「日本支那の關係」
このページについて
時事新報に掲載された「日本支那の關係」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
日本支那の關係
日本支那兩國の交際は近年益密接に至り随て其關係漸く困難を加へたる樣に思はるゝなり明治四年時の大藏卿伊達宗城君が淸國に使して現行の日淸條約を締結したる時までは兩國の交際實に微々たるものにして、有るが如く又無きが如きものなり是よりして兩國人民の往來外交の事務等も次第に繁多となり明治七年臺灣征討の擧あるに至りて俄然其模樣を改め遂に戰塲に相見るの沙汰に及ぶべき有樣なりしに幸いにして時の内務卿大久保利通君が能く使淸の命を全くして歸朝したるを以て旣に絶つべかりし交際は爾後却て其親密を増し日出る處より日没する處に至るの間片雲も人目を遮ることなかりし際琉球兩属の
議論漸く世上に喧しく明治十二年琉球藩を廢して沖縄縣を置てより此論遂に日支兩國間外交上の一問題と成るに至りたり時に米國前大統領「グランド」將軍は新聞記者ヨ
ング氏(今の北亰駐剳米國公使)を伴ひて世界を周遊し偶ま北亰に來着したる折柄支那政府より琉球に關する日支兩國間の紛議仲裁の事を將軍懇嘱したりとかにて尋で將軍が我日本に來着の折我政府の諸君と右紛議の仲裁に關する談話もありしやに風説すれとも爾後今日に至るまで果たして「グランド」将軍が此仲裁を試みたることありしか或は尚ほ之を試みつゝあるか事蹟に現はるゝ程の明白なる次第は一向に我輩が知らざる所なり然れとも近日我輩が淸國より得たる報道に依れば支那政府は兼て米國政府を信ずること薄かりしが近來は一層甚だしきを加へたり其原由二あり一は米國政府が其國内に於て支那人を遇すること甚だ其當を得ず恰も人間より劣りたる一種の動物と視做すが如き所置あるは兼て支那政府が肝に銘して其恨を忘れざることなるに本年に至り米國政府の不法漸く増長し遂に自儘の國法を制定して支那人の來往を禁止したるより支那政府は最早堪忍の袋も綻び爾来米國政府に對して其怒を色に現はすに至りたり是非一なり他の一は先年「グラント」氏が北亰へ旅遊の折を時とし支那政府は琉球處分に關する紛議の仲裁を同氏に依賴し淸國の面目を全くせんことを希望したりし同氏は當時其依賴を承允したるにも拘はらず一旦日本政府の言を聴くに及ひて忽ちに其前言を食み却って日本を保庇するの所置あり輕薄無眞實に
驚くに堪ゑたりとて「グラント」氏が前大統領と云ふて以て氏の約束は米國政府の約束なりと応得米國政府は支那政府に對して言を食みたりと云て大に其不平を漏らせり是又其一なり斯の如き原由を以て米淸兩國間の交際は近來頓に冷却したるが如しとあり此報道中の琉球處分に属する一項は果して事實なるや否知らずと雖とも幾分か事實に近きものと云はゞ支那政府が琉球處分に關する執念甚だ深きより知らず議らず緣故の遠き米国政府までに斯の如き恨を衛むに至りたるなるべし果して然りとせば此處分に關し直接に其局に當りたる者に對しては何等の怨恨を懐き居るやは讀者諸君一念して其大概を想像し得べきなり
據るべからざる不理屈に據りて大に自家騰手の不平を訴るは支那政府が慣手の技倆なり琉球事件のごときも相當の手續を經て疾く旣に其處分疾く旣に其處分を完了したるものにして今更言出つべき事なしと雖とも支那政府の行為は必ずしも尋常の道理を以て推測すべきにあらず奇異の時刻と奇異の塲所とに於て突然尋常道理の準縄外に属する不平を提出し
來らずとも請合ひ難し殊に本年七月以降朝鮮亰城の變に際し當局の被害者たる日本政府が其使節に護衛兵を附したるを見て時局に關係なき支那政府が卒然三千の大兵を韓地に上陸せしめ自家の大を恃み朝鮮の小を侮り親友國たる日本人の面前に於て恣に國王の生父大院君を執らへて北亰に拘致し或は國王に諭し或は人民に告示する等自家の臣民を御するに異ならず爾来今日に至るまで謂はれもなく亰城内に大兵を止め其四門王宮を巌守するが如きは實に道理の準縄外に属する所業なりと云はざるを得ず而して彼れ自から思らく此準縄外の所業以て日本人の肝膽を寒からしめたり敵國に交はるに武斷に如くものなしとて揚々自得の色あるが如く然り近日我輩が聞き得たる所に依れば天津の李鴻章が日本人を待遇するに近來俄かに其趣を異にして十分の禮を盡さず就中朝鮮人の見聞することもあるべき塲合に於ては其暴慢殊に甚しく其意大に大國の威を示すにあるが如しと或は李鴻章の周旋を以て招商局より五十万「テール」の金員を朝鮮政府に貸與し或は鑛山技師を派遣して韓地の諸鑛を探らしめ或は天津芝罘仁川の間に定期航海を開くの企てありと云ひ其進取の氣象實に前日の支那政府に類せざるなり而して其目的の所在を尋れば直接朝鮮に在らずして間接の日本に在り臺灣琉球事件以來今回朝鮮の變に至るまで日支兩國の關係は一歩は一歩より深く日に困難の境に入るものと云はざるを得ず知らず我日本政府の當路者は何の國是を以て此困難に處せらるゝにや