「東洋の政略果して如何」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「東洋の政略果して如何」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

以上開陳する所の次第、我東洋の政略は結局兵力に依賴せざる可らず、兵力を足し軍備を擴張するには資本な

かる可らず、其資本の出處は日本國民にして、國民は苦樂の應報を勘辨して納税の義務を擔當し、以て後年の快

樂を期す可し、冷なる道理を以て論ずれば、參政の權と納税の義務と交易せんとの説もある可けれども、明治二

十三年までは國會開く可らず、參政の權取る可らず、勅諭固より重し、維新十五年來政府の情勢も亦甚だ大切な

れば、強ひて此情を破らんとするときは、國の爲に謀て損益相償はざるの禍を見る可し、去迚軍備は今日燃眉の

急にして二十三年を待つ可らず、是に於て我々人民は、大にして〔は〕報國一偏の丹心と、小にしては萬一の時に

一身一家兵禍を免かれんとするの私情の爲に、僅か八年の遲速を喋々せずして、快よく租税の徴収に應ずるこそ

國民たる者の本分ならんとの旨を述べ、畢竟理論を離れて人情に訴へ、日本國中の人は悉皆天皇陛下の臣子にし

て良民たるに相違なしとの一義を抵當にして論を立たるものなれば、苟も世間に中庸不偏の思想を抱く人は、鄙

言亦採る可しとして聽く所もあらんと、敢て自から信ずるなり。

我輩は既に人民に向て斯くまでに人情を談じたる上は、又一方の政府に對しても訴る所なきを得ず。抑も政府

と人民との關係は唯一片の法律あるのみと云ふと雖ども、法律は唯事の極端に用を爲すのみにして常用の器械に

非ず、法あるも之に從ふの習慣を成せば其法たるを覺へず、恰も實用を爲さずして告朔の餼羊の如くならんこと、

經世家の常に祈る所なり。例へば國民が國税を納るは法に由て定る所なれども、年々歳々無滯これを納るの習

慣を成せば法の爲に促がさるゝを覺へず。卽ち法ありて法を知らざるものなり。納税を怠る者は之を督責して遂

に家産糶賣身代限を以て取立るの法あれども、實際この怠漫の極度に至る者あらざれば、家産糶賣法も徒法たる

に過ぎず。之を國家の慶福と云ふ。抑も法力の及ぶ處既に稀なるときは、又隨て其空處を充たすものなかる可ら

ず。其物は何ぞや。官民交情の働、卽是なり。何れの時代に於て何れの政體にても、苟も官民の間に一片の交情

あるに非ずして、よく其國家を保存したる者は未だ之を聞かざるなり。近くは德川氏の亡びたるも、其法律の惡

しきが爲に非ず、又収斂の甚しきが爲に非ず、德川の法律は諸藩の法律よりも善良にして、租税も亦諸藩に比し

て寛なりしかども、其滅亡の原因は之を民情の離反に歸せざるを得ず。卽ち官民交情の働を缺きたるものと云ふ

可し。左れば今日の日本國は前に云へる如く、悉皆良民にして天皇陛下の臣子なれば、固より其心情の離反する

者ある可らずと雖ども、廟堂當局の諸君は益注意して民情を緩和し、官民調和の一事に心を用ひられんこと我輩

の切に希望する所なり。蓋し官民の不調和なるものは、動もすれば風聲鶴唳、無根の原因より生ずること多くし

て、其際に當ては特に虛心平氣を要するものなればなり。例へば今日朝野の常談に、去年の事變、風波と云へば

之を知らざるものなきが如くなれども、今心を靜にして其風波の未だ起らざる前に立戻りて考れば、何等の根跡

もあることなし。然るに強て之を名けて事變風波と云ふは、風聾鶴唳啻ならず、風なくして聾あり、鶴を見ずし

て唳を聞くものにして、畢竟世人一般自家の耳鳴たるに過ぎず。左れども天下の情勢これが爲に一變するときは、

其勢の走る所、容易に留む可らず。官途に小吏論あれば民間に過激論あり、又或は種々の小計略を運らして、過

激を制せんとして却て自から過激に陷る者あり。妄想は妄想を生じて訛傅又重ねて訛り、目下其孰れが是か非は

之を知る可らずと雖ども、唯我輩の願ふ所は當局の諸君が、彼の小吏論に耳を貸さず、過激論に意を介せず、一

夜幽窓の下に孤坐して心事を一轉し、風波未だ生ぜざるの其本に反りて、次で其生じたる原因を按じ、又次で其

風波の今日に働く勢力を推考せられんことの一事のみ。卽ち反本踪跡の工風なり。此工風一度び得るときは、果

して今の官民不調和は本來無一物に原因したるものなりとの眞相を發明するに足る可し。之を譬へば、去年の風

波は火元なき火事にして、一時は水よ「ポンプ」よとて立騒ぎたれども、素より火も變もなきことなれば、消防具

を取片付て其跡を見るに、家屋は依然として舊に異ならず、何樣に探索するも火に緣あるものは一切發見す可ら

ざるのみか、其探索愈密なれば密なるほど、却て火の反對に清冷淡泊なる水を見るものゝ如し。

若しも今日聊かにても熱氣の在るあらば、其熱は自發の熱に非ずして、消防具の運動に由て生じたるものと云

はざるを得ず。左れば無より來るものは復た無に歸するの理にして、去年の餘波は今に於て全く消滅せざるを得

ざるなり。天下既に官民の軋轢なし、政府に人を容るゝこと甚だ易し。老成にして落路の先輩あり、活潑にして

有爲の後進あり、。多く人物を容れて廣く民情を和し、敵もなく味方もなく、朝野正しく一家の如くして、共に此

東洋の一大家を保護するは、吾人の快樂ならずや。敵と云へばこそ敵なれ、敵にして屈強なるものは和して後も

亦屈強なり。例へば今日減税に熱論して增税を非難する人物も、政府と相投じて一大家中の人と爲り、和して喜

憂を共にするに至れば、自ら奮て税を納めんことを希ひ、又世間を誘導して説諭に奔走することならん。如何と

なれば本來其人物は日本國の良民にして、國の重きを知る者なればなり。然るを其人の片言を聞き二句を讀み、

是れは過激黨なり夫れは變亂黨なりとて疾視するが如きは小丈夫の事にして、大政府の固より關す可き所に非ず。

政府は常に注意して斯る小丈夫論を鎭靜するこそ其本色と云ふ可きなり。

斯の如く官民調和、互に情を以て相接し、國財の徴収誠に容易にして、爰に國事に着手するの資本を得るとき

は、其用法に就て私を去る可きは無論にして、事實に私なきのみならず、天下の耳目は甚だ多くして隨て誤聞謬

見も亦少ながらざることなれば、遠方より聞見して私と誤らる可き恐あるものは、態と嫌疑を避る爲にも之を愼

まざる可らず。此事に就ては他日論ずる所ある可し。                   〔十二月十二日〕