「米國叢談(昨日の續)」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「米國叢談(昨日の續)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

以上の事態によりて米國の景况を察すれは規摸の廣大無邊なるは勿論時々物々舊慣を脱却して新利實uを是れ求め専ら生計の程度を上達せしめんとするものゝ如し而して此氣風は同國一般に傳播浸潤したるを以て智愚貧富の別なく奮勵激進敢て他國の情態を顧みず他人の行爲に關せず實に傍若無人に職業に勉強し實利を求むるを以て傍人の視て以て大業險策と做すものも米國人は平々凡々の事と思惟するものゝ如し此の如くにして百事幸に好結果を得ば數年の後は歐洲人も亦必ず其後に瞠若たるに至る可きのみ但新業を企て奮激急進するの際には自ら蹉跌なきを免れずして未た悉く其目的を達するに至らす然れども若し此十數年間愈經驗を積み愈基礎を固むるに至らば爾後必ず其目的を全して百態総て好結果を奏す可きや明なり左れば今の十年間を以て經驗の時代とし次の十年間を以て奏功の時代となすときは其如何なる進歩をなし如何なる變化をなすべきか必すや大に驚くべく大に畏るべきものを呈して西半球の新世界を更に一新するは盖し今より二十年以内に在る可しと信す

米國人が思想の不覊磊落なる歐洲古國人等の及ぶ所にあらず宗教の自由行為の自由言論の自由等の如きは古來常に世界の第一位を占むるものと云ふべし耶蘇教に熱心して一夫一婦の教を万古不抜の天理なりと認定し苟も之に反するものは天人共に容れざる所の大罪惡人なりと信する者のある傍に「モルモン」宗と唱へ一夫數婦室を同くするを以て眞成の天理なりと信し公然此説を實施して他と相讓らざる者あり而して又此両者の間に介在して「フリイ、ラヴ」と號し夫婦の契りは愛情と共に存滅すべきものなりとて偕老同穴を以て天理に違背するの妄想なりとし飽くまで其説を實施せんと試る者あり實に眼中一點の先入の疑念なきものと云はざるを得ず此思想の不羈磊落なると共に其動作の活溌勇敢なる遠く歐洲古國人を凌駕すること實に幾等なるを知るべからず米國人が農工商業を營むに勤勉活溌にして隨て又財を得るに敏なる實に人の想像にも及ばざるものあり其徃復する郵書並に電信の多數なると發行新聞紙數の夥多なるとを以ても其一班を窺知るべし然るに米國人に限り何故に斯の如く不羈活溌なるやと問ふに元來米國は今を距る四百年前「コロンビユス」が始めて此土を發見せし以來漸次歐洲人の移住する所となり今日と雖ども毎年十万を以て計ふるの移住人あるがために忽ち現今の人口五千万の大衆を見るに至りたるなり而して家山を辭して他郷に移住する程の者は男女を問はず多くは頴敏なる智力と活溌なる氣力とを備へたる有爲の人物たるを以て此人物の集合より知らず識らず全國の風を成し不羈活溌なる一種無類の社会を見出するに至りたるや疑なし實に米國人は心身共に無双の勇士なりと稱すべし

又米國社會一般の風として貴賤上下の分は甚だ區別なし只生計の程度を以て互に同等の人々と交際することとす故に人爵獨り尊からざるのみならず天爵も亦甚だ貴からずして金力獨り尊しとす故に生計の度に於て多分の差異あらざるものは人間同等の交をなすを得べしと雖ども其程度愈遠隔三百倍乃至五百倍の差を來すに至ては遂に互に交際すること能はずして禽獣視せらるゝに至るも知る可からざるなり元來聖人の道に於ては一箪の食一瓢の飲なるも其コ獨り尊くして自ら其道を樂み人亦之を輕侮せす敝れたる褐袍を衣て狐貉を衣るものと立て耻ぢざるは其義獨り高くして内に自ら恃む所のものあり又今日歐米諸州に於ても學者の議論にては道コを重んじ權利を尚ひ夫の残忍酷薄の所行を以て人類相凌くのことをば痛く非難する所なりと雖ども目下の實際に於ては此聖人の道も又學者の議論も其勢力甚だ微弱にして徃々空論たるを免れず故に向來生計の度愈懸隔するに及ては學者社會に於て曾て禽獣視せられたる人が却て他を禽獣視するも亦知る可らず世態一變舊時のコ教復た施すに所なきものと云ふ可し然りと雖どもコ教果して人間社會を維持するの要具にして其教の主義は社會の改進と共に改進すること古來今に至るまでの事實ならば此世變の日に當ても亦一歩の改進を致して第二の「ダーウヰン」第三の「ミル」「スペンサー」を出現し新主義以て新社會を維持するものを得べし深く憂るに足らず人為を語て利を言はずとは仁義を語れば利も亦自から之に歸するの時代に於て世教の主義たる可しと雖ども事勢の變遷に從て利uは仁者に歸せずして智者に歸し仁者も貧なるときは其仁を施すに由なく却て不仁の事を行はざるを得ず仁と不仁とに論なく貧者は一身を護るに足らず况や國を護るに於てをや共に國体の維持を謀るに足らざるなり、牝鷄の晨するは家の禍にして女子の無才是コなりし時代も次第に改進すれば婦人も亦是れ社會の一人にして却て其頻りに晨せんことを祈り天下國家を男子の一手に引受けずして之を婦人に分任するの道コ世界とは爲りたり是等を計れば枚擧に遑あらず何れも社會の改進と共に道コの主義を改進したるものにして既徃の事實斯の如くなれば自今以後の改進も亦推して知る可し社會の改進は火の燃るが如し其盛なるに當ては自から弊害なきを得ずコ教は單に其弊を救ふの要用に起るものなれども火の緩急と其性質との異なるに從て消防の法も亦異ならざるを得ず道コの舊主義に依頼して今の改進の弊を防かんとするは數千百年前に適用したる消防具を以て今の大火を消留めんとするものに異ならず三歳の童子も其非なるを知らん盖し米國の如きは今方に改進の大火最中なれば其消防具たる道コの新主義を取用するも亦近きに在る可し亞米利加は唯一水を隔てゝ我日本の隣國なり隣國今日の形勢斯の如し我同胞の日本國人に在て之に對するの道如何して可ならん尚舊時安樂の〓味を忘るゝ能はずして區々の小節を守り清貧以て渠れに交じり周公孔子の教以て渠れを制し渠れを教へんと欲する歟其得失は我輩これを讀者の判斷に附するのみ