「外交の責」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「外交の責」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

外交の責

外交官は他國に對して自國の政府を代表するものなり一國の政府は其國の民意を代表するものなり故に外交官が他國の政府又は人民に對して施す所のものは一言一行一擧一動悉皆國の利害に関係せざるはなし例へば爰に各國交際上の事に付て會議あらんに世人は之を傍勸傍聴又傳聞して其國の説は斯の如し其國の主義は云々なりと評するは無論、或は其議場に於て言論擧動の精粗寛猛を以て議員の智愚を測り其議不徳を斷するもの少なからず而して其言論の精粗、擧動の寛猛は獨り其議員たる外交官の智愚と徳不徳とて評するの標準たるのみならず其外交官の代表する政府の價を許し又其政府の代表する國民の價を評するに足る可し漫然たる江湖の人口に其國は愚なり某國は智なり其國人は粗暴なり其國人は丁寧なりと云ふ其評論は何れより生するやと尋るに外交官の一言一行を以て其原因たるも少なしとせず舊幕府の時に我國在留の英國公使は「ルーゼルホールト、アールコック」と云ひ米國公使は「タヲンセント、ハルリース」と云ひ両國公使の主義常に同しからずして我政府に對して其言行擧動相反對するも多し當時攘夷論の盛なる時代にて或る時浮浪の士なる者が英公使館たる江戸高輪の東禪寺を襲撃したるときに英公使は大に狼狽憤怒して直に國旗を徹して我國を去らんとまでに切論して同列たる米公使へも其議に同意せんことを促したれとも米公使は泰然として動かず日本政府は眞實に力を盡して外國公使を保護するものなり浮浪の攘夷家恐るゝにたらず之を恐れて狼狽するは畢竟英公使の怯懦なり我等は我公使館たる麻布の禪福寺に安眠安食す「ニウヨルク」市中の眠食に異ならずとて其催促を謝絶するのみならず却て他を嘲哢する程の有樣にして英公使も之を強ゆること能はざりき又英公使の日本國人を遇するは都を威嚇を主として往々我舊習慣を犯すもの多し德川家の廟にして建地と稱する芝の山内に騎馬にて乗込まんとしたることもあれば米公使は之に反して廟の拜禮を出願し之を許して案内すれば公使は大門外に下馬するのみならず徒歩して次第に内に入り、門又門を通行する毎に案内の吏人に向ひ靴を脱せざるも差支えなきやと聞き毎一門に會釋して廟前に達したることあり両公使の心術主義相異なることを以て見る可し今日に至るまで日本全國の民心に於て英米両國の人柄を評するに其寛猛剛柔如何と問へば米を柔なりとして英を剛なりと云はざる者なし其實を論すれば英人必ずしも剛猛ならず米人獨り寛柔なるにも非ず且つ又我國の人斯く評論を下たすには樣々の原因もあることならんと雖とも両國の外交官たる公使が一時の言行擧動を以て日本國人の情に影響したるも其原因中の一として計へざるを得ず又幕府の末年に佛國の公使「レヲン、ロセス」氏は頻りに我政府に近接して商賣上の事を助言したる末に横須賀の製鉄所も佛人にて引受けの條約を結び鉄を買ひ器械を買ひ又は陸軍用の銃砲羅紗等の買入方をも一切佛公使の筋の人に托したれば當時日本にて少しく外國の事情を知る者は佛公使を目して射利主義の人物なりと評し遂に佛政府をも悦はざるの情を生したることあり

右は舊時日本に在留したる外國公使の言行擧動を以て日本國民の心に多少の感動を生し其各國の政府に對し又其國人に接して幾分か親疎遠近の情を催ふしたるの一例なり外交官は政府を代表し政府は國民を代表するの事實以て知る可し固より外交政略に就ては其國政府に一定の大主義を存し外交官は唯其旣定の主義を實地に施行するまでの事なりとは雖とも交際の表面に立つ者は官吏にして唯に政略主義のみならず交際上の一言一行一擧一動も之を

容易にす可らず外交官の口に義を言ひ又利を言はん歟其言は政府の言なり、外交官の行ふ所智なり又愚ならん歟其智愚や政府の智愚なり、其正雅も政府の正雅なり、其鄙劣も政府の鄙劣なり、尚細に亘れば外交官其人の私徳品行、平生の行作好尚、私の交際遊戯談笑の事柄に至るまでも間接には政府のため又國のために影響する所少なしとせず古今内外の事跡に照らして之を之を見る可し我日本國に於ても外国の交際は日に繁多に赴き月に重大を増し西洋に東洋に其關する所實に容易ならざるの秋なれば諸外國に派遣せられたる官吏が昔年我國に在留したる諸外國公使等の擧動を想起して之を殷鑑と爲す可きは無論、殊に又今日自國に居て外客に接する外務官の如きは其責任の重きこと固より外に在る者の比に非されば特に注意して一言一行も等閑に附するなきこと我輩の希望に堪へざる所なり抑も言行を愼むは固より君子の應さに然る可き所にして必ずしも獨り外交官に求むるにも及はざるに似たれとも内治外交これを比較して内國の事なれば仮令ひ失策あるも尚これを内にして癒すの法もある可しと雖とも外人に對して一言は駟せ及ぶ可らず、一行は以て百年の大計を誤るに足る可し特に謹愼を加ふると云ふも我輩は其及ばさるを恐るゝなり故に我輩は歸往現在我外務官の進退擧動を視察推考して其關する所の公私大小に論なく公務にても私事にても一言一行一擧一動決して之を輕々に看過することなく尚將來も括目して之を窺ひ毛髪の微も洩ふすなきを勉る者なり固より我輩とても敢て君子を以て自から居る者なれば他の私事機密を摘發して之を世に公論し以て社會の變乱を樂しむ者に非ず唯外交官の言行擧動は其關係する所至極重大なるが故に獨り竊に之を明知し以て諸外國人が我日本國を評價するの輕重を卜せんと欲するの微意のみ讀者これを誤認する勿れ