「眞宗の運命久しからず」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「眞宗の運命久しからず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

眞宗の運命久しからず

我輩は佛教を信ずる者に非ず特り佛教のみならず耶蘇教なり回々教なり古來人間世界に流傳したる宗教なるものは一切之を信仰せざるなり單に之を信仰せざるのみに止まらず隨て之を度外視し人間世界に害毒を及ぼさゞる限りは其自由に任せんことを欲する者なり

古來宗教に熱心なりしは歐洲諸國の人に比す可きもの少なし歐洲人の中間ま或は其惑溺に陥らざる者なきに非ざりしと雖ども之を信せざれば隨て又之を破壊せんことを力め遂に能く之を度外に置き得たる者甚た少なきを以て之を信ずるにも之を信せざるにも共に宗教に熱心なりしと云はざるを得ず然るに物理學の進歩に連れて蒸氣電信等を人事に利用することを發明してより歐洲の事物一として其舊樣の面目を改めざるものなく遂に當代の文明なるものを成就するに至りたり當代の文明一と度其運行を始めしより滿天下人爲の法則は皆其鋭鋒に觸れて破碎せざるものなし宗教も亦人爲の一事たるを以て獨り文明の潮流中に屹立すること能はず一日は一日より其勢力を失ひ王中の王と稱して宇宙〓間に唯我獨尊なりし羅馬法王も其門末信徒の衆多なるにも拘はらず百計千略多年の防守も其詮なくして法運日に漸く薄く先つ其實を失ひ次て其名を失ひ遂に今日の淺ましき有様に陥り僅に羅馬の一寺中に餘喘を保つと雖ども不日將に滅沒して其痕跡をも留めざらんとするは是非もなき次第なる可し

我日本の如きも佛教の流行は隨分盛大を極めたるものにて全國の人心に入ること深く隣國支那朝鮮等に比照すれば日本は東洋第一の佛教國なりと云て可なり然るに此盛大を装ひたるは全て時の政府の保護に依頼したるに由るものにて明治維新の際各寺〓朱印の制度を廢せたるゝに至て全國の佛教は實に驚く可き衰退を現はしたり唯此際に於て梢其舊態を保持し得たるものは其一部分たる眞宗の一派のみなりし眞宗の他の宗派に〓なる所は全國最下等の知識を具へたる愚夫愚〓を籠絡するの方便を勉めて上流士人の所好〓枝することを爲ざるに在るなり凡そ世の改革は必ず其〓〓知識上法の人民中に散し次第に順序を追て中下の人〓に及ぼすものなり〓〓の改〓人心の〓〓も爾來〓〓中〓〓〓中に行はれたりと〓〓〓〓下〓の人民に及ぶを追て〓〓〓〓〓は此知識最下の人民に依〓して立つものなるを以て〓〓十五年來の大變革を未だ遽に其影響の跡を眞宗の盛衰上に見ることなく今日尚ほ其舊態を保持し得る所以なり然るに顧みて眞宗の仕組を見るに當代の文明世界には最も不適當のものあるを〓見するなり僧侶の身にして肉を食ひ妻妾を蓄ふ等は毫も凡俗人に異なる所なく彼の生佛如來たるに不似合の擧動なるを以て幽冥の道を説きて愚夫婦の心を攪るには最も大なる障害を爲すものなりとの説ありと雖ども此肉食妻帯は却て間接に愚夫妻を籠絡するの好方便と爲り今日に至るまて眞宗が能く其盛大を保ち得たる所以なるべければ之を目して不適當なりと云ふ可らず何となれは精進潔斎終日結跏靜坐して禪味を樂しむ流の人は其學議漸く上達するに從て漸く風俗に遠ざかり其極終に知らず識らず人間外の生物に仙化するに至るものなり然るに眞宗僧侶の行を爲す者は決して然らず肉を食ひて口腹の慾を知り又其養分の刺激に由て血氣情慾を熾んならしめ妻妾ありて男女の色情を知り父子兄弟ありて骨肉の愛情を知り其名は僧侶なれども其實は尋常一様の俗輩なるを以て法を説き道を弘むるの際に知識最卑の愚夫婦が生命と爲す耳目鼻口四支の慾男女の色情骨肉の愛情等に訴へて其心を籠絡すること甚だ易し故に眞宗の僧侶か肉食妻帯するは俗眼に一見して其生佛然たるの霊聖を損すること少なからずと雖ども間接の大利以て直接の小損を償ふに餘あるが故に大に暗世の宗教に適應したる開山親鸞の大發明なりと云て可なる可し唯其仕組の當代の文明に不適當なるは本山大谷家は勿論其門末の各寺院に至るまで法を世襲するの一事なり父子の間に血脉は以て傳ふ可き法は以て傳ふ可らざること古來人の熟知する所にして必ずしも文明の光に照らして後に知るに非ざるなり親鸞が此宗派を起したるは鎌倉北條の時に在りて所謂世祿封建の時節なりしを以て法の世襲も或は人心に適應し遂に德川の世を終るまで武門の世祿と共に之を存續し得たることならん然るに文明の歴〓は武士の威力をも恐れず維新の一〓世祿の大名藩士を一掃して又其傷跡を留めざるなり武門の〓〓〓〓の〓先の槍先きを以て博取したる一家の私有品なると云ふも不可なることなきに是〓を〓且つ一掃し去〓たり彼の親鸞の法は何物ぞや天賦の才〓〓〓〓とて以て之を巳一人の身に修めたるものにして大知識者出て之に代〓〓に非ざれば身死して法〓〓〓可〓〓〓た〓〓門の私有品の〓非ず愚夫婦如何に〓てり〓〓〓〓の〓〓〓〓も〓〓〓〓〓其愚を守ること能はず〓〓必ず〓〓〓〓の〓〓〓就て疑を抱き大に改革を〓ること〓〓可〓〓らす〓〓〓の〓命は決して久しから〓〓なり

眞宗の改革は愚夫婦等が法の世襲に疑を容るゝを俟つに及ばず先つ之が端緒を開くべきものは各寺院財産の所有〓を問ふに在るなる可し例へば今回京都に於て東本願寺の紛議〓如し信徒等は必ず本山の御堂〓〓と〓大谷家の私有品なるや將た我々信徒の共有品なるやと問ふこと〓らんに大谷家の私有なりと答る〓は甚だ難きことなるべし既に信徒の共有なりと定まりたる以上は本願寺金〓の支配は信徒の自由にす可きものにして法〓の喙を容る可きものに非さるを以て爾後は本山より〓〓寺に至るまで事務の大變革を來たすことあるなる可し眞宗の運命は決して久しかる可らざるなり