「韓地死傷者の扶助」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「韓地死傷者の扶助」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

韓地死傷者の扶助

讀者は必ず記臆せらるゝなるべし本年三月卅一日朝鮮元山津居留の我人民等安邊府外遊歩の際韓人に襲撃せられ一行中に在りし本願寺の蓮元憲誠氏は其塲に殺され大倉組の兒玉朝次郎三菱會社の大淵吉威の二氏は重傷を負ひ〓に居留地に脱歸するを得たり當時我輩は此事變に關するの處分を論し我政府は速に花房公使に訓令を朝鮮政府に談判し大に各居留地の遊歩規程を廣め死傷者家族の扶助料を出す等の事を要求せしむべく又我政府に在ては急に各居留地の警衛を増す可しと切に之を希望したりしと雖も世間我輩と意見を異にするの論者多くして兎角に穩便論を主張し我居留人民を殺傷したるは無知の頑民共なり之を懲すも以て我手柄とするに足らず或は死傷者の爲めに扶助料を韓廷に要求するは利を貪るの嫌ひもあり唯須らく堪忍す可しと云ひ我政府に於ても或は此堪忍主義を執られたる故にや當時安邊事變に關し左迄の議論ありしとも聞かす花房公使も此事變後元山津より發したる第一の郵信が東京に達するをも待合せ得ざりし程の日取にて四月二十六日東京を發し漠城赴任の途に就きたり此時我輩は又大に堪忍主義の朝鮮政略を非難し今に及で朝鮮人民の頑迷を懲らし當時の如き事變をして後日に再起せしめざるの工夫なかる可らず一回の乱暴を堪忍し二回の乱暴を堪忍し彼を〓早く其非を知るの方便なからしめば遂には流石の穩便家も堪忍す可らざる大乱暴を働き爰に始めて一時に大懲罰を行ふに必要を見るに至ることあるべく斯の如きは則ち小弱の朝鮮を放るを其頑陋の所業を恣にせしめ惡積り罪成るに及で遽に其罪惡を鳴らし止むを得ず苛酷の〓懲を爲すの嫌ひありて徒らに韓廷の疑懼を増すべくはなはだ失當の政略なるべしと論駁したりと雖も言遂に聽かれず花房公使渡韓後要求等に關しては更に何等の沙汰もなかりしが居ること二閲月七月二十三日に至り漠城の乱兵忽ち我公使舘を襲撃し我が死傷する者十餘名天皇陛下の代理者たる公使其人に對し石を投じ?を加へんと迄したること實に堪忍す可らざる大乱暴なり此期に及ても尚ほ堪忍論を主張し止ざる者ありしと雖も最早斯る愚説に従ふ可きに非ず遂に軍艦兵士を派遣するの相同となりたること我輩の前言圖らずも今日あるを豫言したるの讖となり我輩の〓〓〓の不幸實に之により大なるはなきなり然るに不幸中の幸いなるは漠城の事變に付ては政府の政略并に花房公使の談判掛引〓大に其當て〓たるを以て事態を平和に歸し東洋全面の國運に關する此大事の一段落を了り謝罪條約の諸〓一も〓然すへきもなし就中朝鮮政府より五万圓を出〓我死傷者の家族を扶助するが如きは本人の不幸を憐れみ全國兄弟の情を慰するに欠く可らざる緊要事なれば我輩は一日も速に其實施あらんことを希望するなり然るに今我政府が此金員を配當するに當り我輩が一見せんことを欲するものは其死傷者の名簿なり或は又此名簿の外に今一つ朝鮮にて死傷し扶助を受く可き者の名簿あるや否を知らんと欲するなり彼の謝罪條約中扶助料に關するの條には單に死傷者の家族を扶助する爲とのみあるを以て十分には分明ならずと雖も此死傷と稱するはただ此度の事變に際し七月廿三廿四の兩日漠城〓に仁川府に於て死傷したる人々のみを指す者にて三月卅一日安邊の變に死傷したる者は此數に加らざることならんか或は又安邊の死傷者は此條約の死傷者中に含蓄せずと雖も我政府に於ては此條約中の死傷者を扶助すると同時に安邊の死傷者へも相當の扶助を給し別に其償を朝鮮政府に要求せざることに決定しあるものか我輩未た其如何を知らざるなり然れども其方法の如何に〓らず安邊の死傷者にして相當の扶助に漏ることなきは我輩が断して信する所なり如何となれは漠城仁川の死傷者も安邊の死傷者も其人員の多寡にこそ相違あれ死傷の性質に於ては正しく同一にて彼此の區別なし一は乱民のため一は乱兵のため共に不幸の殺傷を蒙りたる者にして其扶助を要求するの權利は兩者の間毫も輕重あることなし世間偶ま事理に通せざるの人は或は両者の相同しからざるを疑ひ一は官吏の死傷にして一は尋常人民の死傷なり官吏の死傷ならんには朝鮮政府に迫て扶助料を給せしむべきも尋常人民の死傷ならんには自家自から自家の事を幹すべく政〓の與り知るものに非すと云ふ者もあらんかなれ〓、こは以ての外の謬見なり我政府が五万圓の扶助料を要求したるは天皇陛下の臣民たる一個人の資格を具する死傷者の扶助を要求したるものにて決して官吏の恩給金を償はしめたるに非す加之漠城仁川の死傷者中には私費留学生の如き尋常一様の人民も加はり居るに條約中には日本官吏の死傷者を扶助するためとの明文なきを見れは天皇陛下の臣民たるに官私の區別なきは無論たる可し故に我輩は未だ扶助料を受く可き死傷者の名簿を一見せざるを以て其人名は某々なりと明言し能はすと雖も朝鮮政府をして金員を償はしむると否とに拘らず必ずや我政府は天皇陛下の臣民に官私の區別を爲さず安邊の死傷者も漠城仁川の死者も同一様に扶助せらる可きは〓〓に於て明々白々〓も〓〓〓る可きものならずと信するなり