「尚自省せざる者あり」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「尚自省せざる者あり」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

厚顏なる哉、日報記者は、過日我輩が天下憂ふ可きもの二ありと題したる論説に付き、一度び説明を得て滿足

ならんと思ひしに、又も喋々同じ文字を竝べて其非を遂げんとする者の如し。畢竟記者の如き気分不揃なる極端

論者と相對して時事を語るも益なしと思へども、其顚末不都合の甚しきものに就ては簡單に二言を呈せざるを得

ず。

最初日報記者が我輩の記したる官權の文字に付、官權とは如何なる意味ぞと嚴しき糺問なるに付き、我輩も少

しく當惑したる其次第は、此文字の意味は世間に普通にして特に註釋を要せざること、譬へば天は天なり、地は

地なり、御用保護は御用保護にして、新聞紙は新聞紙と云ふが如く、特に説明の法もなくして困却の折柄、不圖

明治十四年九月二十一目の東京日日新聞を見れば、幸にして( 日報記者の爲には不幸にして)官權論者云々と記し

たる者あるゆゑ、我輩が官權「と記したるは決して奇文字に非ず、日報記者が前日用ひたるものと大抵同樣ならん

なれば、記者にて自問自答せよと述べたれば、記者も今は釋然又赧然たる可しと思の外、却て毫も憚る色なくし

て、吾曹が常時官權と名けたるは君主專制の壓抑主義を持する輩を指したり云々と公言せり。左れば日報記者は

去年九月の頃は官權黨卽ち君主專制黨の壓抑主義を持して、當時記者の黨義たりし自由主義を妨る者多きを見て

之を蛇蝎視したるに相違なし。卽ち明治の初年より去年の初秋までは、世の中に專制主義の存したるや、記者の

言に明白なり。殊に明治十三年五月七日の日日新聞などには、條例新に出でゝ政談を制限すと説き出して、官吏

某を誹謗罵言する等、其前後の説諭を見るに、恰も人民言論の權理を奪ひ去られたりと云はぬばかりに愁歎する

ものゝ如し。然るに明治十五年十一月十四日の日日新聞には、今日の明治政府は維新以來十五年間、如何の君主

專制を以て人民の權理を既に得るより奪ひ去りたる乎と裏より責めたるは、共絶無を證したるものならん。我輩

の見る所にては、明治元年の政府も十五年の政府も、其組織は同一樣にして何も變更したるを見ず。世間の人も

亦我輩と共に之を同一樣視することならんと雖ども、唯日報記者一人の眼には何か變はりたるが如くに見ゆる歟、

若しも眞實變はりたりとならば之を明言す可き筈なれども、十五年間君王專制の實は絶無と證したるは、變はら

ざるの意味ならん。左れば十五年間君主專制なし、官權黨も亦なき筈ならずや。是れなければ無しとして亦可な

りと雖とも、明治十三年の頃には官吏某の如き官權黨の甚しき者ありと云へり。前後撞着のみならず、其無稽妄

漫なること、誠に失敬ながら小兒の嚥〔囈〕語に等しと云はざるを得ず。他に向て質議駁論の沙汰は姑く閣き、自家矛

盾の始末方こそ大切たれと、記者の爲に謀て傍より心配する所なり。我輩の所謂官權とは、記者の自から註解し

たるが如く、君主專制壓抑暴虐、人の舌を抜き人の口を縫ふと云ふが如き恐ろしき意味に非ず。官たるものは固

より權なくして叶はぬことなれば、官は無權が宜しと云ふに非ず。官權固より強大ならんことを祈ると雖ども、

其官權の趣意を傅へ又傅ふるの際に、日報記者の如き輩が出かし心に不思議なる事を唱へ散らして、政府の御加

勢と思ひの外、官權の意味は變性して勤王と爲り、其勤王論は後日に至て前年の覆轍を踏み、政府の爲にもなら

ぬのみか却て其始末に困じ果るの場合に至ることもあらんと苦慮したることなり。

右の次第にて、我輩が古勤王論の再燃に困却す可しとは、前年の事實を目撃して後來を慮かりしことなれざる、

日報記者にて此慮なしと保證せば夫れにて苦しからず。唯我輩は記者の保證に依賴せざるのみ。又古勤王の

古の字が記者の氣に掛りたる樣なれども、我輩未だ新勤王の名を聞かず、唯勤王とあれば、王政維新の前後より

大抵古風を悅び舊慣を慕ふの例多きが故に、古の字を用ひたるのみ。其文字に深き意味あるに非ざれば、記者の

隨意に一字を除て讀むも可なり。彼の奇兵隊の餘類が長州に暴發し、神風連の一黨が安岡縣令種田少將を殺害し

たるが如き、何れも皆古風を悅び舊慣を慕ふの一念より起りたる勤王主義の極端と云ふ可きものなれば、此勤王

の上に古の一字を加るも除くも我輩は頓と意に介せざれども、日報記者が我輩に向て、安心せよ、此古勤王の再

燃絶てある可らずとの保證は、其事實を見るに非ざれば依賴するを得ず。如何となれば我輩は前年の禍を目擊し

たる者なればなり。

又日報記者は時事新報の説論を如何に見たるか。我輩は人心智愚の働の定則を述べて、其二樣の例に勤王論と

租税論とを揭げ( 十一月十一日時事新報社説の初を再讀せよ)、人民一般智識開達せざれば勤王論も盛ならん、租

税論も難からんと記したるに、勤王論が直に租税論を妨ると解したる歟、租税の事に付ては我輩別に説あれども、

記者が邪推の管見にて過日の時事新報を斯く解したることならば是非なき次第、何と解するも勝手に任するのみ。

彼れ一人を除くの外、天下に眼を具して文を解する人も多からんなれば、我輩必ずしも之に關心せざれども、尚

一言の忠告を呈せざるを得ず。苟も記者にして他の説論を駁するの意あらば、先づ確然不抜、自家の主義を一定

して、前後背反の憂なからしめ、次でょく他の文を讀み其趣旨を會得して、果して自家の主義に違ふものを發見

して、然る後に駁擊を試るも可なりと雖ども、日報記者に於ては往々此旨を缺くもの多きが如し。是れ我輩が共

に謳るを樂まずして、只管其自省を希望する由緣なり。                      〔十二月六日〕