政府の所量を顧るに是又我輩の不審に堪えざるもの少なからず今此?國の中間に介立する我日本國は或は寧ろ〓人の嘲弄物たるの地位に居るものに非ざるやの疑なきを得ず容易ならざる次第と云ふ可し抑も我國が朝鮮と更始の交際を結びたるは今を距ること七年明治九年の始に在り爾後國内多事九年熊本の暴動より引續き十年西南の兵亂に及ひ兄弟〓〓殆ど外を顧るに遑あらざるの有樣なりしも我日本は朝鮮の交際を忘れず煩勞と費用とを憂まずして外交貿易の諸吏員を朝鮮に派遣し荊棘を拓き居留地を經營して大に彼我の交通貿易を便にすることを怠らず朝鮮國をして一日も速に今代文明の澤に浴せしめんとこそ祈りたりしなり然るに朝鮮人等は大に日本を德として其誘導に従ひ日夜歩を促して文明の域に進み唯及ばざらんことを恐る可しと思ひの外頑然舊習に執着して善に遷ることを知らず此際又支那政府は百方〓を盡して無知の朝鮮人士を煽搖蠱惑し當時世界の知識に富むは支那第一流の人と稱せらるゝ直隷総督李鴻章の如きも何等の趣意ありてか只管日韓?國の交際を離間せんことを勉め故ふに書を韓廷の大臣李〓元に贈りて日本を〓るども朝鮮を侵略するの志ある者なりと明官の彼の甘言に欺かれず早く之が防禦の計を爲す可し米國其外の諸國と交際を修むるも日本を掣止するの一法なる可しと忠告したるを以て朝鮮人の狼狽一方ならず詳に事實の有無と忠告の誠否を糺すに遑あらずして妄りに他人の〓官を信し卑劣なる猜疑心を以て固く其〓陋を〓〓漸く日韓?國の交際を冷却するに至りたること?國の爲に謀て遺憾至極なりと云ふ可し抑も日韓?國間の貿易は一年の輸出入三百万圓に過ぎず今後大に増加することなるも七八百万内外なる可く誠に僅少なる貿易と云ふ可し〓〓貿易の〓〓たりとを日本に取て何程の利益ある可へ〓〓〓〓〓〓〓の〓人をして一〓の〓〓を得らしむるに〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓上の〓〓〓〓を日本に對し〓〓の〓〓を有する〓のと云ふ再〓〓るな〓〓〓〓我對馬を距る海上十五里對馬〓より〓〓〓〓十里〓足らず我北海道の本州を距るものと格段の相違〓〓〓〓〓或は之を一帝國の下に統〓〓可しと云〓〓〓〓〓〓〓の考にはあらずと雖ども日本人民實際の與論は〓の〓〓を侵略するの意なし啻に之を侵略せざるのみならず仮令朝鮮人民をして目から日本に内〓するが〓はし〓〓〓〓〓〓之を承諾することなかる可し是は日本人民が國土の廣大を欲せざるに非ず唯朝鮮を屬土と爲すには之を〓〓〓〓〓〓〓其〓〓を一〓するの變事等其〓〓〓〓〓〓〓〓す〓〓得る所は失ふ所を償ふに足らざるを明ちすればなり二十年以來の日本は越階して文明の堂に上り其〓に入るの各業に忙はしく人々一身の外を顧るに遑あらさるの時〓なりと雖ども幸いに國内猶老成人の在る有を詳に全國の利害を計較し自から奮て天下耳目の重任に當り輿論の方向を〓南するに遺漏なきを以て苟も日本人にして彼の支那人の難問策に所謂朝鮮を侵畧するが如き妄念を抱く者あらされば朝鮮人は勿論其隣國たる支那人に至るまで獨り自から猜疑煩悶し徒らに自家の安眠を〓ることなくして〓なり然るに清韓?國に於ては全國人民の指南たる〓き忠誠の老成人に乏しき故にや一は他の無識を利して之を〓〓も誘ひ以て自家〓〓の念を慰せんとし一は日々地位を辨へず他の〓言を妄信して強て自から其頑陋を改めざらんとするより遂に交際國の公使舘を襲撃し其居住仁を屠殺を憚ることを知らず其害延て東洋全面の國運に波及するも憂ることなきなり今回支那政府の擧動に付其最も不審に堪えざるものは東京駐在の支那公使〓〓が大〓朝鮮〓清國〓属之邦の論を提出して日本の〓〓論半を〓まんとしたると又花房公使が仁川に着船したる時既に馬建忠が天津より來着し居りたるは支那政府が平生の慣行に不似合なる迅速の所量なりしと又軍艦七艘を以て三十の兵士を搭載し來り上陸の上直に入京し城の四門を警御したるは交際の禮〓を知らざるの所置なりしと又彼の大院君を北京に〓送し同時に告諭文を以て其理由を公布したるが如き又馬建忠が書を花房公使に寄せて既成の絛約を變更せることを請求したるが如き又支那兵の手を以て朝鮮の暴徒を捕縛したるが如き或は又大院君は〓に朝〓へ〓航の〓〓〓りしと云ふが如き實に枚擧に遑ならず〓〓〓〓〓〓朝鮮政府の所量を視るに七月廿三日公使〓〓〓〓〓〓〓〓公使再渡初期の談判を〓きし〓〓〓大〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓其不都合を恕ス可し〓〓〓〓大〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓に於て〓〓〓の解す可らざるの〓〓〓〓多し三千の〓〓〓兵〓し〓な〓〓〓にと〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓するも〓〓〓〓して〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓は〓て自國の〓〓内に在て自國の事務を〓〓するに異なるところなし又馬建忠が歸國に際し趙寧夏、金宏集をして北京に同行せしめたるが如きは最も形跡の不〓なるものなり或は趙金?氏は國王殿下より支那帝〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓情〓を持〓したるなりと云ひ〓〓〓中〓〓〓〓〓支那帝に〓して自から臣と稱し天〓〓〓〓して東土を援けしむ臣〓て感〓し天と〓〓〓〓〓〓〓句〓り日韓修好絛規には朝鮮は自主の〓立〓なり〓〓〓し爾来我天皇陛下よりは對等の〓〓を〓け來りながら一面は陛下の親友たる支那帝に向て自からなを〓て臣と稱す甚た不都合なりと云ふ可し?者孰れか必ず其一に裂く詐偽ある可く決して黙遇す可らざる事體たる可し或は彼の王妃は逝去したりと云て國中の〓を發し?國重要の談判上にも王妃〓〓用の爲め談判を延期すと迄も云ひたるものが突〓存命な〓し〓〓するが如き實に兒戯と一般にて解す〓らざる事〓なり

畢竟するに〓〓〓〓の關係は従来我輩が想像の外に〓〓〓に〓て誠實の心を以て朝鮮の文明を進めんとしたる日本は却て彼等?國に輕侮せらるゝ恐なきに非す之を〓戯に譬れば日本は愚直なる小敵役にて大なる恩も施し得ず深き怨も結ふこと能はず空しく他の小女老〓の交情を傍觀して自から其嘲弄物がるを覺らざるの類歟