「東洋の政略果して如何せん」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「東洋の政略果して如何せん」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

東洋の政略を進取と決断して、兵備の要用なるは特に喋々の辨を須たず。吾人は固より好て兵を弄ぶ者に非ず。

忍ぶ可きは十分に忍び、持重す可きは十二分に持重すること、敢て他の忠告を須たずして自から知る者なりと雖

ども、其持重や自から程度あり。例へば朝鮮の關係に於ても、吾人は固より其獨立を妨げざるのみならず、常に

之を助けんと欲すと雖ども、支那人が頻りに韓廷の内治外交に干渉して、甚しきは共獨立をも危うくするの勢に至

るときは、吾人は日本國人の本分として支那人の干渉を干渉して之を抑制せざる可らず。卽ち我兵備を要するの

一點なり。然かも此事たるや實に焦眉の急にして、一目を猶豫す可きものに非ず。世の識者も近日樣々の報告を

得て其急なるを知ることならん。( 支那政府が大院君を執へて、朝鮮王をして臣と稱せしめ、又日本兵の京城に在

る間は支那兵も去らずん云ひ、又李鴻章の周旋を以て支那の招商局上り朝鮮政府へ五十萬金を貸したりと云ひ、

又支韓の間に特別の約を以て、支那商人は自由に朝鮮の内地に往來して商賣するを許したりと云ひ、又仁川港は

殆ど支那人の關する所にして、支那より日耳曼の士人「モルレンドルフ」なる者を紹介して朝鮮政府の顧問と爲し、

專ら仁川の海關に從事すると云ひ、又馬建忠の弟にて先頃迄神戸の支那領事館に在りし馬建常は、朝鮮政府顧問

の任を帶び、過日既に天津を發して京城に向ひたりと云ひ、又招商局の船は芝罘と仁川の間に定期滊船往來の線

を開くと云ひ、又風説に據れば、朝鮮の兵式は方今專ら支那人より傅習し、支那人は朝鮮の政府に日本より傅習

するを禁じたりとも云ふ。)我輩愚かにも數年前を囘顧すれば、我政府にて専ら内治に注意し、巨額の資本を費し

て鑛山に從事し築港を企る等、其他勸業の旨とて種々の商賣工業を保護し、又は再三法律を改正する等、國庫の

金を費し當局者の精神を勞したるは吉實に容易ならざるを見て、當時は之を咎めずして却て竊に贊成したるものを、

今より考れば慚愧に堪へず。若しも數年前に此資本と此精神とを賞して、之を兵備の一方に用ひたらば、今目の

急も斯くまでには無かる可きものをと、唯既往の無見識を獨り自から繊悔するのみ。然りと雖ども、往くものは

追ふ可らず、況んや既往の事業とて悉皆失策のみにも非ざれば、強ひて自から慰めて、唯今後の計畫如何す可き

や、之を語るこそ緊要なれ。扨兵備擴張、實際の着手に至り、最第一に要用なるものは國財にして、其出處は日

本國民の外ならず。日本國民たる者が、苟も今の東洋の形勢に眼を着して、國財徴収は果して焦眉の需要たるを

知らば、之を供給するは當務の職分なりと云はざるを得ず。然るに我輩が常に説論する如く、人事十中の七、八は

情に制しらるゝものにして、今日國中に令して新に税額を增す可しと云はゞ、人民は未だ其理由を聞かずして先

づ增税の二字に驚き、唯簡單に目下税を增すは難澁なりと答ることならん。卽ち普通の人心俗情にして、世界古

今の常態なりと雖ども、此際に當て苟も社會の表面に立ち無偏無黨の心を以て眞に國權の重きを辨知したらん者

は、少しく普通の俗情に超越して自から義務を負擔するのみならず、通俗に卒先して護國の義務たる所以を知ら

しめんこと、我輩の希望に堪へざる所なり。

抑も今の政談論者の言に從へば、護國は人民の義務たること、吾れ固より之を知れり、國を護るの義務あれば

又從て國政に參與するの權理あり、參政の權を得ざるの間は增税の沙汰は無用なりと云ふことならんと雖ども、

一國の政治には樣々の事情あるものにして、人々の意の如くなるは甚だ難きことなれば、時宜に從ては往々少し

く堪忍する所も勿る可らず。論者の思ふがまゝに行はんとすれば、增税は國會開設の後と云ふことならんと雖ど

も、其國會は明治二十三年に非ざれば開く可らず。去迚今日の東洋政略は眞に今日に迫りたる急要にして、一日

を猶豫すれば三年の後に臍を嚙むの後悔は明白に前見す可きに非ずや。若しも今日の陸海軍備をこのまゝに放任

して、これまでの軍費を以てこれまでの兵士を養ひこれまでの軍艦を維持して、以て明治廿三年を待たん歟。二

十三年には國會果して開く可しと雖ども、其國會を開きたる日本國は既已に西洋諸強國に蔑如せらるゝのみか、

吾人が平生より對等と云はるゝも聊か不面目に思ひし所の支那人にまで先鞭を着けられて、東洋の政略に牛耳を

執る者は北京の政府なりと云ふが如き奇觀を呈することもあらん。我輩の最も樂しまざる所なり。畢竟國會を開

設せんとするも、其目的は内政を整理し外交を處して、結局は我大日本國の國權を擴張せんとするものより外な

らざる可し。然るに其最大の目的たる國權をば、今後八年の其間に萎靡せしめて、然る後に始めて國會を開くも、

既に素志に齟齬したるものと云ふ可し。且又國の壽命は長きものにして、政府も八年の政府に非ず、國會開設し

て政府の權は誰れの手に落る歟知る可らずと雖ども、其政權を握りたる人の爲に謀りても、萎靡振はざる國の政

權と、強大駸々たる國の政權と、之を握るに孰れが愉快なるや。之を人生の私情に訴へても、今の時に當て政權

の強大を祈るこそ永遠の得策なれ。今日の時勢を約言すれば、軍備の擴張は焦眉の急にして一日を猶豫す可らず、

之が爲に民議を採らんことを望む者あるも一日に行はる可らず、國會の開設は八年の後に在り、軍備の事は八年

を待つ可らず、之を待つ歟、待たざる歟の一問題にして、我輩は八年を待たざるのみならず、今月今日軍備に着

手するも尚其晩きを恐るゝ者なり。左れば近來世間に軍備擴張の論あり、此論あれば從て國財徴収の事に論及す

可きや當然のことなれば、此時に當ては枉げても鬩牆爭權の熱情を抑制して國民たるの義務を擔任し、以て我東

洋政略の素志を達して、文は則ち開明の魁を爲し、武は則ち亞細亞の盟主たらんこと、讀者諸君と共に希望する

所にして、卽ち報國の本分と信ずるものなり。      

我輩が此文を草するは、眞に身を忘れて國を思ふの精神に出たるものにして、毫も爲にする所あるに非ず。

唯天下無偏無黨の士人と共に謀らんと欲するのみなれども、國財徴収云々の説を讀て、単に此一節に限りて之

を悅び、世に所謂官權論者の輩が此論説を奇貨として、之に尾するが如きは甚だ迷惑なる次第なり。或は本論

の旨を宜しからずとて駁擊忠告せらるゝ人心あらん、是れは固より甘んずる所にして多謝すと雖ども、漫に説

論中一節に就ての贊成は之を辭せざるを得ず。此事は本年九月十六日の時事新報にも記したり。重複ながら念

の爲に之を左に揭げて、尚微意の所在を明にす。〔註「兵論」本全集第五巻第三一六頁參照〕

(前略)世に所謂在野官權新聞の論者にて我輩の所論を贊成する勿らんことを祈る。凡そ我持論を吐露して

贊成を求めざるはなき筈なるに、我輩が特に官權論者の贊成を謝絶するは、蓋し又其由緣あり。抑も我輩が

曾て論じたる如く( 八月十九日社説)、新聞紙なるものは正議讜論、毫釐も他人に依賴することなきを以て本

色と爲し、他の囑托扶助を蒙りて節を屈し又持論を左右するが如きは、最も人の悅ばざる所なり。或は西洋

諸國の如く、政府も政黨を以て立ち、民間にも公然たる政黨を團結して、其國の何新聞は何某の機關なりと

明言するがに如き時勢なれば、官權新聞も政府の機關にて差支なきことならんなれども、今の日本の有樣にて

は然らず。政府は公然たる政黨の政府に非ず、新聞紙も亦公然たる政府の機關に非ず。公然たる機關に非ず

して、間接直接に隱然たる扶助を政府の筋より受るものを名けて、之を官權新聞と云ふのみにして、其性質

甚だ曖昧なるものゝ如し。凡そ事物は公明正大なるも尚世俗の猜疑を招くは人事の常なるに、今の所謂官權

新聞は性質既に曖昧なるのみならず、其記者とても、人物の強弱勇怯に拘はらず、自から元氣餒へて十分に

筆を振ふこと能はざるの意味もあれば、假令ひ如何なる名説を吐くも、到底世人の信を取るに足らず。世間

に信用を失ふたる新聞紙にして、偶然にも我輩の所論に同意を表し犬に贊成せられては、其人の好意は忝な

しと雖ども、我輩自家獨立の信を世に失はんことを恐るゝなり。之を譬へば山野獨歩の折柄、偶然に我が後

より獵師の尾し來るあれば、我れも亦殺生する者かと傍人に疑はれ、月の十七日要用を以て淺草の方角に行

き、觀音參詣の群集の中を通行すれば、我れも亦群集の士女と共に觀音の利益を祈る者かと思はるゝが如し。

是卽ち我輩が官權論者に對して甚だ氣の毒にも察し又禮を失するが如くにも思へども、其人の心術の如何に

論なく、官權の名を帶る間は鄙言に贊成する勿らんことを祈る由緣なり。        〔十二月九日〕