「徳育如何」

last updated: 2019-09-08

このページについて

時事新報に掲載された「学校教育」(18821021)の書籍化である『徳育如何』を文字に起こしたものです。

本文

徳育如何緒言

方今世に教育論者あり少年子弟の政治論に熱心なるを見て軽躁不遜なりと称し其罪を今の教育法に帰せんと欲するが如し福沢先生其誣罔を弁し大に論者の蒙を啓かんとて教育論一篇を立案せられ中上川先生之を筆記して時事新報の社説に載録せられたるが今之を重刊して一小冊子と成し学者の便覧に供すと云ふ

明治十五年十一月 編者識

徳育如何

福沢諭吉 立案

中上川 彦次郎 筆記

青酸は毒の最も劇しきものにして舌に触れば即時に斃る間に時なし「モルヒ子」砒石は少しく寛にして死に至るまで少しく時間あり大黄の下剤の如きは二三時間以上を経過するに非ざれば腸に感応することなし薬剤の性質相異なるを知る可し又草木に施す肥料の如き之に感ずる各急緩の別あり野菜の類は肥料を受けて三日輙ち青々の色に変ずと雖ども樹木は寒中これに施して其効験は翌年の春夏に見る可きのみ今人心は草木の如く教育は肥料の如し此人心に教育を施して其効験三日に見る可き歟、曰否なり三冬の育教来年の春夏に功を奏する歟曰否なり少年を率ひて学に就かしめ習字素読より漸く高きに登り稍や事物の理を解して心事の方向を定るに至るまでは速くして五年尋常にして七年を要す可し之を草木の肥料に譬れば感応の最も遅々たるものと云ふ可し

又草木は肥料に由て大に長茂すと雖ども唯其長茂を助るのみにして其生々の根本を資る所は空気と太陽の光熱と土壌津液とに在り空気乾湿の度を失ひ太陽の光熱物に遮られ、地性瘠せて津液足らざる者へは仮令ひ肥料を施すも功を奏すること少なきのみならず全く無功なるものあり教育も亦斯の如し人の智徳は教育に由て大に発達すと雖ども唯其発達を助るのみにして其智徳の根本を資る所は祖先遺伝の能力と其生育の家風と其社会の公議輿論とに在り蝦夷人の子を養ふて何程に教育するも其子一代にては迚も第一流の大学者たる可らず源家八幡太郎の子孫に武人の夥しきも能力遺伝の実証として見る可し又武家の子を商人の家に貰ふて養へば自から町人根性と為り、商家の子を文人の家に養へば自から文に志す、幼少の時より手に付けたる者なれば血統に非ざるも自然に養父母の気象を承るは普く人の知る所にして家風の人心を変化すること有力なるものと云ふ可し又戦国の世には都て武人多くして出家の僧侶に至るまでも干戈を事としたるは叡山三井寺等の古史に徴して知る可し社会の公議輿論即ち一世の気風はよく仏門慈善の智識をして殺人戦闘の悪業を為さしめたるものなり

右は何れも人生の智徳を発達せしめ退歩せしめ又変化せしむるの原因にして其力は却て学校の教育に勝るものなり学育固より軽々看過す可らずと雖ども古今の教育家が漫に多を予期して或は人の子を学校に入れて之を育すれば自由自在に期する所の人物を陶冶し出す可しと思ふが如きは妄想の甚しきものにして其妄漫なるは空気太陽土壌の如何を問はず唯肥料の一品に依頼して草木の長茂を期するに等しきのみ

俚諺に云く門前の小僧習はぬ経を読むと盖し寺院の傍に遊戯する小童輩は自然に仏法に慣れて其臭気を帯るとの義ならん即ち仏の気風に制しらるゝものなり仏の風に当れば仏に化し儒の風に当れば儒に化す周囲の空気に感じて一般の公議輿論に化せらるゝの勢は之を留めんとして駐む可らず如何なる独主独行の士人と雖ども此間に独するを得ざるは伝染病の地方に居て独り之を免かるゝの術なきが如し、独立の品行誠に嘉みす可しと雖ども自から其限あるものにして限界を越へて独立せんとするも人間生々の中に在て決して行はる可きことに非ず例へば言語の如し一地方に在て独立独行百事他人に殊なりと称する人にても其言語には方言を用ひ壁を隔てゝ之を聞くも其地方の人たるを知る可し今この方言は誰れに学びたりやと尋るに之を教へたる者なし、教る者なくして之を知る即ち地方の空気に学びたるものと云はざるを得ず或は空気の力に迫られたるものと云ふも可なり啻に方言のみならず衣服飲食の品類より家屋庭園装飾玩弄の物に至るまでも一時一世の流行に外なるを得ず流行のものを衣服し、流行のものを飲食し、流行の家屋に居り、流行の物を弄ぶ、此点より見れば人は恰も社会の奴隷にして其圧制を蒙り毫も自由を得ざるものにして如何なる有力の士人にても古今世界に此圧制を免がれたる者あるを聞かざるなり有形の物皆然り、然ば則ち無形の智徳にして独り社会の圧制を免かるゝの理ある可らず教へずして知るの智あり学ばずして得るの徳あり共に流行の勢に従て其範囲を脱せず社会は恰も智徳の大教場と云ふも可なり此教場の中に在て区々の学校を見れば如何なる学制あるも如何なる教則あるも其教育は唯僅に人心の一部分を左右するに足る可しとのことは必ずしも知識を俟て然る後に知る可き事柄に非ざるなり

方今世に教育論者あり其言に云く近来我国の子弟は其品行漸く軽薄に赴き父兄の言を用ひず長老の警を顧みず甚しきは弱冠の身を以て国家の政治を談じ動もすれば上を犯すの気風ある如し畢竟学校の教育不完全にして徳育を忘れたるの罪なりとて専ら道徳の旨を奨励する其方便として周公孔子の道を説き漢土聖人の教を以て徳育の根本に立てゝ一切の人事を制御せんとする者の如し我輩は論者の言を聞き其憂る所は甚だ尤なりと思へども此憂を救ふの方便に至ては毫も感服すること能はざる者なり抑も論者の憂る所を概言すれば今の子弟は上を敬せずして不遜なり漫に政治を談じて軽躁なりと云ふに過きず論者の言甚だ是なり我輩とても固より同憂なりと雖ども少年輩が斯くまでにも不遜、軽躁に変じたるは単に学校教育の欠典のみに由て然るもの歟、若しも果して然るものとするときは此欠典は何に由て生じたるもの歟、其原因を推究すること緊要なり教育の欠典と云へば教師の不徳と教書の不経なることならん然るに我日本に於て開闢以降稀なる不徳の教師を輩出して稀なる不経の書を流行せしめたるは何ものなるぞや或は前年文部省より定めたる学制に由て然るものなりと云はん歟、然ば則ち文部省をして斯る学制を定めしめたるは何ものなるぞや之を推究せざる可らず我輩の所見に於ては之を文部省の学制に求めず又教師の不徳、教書の不経をも咎めず是等は皆事の近因として更に此近因を生じたる根本の大原因に溯るに非ざれば事の得失を断ずるに足らざるを信ずるものなり蓋し其原因とは何ぞや我開国に次で政府の革命即ち是なり

開国以来我日本人は西洋諸国の学を勉め又これを聞伝へて漸く自主独立の何ものたるを知りたれども未だ之を実際に施すを得ず又其実施を目撃したることもなかりしに十五年前維新の革命あり此革命は諸藩士族の手に成りしものにして其士族は数百年来周公孔子の徳教に育せられ満腔唯忠孝の二字あるのみにして一身以て其藩主に奉じ君の為に死するの外、心事なかりしものが一旦開進の気運に乗じて事を挙げ遂に旧政府を倒して新政府を立てたる其際に最初は各其藩主の名を以てしたりと雖ども事成るの後に至り藩主は革命の名利に与るを得ずして功名利禄は藩士族の流に帰し次で廃藩の大挙に逢へば藩主は得る所なきのみならず却て旧物を失ふて全く落路の人たるが如し従前は其藩に在て同藩士の末座に列し所謂君公には容易に目通りも叶はざりし小家来が一朝の機に乗じて新政府に出身すれば儼然たる正何位従何位にして旧君公と同じく朝に立つのみならず君公却て従にして家来正なるあり尚甚しきは公に旧君の名を以て旧家来の指令を仰ぎ私に其宅に伺候して依托することもあらん又四民同権の世態に変じたる以上は農商も昔日の素町人土百姓に非ずして藩地の士族を恐れざるのみならず時としては旧領主を相手取りて出訴に及び事と品に由りては旧殿様の家を身代限にするの奇談も珍らしからず、昔年馬に乗れば切捨てられたる百姓町人の少年輩が今日借馬に乗て飛廻はり誤て旧藩地の士族を踏殺すも法律に於ては唯罰金の沙汰あらんのみ又封建世禄の世に於て家の次男三男に生れたる者は別に立身の道を得ず或は他の不幸にして男児なき家あれば養子の所望を待て其家を相続し始て一家の主人たる可し次三男出身の血路は唯養子の一方のみなれども男児なき家の数は少なくして次三男出生の数は多く、需要供給其平均を得ずして常に父兄の家に養はれ遂には二世にして姪の保護を蒙りて死する者少なからず之を家の厄介と称す俗に所謂脛噛なる者なり既に一家の厄介たり誰れか之を尊敬する者あらんや如何なる才力あるも脛噛は則ち脛噛にして殆ど人に歯せられず世禄の武家にして斯の如くなれば其風は自から他種族にも波及し士農工商共に家を重んじて権力は専ら長男に帰し長少の序も紊れざるが如くに見へし者が近年に至ては所謂腕前の世と為り才力さへあれば立身出世勝手次第にして長兄愚にして貧なれば阿弟の智にして富貴なる者に軽侮せられざるを得ず唯に兄のみならず前年の養子が朝野に立身して花柳の美なる者を得れば忽ち養家糟糠の細君を厭ひ養父母に談じて自身を離縁せよ放逐せよと請求するは其名は養家より放逐せられたるも実は養子にして養父母を放逐したるものと云ふ可し、父子有親君臣有義夫婦有別長幼有序とは聖人の教にして周公孔子の以て貴き由縁なれども我輩は右の事実を記して此聖教の行はれたる所を発見すること能はざるものなり

然りと雖ども以上枚挙する所は十五年来の実際に行はれ、今日の法律に於て之を許し、今日の習慣に於ても大に之を咎ること能はざるものなり

徳教の老眼を以て此有様を見れば誠に驚くに堪へたり元禄年間の士人を再生せしめて之に維新以来の実況を語り又今の世事の成行を目撃せしめたらば必ず大に驚愕して人倫の道も断絶したる暗黒世界なりとて痛心することならんと雖ども如何せん此世態の変は十五年以来我日本人が教育を怠りたるの故に非ず唯開進の風に吹かれて輿論の面目を改めたるが為なり盖し輿論の面目とは全国人事の全面目にして学校教育の如きも此全面中の一部分たるに過きざるのみ左れば今の世の教育論者が今の此不遜軽躁なる世態に感動して之を憂るは甚だ善し、又之に驚くも至当の事なれども論者は之を憂ひ之に驚て之を古に復せんと欲する歟、即ち元禄年間の士人と見を同ふして元禄の忠孝世界に復古せんと欲する歟、論者が頻りに近世の著書新聞紙等の説を厭ふて専ら陶虞三代の古典を勧るは果して此古典の力を以て今の新説を抹殺するに足る可しと信ずる歟、加之論者が今の世態の一時己が意に適せずして局部に不便利なるを発見し其罪を独り学校の教育に帰して喋々するは果して其教育を以て世態を挽回するに足る可しと信ずる歟我輩は其方略に感服する能はざる者なり抑も明治年間は元禄に異なり其異なるは教育法の異なるに非ず公議輿論の異なるものにして若しも教育法に異なるものあらば之をして異ならしめたるものは公議輿論なりと云はざるを得ず而して明治年間の公議輿論は何に由て生じたるものなりやと尋れば三十年前我開国と次て政府の革命是なりと答へざるを得ず開国革命以て今の公議輿論を生じて人心は開進の一方に向ひ其進行の隙に弊風も亦共に生じて徳教の薄きを見ることなきに非ざるも法律これを許し、習慣これを咎めず甚しきは道徳教育論に喋々する其本人が往々開進の風潮に乗じて利を射り、名を貪り、犯す可らざるの不品行を犯し、忍ぶ可らざるの刻薄を忍び、古代の縄墨を以て糺すときは父子君臣夫婦長幼の大倫も或は明を失して危きが如くなるも尚且一世を瞞着して得々横行す可き程の此有力なる開進風潮の中に居ながら学校教育の一局部を変革して以て現在の世態を左右せんと欲するが如きは肥料の一品を加減して草木の生々を自在にせんとする者に異ならず仮令ひ或は其教育も他の人事と共に歩を共にして進退するときは頗る有力なる方便なりと云ふも其効験の現はるゝは極めて遅々たるものにして肥料の草木に於けるが如くなるを得ず益其迂濶なるを見る可きのみ

左れば今の世の子弟が不遜軽躁なることもあらば其不遜軽躁は天下の大教場たる公議輿論を以て教へたるものなれば此教場の組織を変革するに非ざれば其弊を矯るに由なし而して其変革に着手せんとするも今日の勢に於てよく導て古に復するを得べきや、今の法律を改めて旧套に返る可きや、平民の乗馬を禁ず可きや次三男の自主独行を止む可きや之を要するに開進の今日に到着して顧て封建世禄の古制に復せんとするは喬木より幽谷に移るものにして何等の力を用るも到底行はる可らざることゝ断定せざるを得ず目今其手段を求めて得ざるものなり論者と雖ども自から明に知る所ならん既に大教場の変革に手段なきを知らば局部の学校を変革するも無益なるや明なり故に我輩は今の世態に満足する者に非ず少年子弟の不遜軽躁なるを見て之を賛誉する者に非ずと雖ども其局部に就て直接に改良を求めず天下の公議輿論に従て之を導き自然に其行く所に行かしめ其止る所に止まらしめ公議輿論と共に順に帰せしむること流に従て水を治るが如くならんことを欲する者なり今試に社会の表面に立つ長者にして子弟を警め汝は不遜なり何故に長者に事へざるや、何故に尊きを尊はざるや、近時の新説を説て漫に政治を談ずるが如きは軽躁の甚しきものなりと咎めたらば少年は即ち云はん君は前年何故に廃藩の事を賛成して旧主人の落路を傍観したるや、加之其旧主人と共に社会に立ち或は其上に位して世の尊敬を受るも恬として憚る色なきは何故なるや、且君に質問することあり君が維新の前後頻りに国事に奔走して政談に熱したるは其年齢凡そ幾歳の頃なりしや此時に当て世間或は君の軽躁を悦ばずして君に忠告すること今日君が我々に忠告するが如き者はなかりしや

当時君は其忠告を甘受したる歟我々窃に案するに君は決して斯る忠告を聴く者に非ず其忠告者をば内心に軽侮し因循姑息の頑物なりとて唯冷笑したるのみのことならん左れば我々年少なりと雖ども二十年前の君の齢に等し我々の挙動軽躁なりと云ふも二十年前の君に比すれば深く譴責を蒙るの理なし但し君は旧幕府の末世に当て乱に処し又維新の初に於て創業に際したることなれば自から今日の我々に異なり我々は今日治世に在て乱を思はず創業の後を承けて守成を謀る者なり

時勢を殊にし事態を同ふせずと雖ども熱心の熱度は前年の君に異ならず盖し此熱は我々の身に於て独発に非ず其実は君の余熱に感じて伝染したるものと云ふも可なり云々と利口に述べ立てられたらば長者の輩も容易に之に答ること能はずして或は窃に困却するの意味なきに非ざる可し其趣は老成人が少年に向ひ直接に其遊冶放蕩を責て却て少年の為に己が昔年の品行を摘発枚挙せられ白頭汗を流して赤面するものに異ならず直接の譴責は各自個々の間にても尚且効を見ること少なし況んや天下億万の後進生に向て之を責るに於てをや労して功なきのみならず却て之を激するの禍なきを期す可らざるなり

我輩は前節に於て教育改良の意見を述べ其主とする所は天下の公議輿論に従て之を導き自然に其行く所に行かしめ其止まる所に止まらしめ公議輿論と共に順に帰せしむること流に従て水を治むるが如くならしめんことを欲する者なりと記したれども其言少しく漠然たるが故に今爰に一二の事実を証して其意を明にせん元来我輩の眼を以て周公孔子の教を見れば此教の働を以て人心を動かすこと固より少なからずと雖も其働は決して無限のものに非ずして働の達する所に達すれば毫も運動を逞ふすること能はざるものなりと信ず即ち其極点は此教を奉ずる国民の公議輿論に適すべき部分に限りて働を呈し其以上に於ては輿論の為に制せらるゝを常とす例へば支那と日本の習慣の殊なるもの多し就中周の封建の時代と我徳川政府封建の時代と等しく封建なれども其士人の出処を見るに支那にては道行はれざれば去るとて其去就甚だ容易なり孔子は十二君に歴事したりと云ひ孟子が斉の宣王に用ひられずして梁の恵王を干すも君に仕ること容易なるものなり遽伯玉の如き邦有道則仕、邦無道則可巻而懐之とて自国を重んずるの念甚だ薄きに似たれども甞て譏を受けたることなきのみならず却て聖人の賛誉を得たり之に反して日本に於ては士人の去就甚厳なり忠臣二君に仕へず貞婦両夫に見へずとは殆ど下等社会にまで通用の教にして特別の理由あるに非ざれば此教に背くを許さず日支両国の気風即ち両国に行はるゝ公議輿論の相異なるものにして天淵啻ならざるを見る可し

然るに其国人の最も尊崇する徳教は何ものなるぞと尋るに支那人も聖人の書を読て忠孝の教を重んじ日本人も亦然り等しく同一の徳教を奉じて其徳育を蒙る者が人事の実際に於ては全く反対の事相を呈す、怪しむ可きに非ずや畢竟徳教の働は其国の輿論に妨なき限界にまで達して其以上に運動するを得ざるの実証なり若しも此限界を越るときは徳教の趣を変じて輿論に適合し其意味を表裏陰陽に解して恰も輿論に差支なきの姿を装ひ以て其体を全ふするの実を見る可し、蛮夷夏を乱だるは聖人の憂る所なれども其聖人国を蛮夷に奪はれたるは今の大清なれども大清の人民も亦聖人の書を以て教と為す可し、徳川政府も忠義の道を以て天朝に奉じて誠に忠義なりしかども末年に至り公議輿論を以て其政府を倒せば之を倒したる者も亦誠に忠義なり、故に支那にて士人の去就を自在にすれば聖人に称せられ日本にて同様の事を行へば聖人の教に背くとて之を咎む可し、蛮夷が中華を乱だるも聖人の道を以て之を防ぐ可し既に之を乱だりて之を押領したる上は又聖人の道を以て之を守る可し敵の為にも可なり味方の為にも可なり其働く可き部分の内に在て自由に働を逞し輿論に逢へば則ち装を変ず可し是即ち聖教の聖教たる所以にして尋常一様小儒輩の得て知る所に非ざるなり(孟子に放伐論ありなどゝて其書を忌むが如きも小儒の考にして笑ふに堪へたるものなり数百年間日本人が孟子を読で之が為に不臣の念を起したるものあるを聞かず書中の一字一句以て人心を左右するにたるものなりとすれば君臣の義理固き我国に於て十二君に歴事し公山仏肝の召にも応ぜんとしたる孔子の書を読むも亦不都合ならんこうこう然たる儒論取るに足らざるなり

我日本の開国に次で政府の革命以来全国人民の気風は開進の一方に赴き其進行の勢力は之を留めて駐む可らず即ち公議輿論の一変したるものなれば此際に当て徳教の働も固より消滅するに非ずと雖ども自から輿論に適するが為に大に其装を改めざるを得ざるの時節なり例へば在昔は君臣の団結国中三百所に相分れたる者が今は一団の君臣と為りたれば忠義の風も少しく趣を変じて古風の忠は今日に適せず、在昔は三百藩外に国あるを知らずして唯藩と藩との間に藩権を争ひし者も今日は全国恰も一大藩の姿と為りて在昔藩権の精神は面目を改めて国権論に変ぜざるを得ず、在昔は社会の秩序都て相依るの風にして君臣父子夫婦長幼相依り相依られ、互に相敬愛し相敬愛せられ両者相対して然る後に教を立てたることなれども今日自主独立の教に於ては先づ我一身を独立せしめ我一身を重んじて自から其身を金玉視し以て他の関係を維持して人事の秩序を保つ可し新に沐する者は必す冠を弾し新に浴する者は必ず衣を振ふとは身を重んずるの謂なり我身金玉なるが故に苟も瑕瑾を生ず可らず汚穢に近接す可らず、此金玉の身を以て此醜行は犯す可らず此卑屈には沈む可らず、花柳の美愛す可し糟糠の老大厭ふに堪へたりと雖ども糟糠の妻を堂より下だすは我金玉の身に不似合なり、長兄愚にして我れ富貴なりと雖ども弟にして兄を凌辱するは我金玉の身に能くす可らず、爰に節を屈して権勢に走れば名利を得べしと雖ども屈節以て金玉の身を汚す可らず、与ふるに天下の富を以てするも授るに将相の位と以てするも我金玉一点の瑕瑾に易ふ可らず、一心此に至れば天下も小なり王公も賤し、身外無一物唯我金玉の一身あるのみ一身既に独立すれば眼を転じて他人の独立を勧め遂に同国人と共に一国の独立を謀るも自然の順序なれば自主独立の一義以つて君に仕ふ可し以て父母に事ふ可し以て夫婦の倫を全ふし以て長幼の序を保ち以て朋友の信を固ふし人生居家の細目より天下の大計に至るまで一切の秩序を包羅して洩らすものある可らず、故に我輩に於ては今世の教育論者が古来の典経を徳育の用に供せんとするを咎るには非ざれども其経書の働を自然に任して正に今の公議輿論に適せしめ其働の達す可き部分にのみ働を逞ふせしめんと欲する者なり即ち今日の徳教は輿論に従て自主独立の旨に変ず可き時節なれば周公孔子の教も亦自主独立論の中に包羅して之を利用せんと欲するのみ今の世態果して不遜軽躁に堪へざる歟、自主独立の精神に乏しきが故なり論者其人の徳義薄くして其言論演説以て人を感動せしむるに足らざる歟、夫子自から自主独立の旨を知らざるの罪なり天下の風潮は夙に開進の一方に向て自主独立の輿論は之を動かす可らず既に其動かす可らざるを知らば之に従ふこそ智者の策なれ、盖し学校の教育をして順に帰せしむること流に従て水を治るが如くせんとは是の謂なり

徳育如何畢