「中正の判斷」
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時事新報に掲載された「中正の判斷」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
袖浦外史
昨年十月 聖詔の一たひ降るや國會開設の時期正に大に定まる、其緩急遅速に就ては最早や吾人臣民の論し奉るべきに非ず謹て 聖意を奉して専ら其準備に從事するこそ吾人の今日に怠る可からさる所なりと申す可し天下の志士巳に茲に見る所あつて乎昨年以來は一入政黨の團結に熱心し東奔西馳日も亦た足らざるが如く然り而し今や儼然政黨の形を作したる者巳に少なからす抑も政黨團結なる者は果して國會準備の其中に就て最も急務なる者なるや否やの議論は暫く擱き天下の志士にして斯く熱心一途人心の收纜に從事する所以の者は畢竟 聖意を將來に空しくせざらんとの衷情に出たる者にして又我國一般人民をし幾分か政治上の思想を養成せしむるの一手段たるに外ならざれば吾輩は志士が今日の行爲を見て寧ろ國家の爲めに慶賀せざるを得ざるなり
政黨の未た盛に起らざるの前日に在ては我國新聞紙の如き又た演説の如き其主義尚ほ未た漠然として一定の確論を唱ふるなく或は政治上一事項に就て同新聞社中議論數種に分裂し紙上互に相反對して判斷を廣く看客に求めたることあり或は一法律に就て同席の演説者中大に其見解を異にし各起て其説を述へ是非を聽衆に訴へたるが如き奇談もありしことなれども政黨團結の今日に於ては新聞演説大概ね政黨の機關となり各其政黨に依て其主義を固守し其定見を把持し或は彼は改進自由黨の演説なり此れは保守古風黨の新聞紙なりと唱へ苟も志士の事を論し物を議する皆な黨派の思想を其間に挟んて以て始めて之を是非判斷するに至れり盖し彼英や米や政治機關の常に滑然とし回轉し静かに政權の授受を黨派交代の間に決するを得る所以の者は偏へに政黨競爭の致す所にして畢竟各政黨の何は扨て巳れが主義を以て最良最美の主義と做し最も眞理に適ふて人心に合したる者は我黨に如しなしと思ひ万事万物之を是非し之を判斷するに常に他黨を惡んて自黨を愛するの精神を以てするに由らずんばあらず去れば我國今日の如く新聞にまれ演説にまれ天下の事物を論議するに方て常に黨派の思想を其間に挟み或は偏愛偏憎の精神を以て文を草し舌を鼓するは異日大に競爭を政治上に見るの前兆にして而かも此競爭は則ち代議政体の他に卓越して善美なる所以なれば吾輩は我國新聞演説の巳に如斯く黨派 の元素を吸入したるを見聞して轉た欣喜に堪へざる者あるなり
然るに吾輩は茲に又た一つの憂ふ可き者あり何そや志士の其黨派を思ふの切なるより不知不識議論常に正鵠を失ひ判斷常に中正を誤まること是れなり抑も男子一たひ其志を定め其方向を決す宜しく確固不動斃れて而し後ち巳むの精神を以て飽まで之を主張して之を唱へさる可からず志士の主義を政治上に一定するや亦た須からく熱心一途此主義と共に斃るゝの勇無くんばある可からず彼の飜々然として風潮に誘はれ利慾に眩されて西に轉し東に移り曾て一定の見識を有せさるか如きは寧ろ始めより主義を有せざるの愈れるに如かず乃ち人一たひ其主義を決す、宜しく其身を委て其心を凝ふして敢て怠らざる可きは固より當さえ然る可き所なりと雖ども而かも其熱心の餘り天下の事物を判するに公正の明を失し詳かに其性質を知悉せずして速了速斷唯自己の利害の在る所に就て是非の批評を下たすが如きことあるに至ては吾輩は特に憂慮に耐へざる者あるなり試に府下政黨の機關たる諸種新聞の記する所を見よ時に或は整々の陣、堂々の旗、理に依り道に訴へ眞に其主義の在る所を示し其黨議の存する所を明らかにし互ひに其論鋒を闘はして策戰を爭ふの美觀を呈する者ありと雖ども多くは双方互ひに事物の一方にのみ注目する事、牽強に流れ附會に失し敵黨に不利なる者は針細の事も之を棒大にし自黨の爲めに利ある者は更らに之を修飾して世に公にするの類にして他を駁する時は唯「バツドポイント」に依つて以て立論し巳れら保庇する時は又た唯「グードポイント」に就て觀察を下たすが如き者比々皆な然かり苟も言の詭激を悦ひ文の波瀾に渉るを愛するの書生輩に非らさるよりは誰か如斯き有樣を見て厭〓の情を起さゝる者あらんや否な徃々其所記の兒戯に類せる其論説の淺慮なる少しく理心を有する者の常に爪彈して通讀するを厭ふ者あり無理ならす事共なり然れども退ひて窃かに事の茲に至る所以の源を尋ぬれは畢竟各自其主義を固守し其黨を愛するの熱情に發したる者にして勢の遂に止を得さる所固より深く咎むるに足らざるが如く然かり然からは則ち全く之を度外視して可ならん歟曰く大に然らす乞ふ其理由を述へん
盖し彼英米の如き一般人民の巳に充分に政治上の思想に富み新紙を讀むも演説を聽くも能く其正邪を取捨し能く其曲直を識別して毫も誤まらざるの能力を有せる國柄に在ては最早や他に如何なる偏説僻論を唱ふる者あるも能く之を判斷して決して爲めに惑はされ爲めに欺かれて其身を誤り其方向に迷ふが如き恐れあるなしと雖ども而かも人民の尚ほ未た政治上の智職に乏しく淺慮短見唯事物の一方に拘泥し深く其眞理を講究せず風潮のまにまに其方向針路を轉換するが如き幼稚國に於ては之れか率先者たる者は宜しく之を導くに公明の眞理を以てし之に教ゆるに正大の公道を以てしu其智識を發達し思想を養成するを勉めさる可からず而し之をなすには勉めて黨派に與みせず唯局外に立て中正の道を蹈まざる可からざるなり今や我國新聞紙の如き大概ね巳に黨派の臭氣を帯ひたるを以て其競爭の勢ひ自から事物を判斷するに方て公平の明を失するなき能はず乃ち茲に於て乎始めて中立新聞の要用を知る可し
然るに近來開進に黨せず保守に與みせず偏頗偏見の弊を去て公平無私唯理に是れ依り唯道に是れ訴へて開進主義と雖ども其論議の眞理に反したる者あらば之を攻撃し保守黨と雖ども其行ひの道理に合する者あらば大に之を贊成して毫も愛憎の沙汰無く所謂中正の路を蹈んて公平の判斷を事物の全体に下たす者あらば世人擧て之を無主義無定見なりとす嗚呼何そ誤れるの甚しきや若し夫れ世の主義とは必すしも開進保守の二者に限きりたる者ならんには或は二者其孰れにも與みせざる者を稱して無主義の汚名を下たすも可ならんと雖ども世界に廣き人心の同しからざる決して保守開進の二者を以て悉皆世の中の主義を網羅したる者とは云ふ可からず乃ち開進にあらず保守にあらず必すしも彼れを愛せず必すしも此れを憎まず唯其眞理に照らし國情に鑑み中正公明の論議を以て世上に立つ者も亦た是れ堂々たる一個の主義と云はざるを得ず否な政治思想の未た十分に發達せざる我國の如きに於ては徒らに一黨に心酔し一派に拘泥して偏見僻説を世上に公にする者よりは寧ろ黨派の思想を脱して局外中立岡目八目の見解を有して常に公正の判斷を下たす者の却て國家の爲めに大利あるを知るなり去るを何者の痴漢か口さが無くも會ま目下流行の政黨に與みせずし卓然眞理を講するの新聞紙を見て忽ち彼れは無主義なり無定見なり共に語るに足らずとなすや嗚呼共に語られざるこそ幸ひなれ是れ乃ち此新聞の時流を脱し衆に擢んでゝ眞に世uをなす所以ならん歟尚ほ一言せざる可からさるは頃日の流行として青年の好んで政治を談論せざる者を見れば忽ち叱咤して曰く吁汝馬鹿者汝は廿三年に至て如何して身を起さんと欲する乎苟も國會開設の其時に當て地位を得んと欲せば何んそ今より東奔西走人心を籠絡し衆望を纜がんことを勉めざると抑も世人は國會開設の後は我日本は全く政治一科の世界と變する者と思へる乎國會己に開けて國民參政の權を得るの日に至らば人各多少の思考を政治上に有せざる可からざるは勿論なる可しと雖ども而かも國會己に開けたればとて商賣衰ふるに非らず文學萎菲するに非らず製造止むに非らず教育消ゆるに非らず何れもu擴張盛大の域に進歩するや必せり去れば今日の青年輩は各其才に應し其質に依り其好む所の事業に從ふて怠らざるこそ肝要なれ何んそ必すしも今日志を政治の一点にのみ傾向せざるを得ざるの理あらんや否な今日の書生輩にして悉く政治の一点に歸嚮して各我れこそは他日國會の議員たる可し我れこそは參議たる可しとて大望を後日に抱きたらんには或は八年の後日に至て大に失望落膽其時こそ一身を容るゝ地なきに至らん歟我國の國會議員は定めて五百に下たらさる可し又た責任宰相とて十人前後に上ぼらざる可し百の「グラッドストーン」と千の「ガンベッタ」は先つ以て我國には不用なりと申す可し乃ち目下世上の流行を脱して卓然其好む所に從事する者の尚ほ多きは寧ろ其人の爲め又た我國の爲めに慶賀せさるを得す吾輩は「我國にグラッドストーン」「ガンベッタ」の多きに兼て又金穴には百の「ロスチールド」を得んと欲し學者には千の「ニウトン」を陶冶し出し商賣と學問と政治と三世界恰も鼎立せんことを欲する者なり