「・地方長官諮問會」

last updated: 2019-09-08

このページについて

時事新報に掲載された「・地方長官諮問會」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

・地方長官諮問會

本月中旬を期して各地方長官を東京に招集し例の諮問會なるものを開かるゝやにてそれがためにや諸府縣の知事縣令等は過日來續々上京し着到滿員も將に近きにあらんとするが如し而して此諮問會なるものに於ては何事を諮問せらるゝかは最も祕密に屬することのよしにして我輩更に之を漏聞することなし或は曰く地方長官任用法を改革し自今其地方の名望家を以て之に任ずるの便否を諮問するなり或は曰く治水堤防費を地方税に屬したるは國計上の過失たりしが如きを以て自今更に之を國庫支給法に改むるの便否を諮問するなり曰く何曰く何と世上に取沙汰する所實に一にして足らざるなり然るに東京日々新聞は之を辨解して今回諮問の事件は内務省の官吏と雖とも未だ之を承知したる者なきを以て世上の風説する所は總て無根の想像たるに相違なしと證明したり如何にも日々新聞の辨解の如く斯く政府の大祕密に屬すると云へるものにして近日の如き間柄の我々民間人が固より傳聞し得べき樣なし何事の諮問會なるや更に我輩の知る所に非ず或は諮問會に非ずして相談會なるや親諭會なるや命令會なるや是又更に知る可らざるなり我輩既に此會の次第を聞くこと能はず故に我輩が此會を論すること能はざるも亦當然のことなるべし唯我輩は昨年の地方官諮問會以來の世事を記臆して以て今年の諮問會を想像せんと欲するのみ

昨十四年の歳末に際して我政府は各地方長官を東京に招集して諮問會とか号する傍聽禁止の祕密會を開かれたり而して其何事を談ぜられたるかは當時我輩の耳に入らざるは勿論一ケ年後の今日に至るまで當局外の人に一人として之を承知する者あることを聞かず滿天下の人は皆彼の祕密の帷幕外に立て茫然其爲す所を知らざる者と云ふべし或は當時世上の風説に滯京の地方官等が其樓上に集會して閑宴を催したる節にも席間を周旋して酒を行るの任に當りたる者は皆十歳前後の少女にして苟くも坐客の談話を傍聽して其意味を解し得べしと察せらるゝ年齡の者は一切席に侍するを禁したりとか云へり此説の眞僞は固より知ること能はずと雖とも以て當時諮問會員の祕密を尊びたるの氣風を概見すべきなり

然るに此諮問會御用を了りて各地方官が其住所に就くの後俄然日本全國の地方行政事務上に種々の變相を呈したり例へば集會條例執行の如きも其寬猛に前後の區別あるべき理由なきは万々なりと雖とも何故にか本年に入りてより比條例を犯して罪を獲たる人は從前に比して大に其數を增したるは實事なり又新聞條例の如きも前記集會條例と同樣其實行の公平なること更に前年に異なる所なかるべきは勿論なりと雖とも本年の如きは何等の原因ありてか此條例の罪に觸れたる者實に近年未曾有の多數なりしは實事なり又某學塾卒業の學士は其擧動甚だ訝かしとか云ふ理由を以て某官立學校の長を免じたりとの評判ありたり又某社は彼の虚實黨員の集合体にてもあるやにて其社員たるの故を以て官職を免ぜられたる者ありしとの評判ありたり又郡吏等が周旋して政談社樣のものを結合したりと云ひ縣廳の印刷物を某活版所に托することを止めて更に某活版所に命じたりと云ふ等一々枚擧すること能はずと雖とも一概に評して本年は一月以來全國に異事の多き年なりしと云はざるを得ず而して此政治社會に關係ある幾多の異事は悉く昨年末の地方長官諮問會に胚胎し終に吾人日本國民をして斯る奇想を一見せしむるに至りたるや否は固より我輩の知り得べき樣なし例へば尚彼の虎列刺病の如し本年の夏は日本國中惡疫流行し爲めに迷惑したる者甚だ少なからず實に不思議千万なる事共なり回顧すれは昨年末東京に於て地方官の祕密諮問會なるものありたり此病の流行は實に彼の會に胚胎するものなるべしと云ふ者あらば必ず世人の嘲罵を免かれざるべし故に前記の諸異事なして皆前年の諮問會に淵源せしむるなりと云ふは固より我輩の遂に肯諾せざる所なりと雖とも天下皆我輩と説を同しくする者のみにあらず或は大に諮問會の次第を疑ひ本年中地方行政上に現はれたる一切の異事は皆昨年の諮問會より來るものなりと信ずる者なきに非ず是れ元と其人々の見識狹隘なるに原因することならんと雖とも其狹隘の本元を尋れば政府の祕密主義與かりて又大に力ありと云はざるを得ず是等も亦祕密主義の一弊害なりと云ふべきなり

昨年の諮問會は政府の大祕密事に屬し我輩は其大概をも知ることを得ざりき故に本年流行の諸異事を見て纔かに當時を想像するに過きざるなり本年の諮問會も同じく亦政府の大祕密事に屬し當局の内務官と雖とも尚事柄を知る者なしと云へば其祕密の程度は蓋し亦昨年の會に劣らざるならん此祕密の帷幕外に佇立する日本人民は亦昨十四年の例に依り來る十六年に流行の諸異事を見て今十五年末の祕密諮問會を想像する外なかるべきなり