「仁川の定期航海速に開かさる可らず」

last updated: 2019-09-08

このページについて

時事新報に掲載された「仁川の定期航海速に開かさる可らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

仁川の定期航海速に開かさる可らず

讀者は本日の雜報欄内朝鮮通信の部を一覽せらるることならん此通信は本月四日彼の地發、長崎を經て一昨十二日の郵便に得たるものなり通信中最も我輩の感を惹起したるものは其末段〓仁川にも目今は支那より毎月三回つつ廻船致し同港〓〓〓〓致候商人共へは支那政府の筋より頗る手厚き保護を加へ資本金等は大槪皆政府より出たすと申す事に御座候日支の商賣は唯さへ拮抗致し難き有樣なるに昨今の事情我商人に取りては尙一層の困難と奉存候云々)の一章なり支那人が朝鮮に對して内政に外交に其干涉の甚しきは世の論者と共に我輩も常に開陳する所にして讀者も既に飽くまでも了知せらるる所ならんが今又この通信に據て見れば彼等は商賣上に於ても深く慮かる所のものあるが如し抑も朝鮮の貿易たる從前之を專にしたる者は我日本人にして漸く繁盛に赴くとは云ふと雖とも開港既に五六年を經て釜山元山の輸出入一年僅に三百万圓に足らず左れば今將に開かんとする仁川の新港に於て固より何程の貿易もある可らず支那船の月に三回徃來するものには積荷も必す少なく船客も亦寥々たる可きこと疑を容れず其航海の不利は誰れ人の眼にも明白なるに支那人が獨り之を事とせずして進むは何そや盖し仁川は京城に近接して日本に●を云へば橫濱の東京に於けるが如く後來其貿易上に大利ある可きを前知すればなり一両年に失ふ所あるも爾後數十年の間に所失を償ふて餘ある可きを知ればなり支那人の貿算は永遠なるものと云ふ可し之に引替へ我日本人が商賣上に於て朝鮮に對するの有樣を見るに我輩は常に隔靴の嘆なきを得ざるもの多し釜山元山に我商人が警備保護の乏しきを訴るの談は姑く閣き今日仁川の將に開けんとするの時に當て毎月定期の航海もなきは驚く可きに非ずや去年の變亂後に花房公使は彼の政府に迫り前約の開港塲たる一の仁川にては尙不足なりしとて特に楊華鎭を以て日本人の爲に互市の塲と定めたることもあり元來この互市塲を開くや朝鮮人が之を好まざるの故を以て態と之を壓制し無理に其好まざることを行はしめ徒に其人民の心を痛ましめ以て愉快を取るの趣旨には非ざる可し必ず商賣の眼を以て地理を視察し日本人は後來盛に仁川港に在留商賣することならん其商賣の便利を謀れば仁川に兼て揚華鎭をも開き以て一層の盛大を致す可しとの見込なりしや明なり然るに今日の現狀を見れば日本商人にして盛に仁川に商店を開きたる者なきのみならず仁川其土地を見たる者とて幾人もあるを聞かず畢竟日本商人が貿易の利を好まざるに非ず貿易を行ふの法を知らさるに非ず唯同港に向て運輸交通の路を得さるが爲に默止するのみ今日仁川に徃來するものは一二の軍艦ありと雖とも是れは本來非常警備の海軍にして兼て彼の京城屯衛の兵士のため、又政府通信の用に供するのみにして毫も商人等の便を達するに足らず故に今日にして日本商人に責めて仁川の貿易に着手せよと云ふは橋なきに大川を渡れと云ふに異ならず或は商賣は利の爲なり若しも利あらば商人自から橋を架して渡る可しと云ふものもあらんと雖とも前に云へる如く仁川開港の利は一両年に在らずして數十年の後を期するものなれば何れの道よりするも政府にて之を保護するの外に方便ある可らず其保護の法は支那の例に傚ふて定期航海の路を開くこと最も有力なるものならんと信ず此航海路を開くには固より多少の資金を費すことなれとも永遠の國益を謀れば目下の費用は愛しむに足らざるなり支那人尙且此に眼あり我國人にして之を視ること能はずと云ふも我輩は之を信ぜざるなり

既に政府の費用を以て仁川航海の路を開くと决する上は之を施行すること甚た易し日本國中にて最も多く船を所有して事に慣れたる三菱會社に之を命す可し三菱會社不都合ならば今正に興て漸く盛ならんとする共同運輸會社に命す可し運輸會社も不都合ならば別に一二艘の滊船を買ひ何人にても航海の業に巧者なる者を撰て仁川の航海を專業とせしめたらば毎月二三回の航路は開く可し若し又是れも不都合ならば外國人に談して若干の保護金を與へ定期に往復せしむるも亦可なり何れにても政府は唯保護金の最も少なくして官用私用の爲に最も便利なるものを撰ふ可きのみ、以上枚擧する不都合とは與ふる金の多少と命する用便の遲速安危に在るのみの事なれば公然これを談して立どころに辨す可し必すしも大に思慮を運らす可き程のものに非ず我輩は只管當局者の决斷を祈るものなり若しも然らずして今日の有樣に放願したらば朝鮮に對するの〓略は扨置き國益の源たる商略も亦齟齬して日本商人は仁川を知らず揚華鎭の如き我國權を以て開きたる市塲なるにも拘はらず開市の其時には支那人が却て先鞭を着けて東道の主人たるが如き奇觀なきを期す可らず我日本商人の耻辱と云ふ可きものなり