「朝鮮の獨立覺束なし」
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時事新報に掲載された「朝鮮の獨立覺束なし」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
朝鮮の獨立覺束なし
支那朝鮮の關係は古來頗る密接なるものにして徃日に在ては兄弟之邦たりと云ひたることもありしが近古よりは朝鮮爲中國之屬邦と云へることとなりて韓人も自から之に甘んじ支那の正朝を奉して北京に朝貢し所謂事大の道を〓くして怠らざりき然るに明治八年京畿邊江華嶋に於て我雲揚艦を砲擊したるより事起り我政府が黒田井上兩辨理大臣を派して朝鮮に到らしめし日〓〓国の修好條規を締約するに至て自から名乗りて朝鮮は自主の獨立國たりと云ひ我も亦其獨立國たるを承認し世界万國の人も〓〓始めて朝鮮は獨立國にして支那の屬邦にあらずと云ふを知りたるなり此時よりして日韓の交際は日に益親密を加ふべき筈なるに我當局者は内事に忙はしくして外交を脩むるに〓あらざりしか或は油斷して隣國の交際に頓著せざりしか親密なるべき當交り親密ならず近かかるべき徃來却て遠く荏苒六七年を經過して明治十五年に及びたり此長日月の間には不充分なる兩國の交際ながらも我政府は時に或は韓廷に忠告して外國交際の必要を說き鎖國攘夷の國是を改めしめんとしたることなきにしもあらざりしと雖ども韓人の頑迷なる爭か〓か他人の忠告を聽くべき褒として充耳の如くなるを常としたり然るに本年三月に至り被〓者のためには不幸にして元山津安邊の事變起り韓人等無法にも我居留人民を殺傷したり當時我輩は此事變を輕忽視せず我政府は直ちに韓廷に向て嚴談に及び彼れをして自から鎖國の非を合点せしめんには日本人民は身を殺して仁を成すの實を得朝鮮人民は早きに及びて過ちを悔ひ咎てを重ねて禍を招くの不幸なかるべしと之を切望したりしにも拘はらす我當局者は全く我輩と意見を異にしたるにや依然として舊來の遲緩手段を改めざるものの如くなるの際我輩の豫言忽ち讖を成したる如く本年七月に至りて果して京城の變あり今回は我當局者も大に前日の靜なる林の如き擧動に反し活發果敢疾きこと風の如き所〓ありしを以て爾來日韓の交際は大に其面目を改め漸く親密の實を見るべき曙色があるが如し
支那政府は日韓の交際斯の如くなるを見て大に其妄念を逞くし日本は朝鮮を侵略するの意あり迚自から巳れを誣るのみならず之を朝鮮政府に證言し無勘辨の朝鮮人をして益其頑迷猜疑の念を固くせしめたるは不仁之より甚しきはなかるべし支那政府は單に朝鮮人を煽するのみにして足れりとなさす突然三千の陸兵を朝鮮に送りて京城の四門王宮等を警衛し理不盡に國王の生父大院君を執へて北京に致し朝鮮は内治外交其自主に任ずと云ひしにも抅はらず近來は公に私に殊更聲高に朝鮮爲中國之所屬と言觸らし朝鮮の政府人民に對しては勿論我日本政府にも屬邦朝鮮の始末は我中國其責に任すべしと迄に申出でしことありとか云へり支那政府をして長く此妄念を去ること能はざらしめば遂には自己疑心の暗鬼に呵責せられて妄りに暴戾を恣にし朝鮮をして内治外交其自主に任せしめては何時何樣の事を仕出し豺狼の日本人に侵〓の口實を與へ一擊して雞林八道を席卷せしむることあるやも知るべからず唇亡れば齒寒し朝鮮は中國東面の藩屛たり他人をして之に據らしむべからず自から之を領して早く倭人の倭寇に備へざるべからずなどとて自問自答忽ち朝鮮攻略を一決し大院君の例に傚ひて朝鮮國王を拘致し永く保定府に留めて再ひ國に還るを許さず自今朝鮮〓を〓して高麗省を被〓〓事と一片の布告を以て〓朝鮮國の組織を破壞し釜山元山津は申すに及はず苟も倭人の〓寇上〓に便なるべきの地は天津河口の警備に傚ひ大に〓〓を〓き水雷〓を沈め緊泊の軍艦は一警報の下に〓て日本の内海に乘入るべきの用意を爲すことあらんやも知る可らず朝鮮全國の不幸は勿論我日本人に取りても迷惑千万なる次第なりと雖ども今〓かに支那政府をして迷妄の念を解脱せしむべき方便もなければ止むを得ず其〓至て期して早く之が計を爲すの外なかるべし然るに此際に當りて我日本政府は何等の政畧を以て之に處せんとするや或は退守屈辱の政畧に決し京城の公使舘を引拂ひ護衞兵呼返し支那〓國の例に傚ひて朝鮮内地の旅行も見合せ釜山絶影〓上〓龍の〓影の下に日耳曼新製の「クルツプ」砲を裝〓したる砲臺の前を鞠躬如として出入し僅々たる牛皮〓〓の貿易を〓むを以て之に滿足せんか或は朝鮮人の義勇を贊助し支那政府に說きて其暴戾を止めしめ永く八道をして獨立王國たるの榮を失はず共に興に文明の德澤に浴して大に東洋の富强を謀らんとするか前者後者其一に決し平時一定の方向に從ひて大に用意する所なかるべからず安邊京城等の事變の如きは一たび其機を三月に失するとも再び之を七月に得るの珍例ありと雖ども高麗省設置の如きは之を再三〓〓〓性質のものにあらず朝鮮幷に日本の爲めに謀る者は〓く〓る〓あらんことを希望するなり