「東洋の政略果して如何せん」

last updated: 2021-12-25

このページについて

時事新報に掲載された「東洋の政略果して如何せん」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

諺に、楽は苦の種、苦は楽の種と云ふ。人間世界、苦痛を忍ばざれば快樂は得られざることならん。今我國に

兵備を擴張するが爲に國財を徴収するときは、人民に於ては間接又直接に幾分の私財を失ふことなれば、瑕令ひ

些少にても之を其苦痛と云はざるを得ず。既に此苦痛を嘗めて其報酬の快樂は何ものぞと尋るに、甚だ大なるも

のあり。凡そ人として權を好まざる者はなし。人に制しらるゝは人を制するの愉快なるに若かず。尚語を酷にし

て云へば、壓制も我身に受くればこそ惡む可しと雖ども、我れより他を壓制するは甚だ愉快なりと云ふも可なり。

道德の點より論ずれば、此心情甚だ不良なるに似たれども、開闢以來今に至るまで普通の人情にして、殊に風俗

習慣を異にする外國人との交際に於ては、最も其事實見るに足る可し。我輩十數年前、毎度外國に往來して歐

米諸國在留のとき、動もすれば彼の國人の待遇厚からざるに不愉快を覺へたること多し。去て船に剳〔搭〕じて印度海

に來り、英國の士人が海岸所轄の地に上陸し、又は支那其他の地方に於ても權勢を專らにして、土人を御する其

情況は傍若無人、殆ど同等の人類に接するものと思はれず。當時我輩は此有樣を見て獨り心に謂らく、印度支那

ひ或は我官吏及び商人輩の支那朝鮮に在る者が、少々の不敬を蒙り陰に陽に侮辱せらるゝも、堪忍主義の針路に

從て兎に角に内端に差扣へ居るときは、支那人が朝鮮と連合して日本へ來攻のことも無かる可し、先づ以て安心

にして、目下我國には兵士軍艦の要もなく、隨て國財徴収の沙汰にも及ばずして、至極快樂ならん。此際に當て

支那人は孜々勉勵して怠らず、獨断政府の政令は在朝一、二の人物より出で、旦に令して夕に行はれ、活潑進取、

意の如くならざるはなくして、加るに國財の豐なるあり、外國の人物を雇ひ、外國の器械を買ひ、新兵漸く募り、

軍艦漸く增加し ( 現今にても支那の海軍は凡そ我三倍に近し)、羽翼既に成りて之に加ふるに歐人の敎を以てし

て乃ち雄飛を試み、日本は琉球を滅したり、我は其先例に傚ふて之を朝鮮に施さんなど云ふ意味を含て、頓に兵

威を以て迫て朝鮮の廢國立省を行ひ、歐人は益これを煽動して陰に支那人を嗾し、日本に向て無法にも琉球囘復

の事を促がさしむる等の事もあらば、如何に退守の日本人にても最早恬然たるを得ざるは必定にして、日支間の

兵端開くなからんとするも決して得べからず。畢竟西洋人の敎唆に乘ずるものにして、東洋國の失策なれば、我

日本は最初より之を遁れんことを勉れども、支那人の輕躁なる、彼れより其端を開くときは、我れに於ても亦止

むを得ず。假に想像して、其開戰は朝鮮の海陸に於てせん。是に於てか我同胞の兄弟、祖先以来の氣象は素肌に

ても出兵と云ふことならん。既に兵を交へたり、其勝敗如何なる可きや、日本人勇なりと雖ども、近時の戰利は

人に在らずして軍器に在り。支那人怯なりと雖ども、怯者の利器よく勇者を殺すに足る可し。我輩爰に之を筆す

るも不詳不快、憤情に堪へざれども、器械の利不利、如何ともす可らず。我大日本國の兵が其軍器不完全なるの

故を以て敗北したりと想像せん。無數の支那兵は之に尾して軍艦( 支那の軍艦は西洋人を雇ふて運用するもの多

しと云ふ)を以て東京灣に闖入し、難なく富津の砲臺を過ぎて先づ橫須賀の造船所を荒らし、次で橫濱より品川

に入て東京市中を砲擊し、數十噸の砲聲は霆の如く、無數の霰彈は雨に似たり、百萬の市民、七轉八倒、仰て天

に呼び俯して地に泣くのみ。豚尾の兵隊は黒煙と共に上陸して、扨侵掠分捕の一段に至り、又恐る可きものあり。

勝に乘じて亂暴を逞ふするは必ず怯者の事にして、多年來外國兵と戰て常例の如くに敗走したる支那人が、千歳

一遇、苟も日本人に打勝たりとあれば、其慘刻無情、想ひ見る可し。文明の戰法、固より彼等の知る所に非ず、

掠奪に私有官有の別ある可らず、婦女を辱かしめ、錦帛錢財を奪ひ、老幼を殺し、家屋を燒き、凡そ人類想像の

及ぶ限りは、禍惡至らざる所なかる可し。前年支那人が自國にて佛人を襲擊したるとき、婦人を殺して其黄金の

耳輪指輪を奪はんが爲に、心忙はしかりしにや、耳と指とを切取りて金器を人肉と共に持ち去りたることありと

云ふ。其話を聞くも悚然たり。他年一日、我東京市在及び沿海地方に於て、斯る慘情に遭遇したらば如何ん。我

輩は他の話を聞て悚然たるに非ず、我父母妻兒を思ふて身躬から悚然たらざるを得ざるなり。

人或は云はん、以上の想像は誠に極端論にして、實際萬の一なり、先づ今日の處にては掛念に及ばずと、或は

冷笑し或は安心する者もあらんと雖ども、苟も國の不幸を父母の病と思ふたらば、萬中の一も掛念ならずや。世

間若し我が父母の體質を診査して、萬一發病の掛念あり、其病は今より斯の如く手當して免かる可しと云ふ者あ

らば、我輩は其憂を萬一と思はず、却て萬中の九千九百九十九と覺悟して、之を救ふの道を求めざるはなし。冷

笑に遑あらざるなり。凡そ人の子たる者は必ず我輩と説を同ふすることならん。今人の子たるも國の人民たるも、

其義相同じ。萬一の掛念なりとて之を看過するの理ある可らず。假令ひ我輩の言は極端の議論なりと評せらるゝ

も、敢て之を辭せず。今日些細の增税に苦痛を訴へて兵備の擴張を妨げ、遂に日本國の病を救醫す可らざるの慘

状に陥るゝが如きは、國民たる者の情に於て忍ぶ可らざるに非ずや。租税の苦痛、誠に苦痛ならんと雖ども、反

て一身の私を顧みて散財の事を思へば、春風の天に花を尋ね、秋涼の夜に月を賞し、花月あるも酒なければ人を

俗了すとて、酒肴の爲に囊中を探る者もあらん。伊勢の參宮、本願寺身延山の信心、名所舊跡を訪ふて避暑浴泉

に歸るを忘れ、歸て旅費を精算すれば意外の高に上りたることもあらん。尚甚しきは江湖に魄落して花柳に戲る

ゝ者あり、酒池肉林一夕の宴に千金を費す者あり。是等の實際に當り叉實際を視て、顧みて納税の金員を計れば

誠に比較す可らざるの數なり。況や地税增加するも封建の舊額に復す可らず、酒價騰貴するも一酌に幾錢を増す

可きのみ。我輩父母の病の爲とあれば、全く酒を禁ずるも敢て辭せず。國の爲に幾錢の苦痛、これを忍て堪へざ

る者あらんや。僅に此苦痛を避けて僅に目下の快樂を偸み、以て他年一日言ふに忍びざるの大苦痛を買はんとす、

苟も苦樂の權衡應報に注目する人ならば、必ず我輩と説を同ふして其輕重を辨ずることならんと信ずるなり。

〔十二月十一日〕