「銕道敷設/重ねて賣藥論」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「銕道敷設/重ねて賣藥論」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

銕道敷設/重ねて賣藥論

我輩は去る九月廿二日廿三日の本紙上に於て鉄道の人智開達有無流通殖産興業に緊要なるのみならず兵要上にも亦必用なる所以を詳論し鉄道の布設は今の日本の一大急務なりとの説は近時我國輿論の歸する所にして旣に昨年日本鐡道會社設立あり又東北鐡道會社の如きも近日漸く結社の運ひに至りたりと雖とも日本鐡道會社の工務に從事するの緩漫なると政府の東北鐡道會社を奨励するの沙汰なきとに由り目下今尚鐵道事業の振起す可き徴候を呈する能はざるを以て日本國に相當したる鐵道の布設に付ては到底斯の如き會社に向て大に望を属す可らず是を以て政府は今の時に當て舊然鐵道の事業を奨励せざる可らざる所以を辯解したれば讀者諸君は必らず之を記憶せらるゝことならんと信するなり然り而て我輩は今一歩を進めて政府が今日に於て直接に長路の鐵道を布設す可き所以と其方法とを論せんとす抑も政府たる者が人民の爲し能ふ可き事業に干渉するは當に其職分外の事たるのみならず其損益相償はずして却て有害の結果を生す可きは古今其例寡からずと雖とも公共の有益事業にして人民の爲し能はざる者に至ては素より政府自から之を計畫することを要するは固より論を俟ざるなり乃ち今の日本の鐵道布設の如きは公共有益の事業にして人民の爲し能はざる者と云ふべし試に看よ彼の日本鐡道會社の如き又彼の東北鐡道會社の如き未た大に〓むにたらざる者と云ふと雖も兎に角に鐵道の布設を目的として結社せし所以の者は〓として政府の鼓舞奨励に由りたるものゝ如し果して然らば今日若し長路の鐵道を布設せんとするに於ては政府に非ずして誰かこれに任すべきものを事業は斷して政府の外に此任に當るべき者がなきを信するなり且鐵道なる者は兵要上にも亦須要なるを以て彼の日耳曼國の如きは假令人民にて之を布設するを得可きも政府は敢て之を人民に放任せずして或は直接に之を布設し或は又旣に人民にて布設せる者の買上に從事せりと謂へり由て考ふるに鐵道は我邦人民の爲し能ふ可き事業なりと看做すも政府か直接に之を布設して敢て不可なることなし況や今の我邦人民の爲し能はざる事業なるに於ては素より政府の直接に計畫すべきものたる論を俟ざるなり

蓋し今の政府の財政に就ては我輩は其詳細を知らずと雖とも目下財政の一大急務たる紙幣の償却に就ては未た確然たる廟算も立たざるやに聞及ひ居れば決して財政は寛裕なりと謂ふ可らざるなり是を以て今日に於て政府が長路の鉄道を布設せんとするに其資財は國庫の豫備より出す能はざる可く又今の歳入の中より之を給すること能はざる可し必ずや別に之を徴收せざる可らざるは明なり然り而て其徴收の法たる租税の増課に由るを得可く又内國債の募集に由るを得可しと雖とも今の日本の有樣にては外債の募集に由るを以て最も良計と為す可きなり

総て國費を徴收するには租税の賦課と國債の募集との二者に由らざる可らず而て此二者の中熟れか最も良計なるやを決するには素より其場合と事情に依らさるべからずと雖とも之を要するに其良計なると否とは國内の殖産興業のために使用せる資財が之がために減少すると否とに由て決すべきなり則ち此資財を減すること最も少き者以て最も良計となすなり今我國理財の實況を察するに殖産興業用の資財を減せずして鐡道布設用の資財を得んとするには外債の募集に由るを以て最も良計となすべきなり

且夫れ政府が今日に於て外債を募集するは敢て新奇の事に非ずして舊債を償却して再ひ之を募集する迄の事なり乃ち明治三年に於て鐵道布設の爲めに募集せられたる舊外國債は昨十四年度を以て完償し了りたれば今日我邦の負擔する所の外債は單に新外國債あるのみ故に十五年度以前に在ては政府は外債償却の爲めに年々元利合して凡そ一百七十万圓を支出せんと雖とも十五年度以後に至ては舊外國債は旣に完償し了りたるを以て年々に元利合して凡そ一百万圓を償却するに止ることとなりたり是を以て負債の點より論するときは今再ひ鐵道布設の爲めに外債を募集するは其額非常に巨多なるに非る以上は唯十五年度以前の負債の有樣に復する者にして固より財政上に於て著しき更革を爲すに非ず是れ亦我輩の鐡道布設の資財は外債の募集に由るを以て最も良計となす所以なり

我輩は數千萬の外債を募集して善く全國に鐡道の布設あらんことを希望する者なりと雖とも然れとも今の我國の有樣にては興す可きの事業は寔に許多にして實財の常に空乏ナルのみならず目下焦眉の一大急務たる紙幣の償却の事だも未た充分に緒に着かざる等の事情あるを以て固より鐡道にのみ全資財を放下す可らざるは論を俟ざる所なり仍ち我輩は今日に於て政府は其會計上に十五年度前の外國債償却法を存置し之を以て更に一千万圓の外債を募集し直に鐡道の布設に着手せられんことを希望するなり

重ねて賣藥論

我輩は筆を閣して朝野新聞記者と對論するを辭す如何となれば議論の本位を殊にすればなり蓋し我輩は有形の學理を根據にして論を立つれとも記者は理外に逍遥し理も非理も混同して自由自在に妄想を開陳するものなれば到底學問上の談は無益の事として氣の毒ながら謝絶せざるを得ざるなり記者が昨日の論説に長々しく記したる所を見れば田舎の漁者が握飯を得て悦びたりと云ふ飯は滋養の實功あり貧病者がこれを喰へば必ず病の全快することあらん有形の病理に背かず是れまでは記者と共に理學の原則中に同行す可し然るに握飯と黒丸子とを同一視するに至ては記者は自から無學を表する者にして我輩は之と共に同行するを得ざるなり抑も握飯は一つ喰へば一つの功あり二つは二つの功あり、黒丸子は一服呑むも半服呑むも其功相同し、握飯は實の生力を養ふ者なり故に其量に從て功能の多少あり、黒丸子は無形の愚情に感する者なり故に其量の多寡は以て効能を厚簿するに足らず唯之を服するに量を過ごしたらば害あらんのみ如何となれば其丸藥中に多少の非食品を含有して人身の生力を妨ることある可ければなり貧人が飯を得て悦び又賣藥を得て悦ぶが故にとて飯の性質も賣藥の性質も吟味せずして等しく人間需要の品とするは甚しき無學の説ならずや

記者は又賣藥を以て酒に比したり此比喩も大抵握飯に同し酒は名酒にても田舎酒にても之を飲めば實に酔うて愉快を覺るの効能あり賣藥は之を甞めて實に病を癒すの功能なしと雖とも記者は賣藥好きなるが故に妙振出の功能を説立るまで熱心せり我輩は白湯も茶も妙振出も同一視する者なれば逆も學問上に議論は出來難きことと斷念せざるを得さるなり

我輩が學問上に基つきて有益の食物を奨励し新規の物品を探索し其他清水下水云々の事を云へば是れは中等以上のみ功徳を蒙る可きとて之を聴かず左れば記者は衛生の法を見て正に今日この有樣を十分なりと云ふ意ならん我輩は唯これを十分なりと思はず一時に施し難きものは數次にても其緒を開かんと欲する者なれとも記者と論を異にすれば復た論するを〓とせず又最後に一言す可きは記者は藥師の御水弘法の御灸とて其行はるゝを以て衛生の擧〓と稱したり甚た學者論に似たり然りと雖とも御水の御灸と賣藥と何の區別あるや等しく實の功用なきにして人〓を慾するものたるに過ぎず御水御灸は物〓の原則に過ぎざるが故に無益なりと云ふの意味か若しも其無益なるを知らば何そ一を擯けて一を取るか記者は無学者の如く又非理學者の如し我輩復た共に語るを無さざるなり