「養老金の制を設く可し」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「養老金の制を設く可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

養老金の制を設く可し

我日本帝國が新に其國是を當代文明の針路に轉じたるは今より僅に二十年以來のことにして王政維新全く政府の組織を變改し當代の文明を欽幕するの少壯者政事に當ることとなりしより僅かに十數年を經過したる新文明國の新政府たるを以て苟も官吏の列に在て公務に服する者は多くは紅顔墨頭の壯士にして白髪霜鬢の老翁を見ること少なし

日本固有の風習として老者を厭ひ壯者を喜ぶと云ふ樣なる意味ありて然るが如きは萬々無きことなりと雖とも如何せん世界の文明就中新日本國の文明は眞實に日新月捗して須臾も止まることを知らず舊日本の眼を以て新日本の状勢を見れば一事物として了解すべきものなく其進路の急速なるに仰天し空しく其塵を

望みて後に瞠若たるの外なきものなり故に事實の萬止むを得ざるより大に壯者をして事に當らしめ以て此文明の新政府を組織するを得たることなるべし維新以來僅かに十五年日本帝國の命數に照準すれば實に萬分の幾何にして計ふるに足らざる日月なりと雖とも傍に向て世界の文明を見れば其長歩疾足全く普人が想像の外にて其歩は日に長を加へ其足は日に疾を加ふ試みに十五年前の世界を回顧するに茫として百五十年の古への如し尋常一樣の欧米諸國にして尚且つ百五十年の進路を長歩したり況や我日本の如き新文明國に於ては其長其疾固より他舊國の比にあらず實に一日三秋の進歩を成せるものと云て可なり而して此進歩の眞最中顧みて新政府の官吏を見れば明治元年の昔は紅顔黒頭の美少年なりしも寒來暑往十五年帝國の命數に照準すればこそ単日月とも云へ人間の一生に比較すれば随分長き時日の間に王事鞅掌寧處するに遑あらず一年は一年より老境に深入し鬢邊の置く霜は掃へども復た來りて今は旣に知命耳順の老翁と成りたり朝野政府の新なると少壯官吏の居多なるとにも拘はらず此短日月間に於て早く旣に白頭の當事者を見るに至りたるは畢竟天然法の罹らしむる所にして人力の左右し得るものにあらず是非もなき次第なるべし

然るに此白頭官吏は維新の前後より明治十五年の今日に至るまで連籍一日の如く國事に勤労し此際或は大に一時の功を奏したるものあり或は永年困難の日月に事を成したるもありて大小難易の相違こそあるべけれ何れも皆明治政府の功臣にあらざるはなく則ち郷黨民間の長者にして日本帝國の元老たる人々なり竄に我輩の尊敬を受くべきのみならず永く日本政府の厚遇する所となりて生涯其聲望を全くすべきは其功勞に報酬する當然の事なるべし故に我政府に於ても老年にして劇職に在るの官吏を見れば時を待ちて散閑髙級の官職を授け専ら其老を慰するに汲々たる所なきにあらず實に明治政府の美徳と稱すべきなり然りと雖とも若し此慰老法をして其用を誤らしむることあれば其弊害の及ぶ所決して淺少ならず遂には人の爲めに官を設け官の為めに事を起し事の爲めに無用の國費を廢消するに至ることあるべし愼まずんばあるべからざるなり老年官吏の老を慰するがために或は其の散官を授け或は故らに一職を置て之に任することあらん歟其人今旣に老ひたりと雖とも其古へに溯れば又是一個の壯士たりして以テ十五年の後世に當て時の少壯者と競爭するも猥りに其下風に立つことを好まず世人をして散官なり冗職なり又具員なりと評せしむるは甚だ其心に安んぜざる所なるを以て撓かに其職を守るを得て以て足れりと爲さず必ずや大に爲すべきの事業を索めて之に着手し彼の伏波將軍が鞍に據て顧眄し猶用ふべきを示すの意あるや論を俟たず事業は即ち費用なり此慰老法の結局は老年官吏のために空しく毎人幾万の金を浪費するに終ることあるべく直接には我政府間接には我人民共に其弊害に堪えざるべし今此弊害を避けんとするには養老金の制を設くるに如くはなし其法功勞の大小勤務年限の長短等によりて其俸金の員數を異にし少なきは毎年數百圓多きは數千圓其人罷職の日より在世の日を終るまで不斷之を給輿し悠然閑日月を樂しむの資に供すべし斯の如くなるときは養老者其人は功成り名遂け身を終るまで日本帝國の元老たる榮を全くすることを得るの利あり日本政府は能く其功を賞し老を養ふの美徳を損せざるのみならず更に又人の爲めに官を設けず大に國庫の費用を節減し得るの大利益あり實に一擧三得の美事なりと云ふべし

以上我輩の論ずる所は専ら在職の老年官吏に的切するものなりと雖とも退て罷職官吏の場合に適用するも其論理正に同一なるべし明治初年度以來官吏にして職を罷め民間に退きたる者少なからず而して其人々の十中八九は此爲活潑の志士にして議少しの時の當局者と違はざる所ありて斷然勇退したる者なり其身の據て立つと野に在るとて論ぜず常に國事を憂ひて措くこと能はざる者なり故に退職無爲の際其名聲を保護するためには一概に憂國者と稱し賤しきの擧動なきにしもあらずと雖とも我輩は之を傍聴し政府に養老金の制ありて此志士等も安じて國事を憂るの暇あらしめなば此都合を未然に防くべしと感したること度々なりし我輩今故ふに其實例を要せず之を當時の當局者に質せば必ず心に頷する所あるべし故に我輩又日の養老金は人の爲めに官を設くるの弊を擯けるのみならず在野の罷職官吏をして其力を徒費せしむるの害を防くに必要の制度なりと