「宮中に洋學の盛んなるを希望す」
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時事新報に掲載された「宮中に洋學の盛んなるを希望す」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
宮中に洋學の盛んなるを希望す
嘉永六年以前我日本が攘夷鎖國を以て自から井底の鮒魚たることを甘んじ西洋の文明諸國に於ても蒸氣電氣の諸器械未だ其奇を窮めす世界を一周するに半年乃至一年の時日を要したる如き迂遠社會に在ては我も彼を知るの要なく彼も亦我を知るの便を得ざりしと雖とも今や則ち然らす我日本も井底の鮒魚たる地位に安んせす或は其地位の安全ならざるをも悟りて忽ち其尾を掉ひ其鰭を皷して大海に游泳し來り一步を他人に讓る所なからんことを期するに當り西洋諸國に於ても人間日用の藝術上に物理學の適用日に其妙を窮め徃來交通貿易攻戰の事日一日として其面目を改めざるはなく三年前は八十日を費して世界を一周したるもの今日は既に六十餘日にして一周したるの實例あり海國必要の兵具たる軍艦の如きも十年前は甲銕の厚さ十寸に足らす裝載の大砲重量十五噸に超るものは甚だ稀なりしに今日は既に甲銕の厚さ三十六寸裝載の大砲重量白順の軍艦を見るに至りたり又貿易日進の景况の如き假りに之を事物の幼稚なる我日本に就て例するも數年前は交通貿易の利益は日本全國の米價をして一平準に在らしむるのみならす日本市塲の米價をして世界の市價と同一の平準に立たしむるに至りたり就中人目を驚かすに足るべきは北陸奧羽の山村僻鄕に至るまで古來見聞もせざりし支那印度の砂糖を日夕厨下の飮膳用に供し早く既に日用欠く可らさる一品たるに至りたるの事實なりとて吾人は唯驚歎するの外なかりしなり然るに近日の貿易表を一見するに何そ圖らん支那の鷄卵を日本諸港に輸入するの一業起り三菱會社の郵船が上海を發して日本に歸航の便毎に數十万顆の鷄卵を積來るを以て例と爲せり我輩は食に臨みて鷄卵の内外國產の別を爲す〓〓〓すと雖とも吾人が膳に上る此鷄卵中にも何れにか外國產のものあるなりと雖とも我輩先す貿易の進步〓〓〓せざる〓〓〓〓〓の事實に由て之を視れば人間世界の實〓〓〓〓〓〓〓〓〓又何樣の〓〓〓來たすべきや知る〓〓〓〓〓〓〓〓〓の天〓なりと〓すべし
外國との交〓斯の如く〓〓〓〓なる〓に當り我輩が切に希望して止まざるものは〓〓〓〓中に於ても〓〓以下〓外國の事共を〓〓〓せらるることなく〓〓〓〓けす〓々と〓して日に新なる文明の〓海中に在て一步の後れをも取らじと覺悟せらしことの一事なり帝室の事實の如き明治維新の以前は之を論せす維新の後十五年間外國交際上に〓して其變化進步決して少小ならず前日は外國公使たりとも天皇陛下の御宴に陪することは絶て無しとも云ふべき程のことなりしに今や式日に際して陪宴の御沙汰あるのみならず春は觀櫻〓靑の會、秋は觀菊紅葉狩の會を處々の禁苑に催され公使以下他の外客をも召させられて両陛下より御懇の御言葉あることさへも珍らしからず又使臣を各國の朝廷に在勤せしめらるるも前日は僅か二三名に過きざりしもの今や十餘名の多きに及び彼我政府上の交際に幾倍の親密を加へたるは勿論彼我帝室一身上の御交際に於ても亦幾倍の親密を加へ各國帝王皇族等の〓婚あれば祝賀の敕書を進せられ〓物を贈られ疾病事故あれば電信郵書或は特使を以て懇切に慰問せられ訃音到れば哀悼の吊詞を進せらるるは勿論宮中或は日本全國に服喪の御沙汰あり宴會ても徹して吊意を表せらるる等を始めとして平日の音問贈答敕使内族の徃來等彼我御交際の親密にして隨て其事務の繁劇なる今昔を對照して實に別乾坤の思なきを得ず當時未だ外國の帝家と婚姻の事なく所謂他人の交際なるものにして尙且斯の如し况や後來或は外國の帝家と姻族血緣の關係あるに至ることもあらば忽ち何樣の御交際と爲るべきや知る可らず思ふに今より以後諸外國の事情に明かなることを要するは日本全國宮中を以て第一と爲すの日たるや疑を容れざるなり
然るに今其職を宮内省に奉し直接に帝室に勤仕するの〓を見るに外廷の官廳に勤務するの人に比すれば外國の〓情に通する者其數尙甚だ少なるが如し書記官以下日〓の庶務を〓辨する者の中に外國を知る人の少なきが如くは左まで大なる關係なしとして姑らく之を〓くも彼の〓筵に侍する學士の如きに至ては其任の重大なること〓〓れ能く盡すべきにあらず決して他の事務官と同一視す可らざるなり故に此〓學問上に〓するの人は其學問の内外を問はず決して事に〓しきを告くるの憂なからしめんことを期せざる可らず卽ち漢學に精しき人和學に精しき人の講〓に侍する〓の〓用なる〓〓〓の〓〓に〓〓き入の〓用なること〓亦甚だ明白なり〓に今の文明世界に〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓を〓して〓〓に〓〓なる政治〓〓〓學哲學の類に至るまで一も之を〓〓〓〓〓ざるものなし西洋學の大切なる〓〓〓〓〓の〓〓〓すべきにあらざるべし今や〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓は〓〓者に乏しきの〓たずば〓〓〓〓〓〓して〓〓〓〓らず之を小にしては我輩の〓〓〓〓〓〓〓〓之を本〓〓ては〓下の耳目〓明に〓す〓〓の〓一〓〓〓大〓〓〓者して〓〓を希望するなり德川の末年に於ても外交の漸く繁多なるに從ひ當時老儒輩の顧問を以て隔靴の嚵を免かれずとて家臣中の洋學者を採用して將軍左右の耳目に供したる〓〓り况や方〓は國中に洋學者甚だ少なからず〓は〓〓〓〓〓〓〓卒はり或は海外に遊學して近時〓〓〓を〓〓〓〓〓〓の事情に通し其學力知識共に〓〓以〓の老洋學者に比して同日の論に非ざる者あ〓〓〓〓〓〓〓して其人物は決して乏しからざるなり