「石油の試驗小事に非す(昨日の續)」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「石油の試驗小事に非す(昨日の續)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

石油の試驗は單に學室内書生の事に非ず其品物は商賣上屈強のものにして我國に於ても今回この試驗法を施すが爲に規則を定めたる上は之を外にして外國の石油輸入商人、之を内にして内國無數の卸小賣商人何れも皆其利害を覺へさる者はなかる可し即ち本編の表題に石油の試驗小事に非ずの字を掲けたる由縁なり利を思ふは固より商人の本色なれば或は改定規則に閉塞發焔試驗法八十六度とあるが爲に一時商賣の便利を失ふの苦情なきを期す可らずと雖とも國民全般の安危は商人一時の便不便の爲に之を犠牲に供するを得ざるなり方今英國にて石油の制限は近年改定して尚た不十分なるものなれとも尚且閉塞法七十三度(開口法にすれば凡そ百度)なりと云ふ抑も石油は彼の國に於ても近代發明の點燈品にして其性質も鮮明ならず學問の社會にても自から之を等閑に附したりしが次第に其性質を明にするに隨て次第に其危險を悟り近日英國にて學士の議論に該國現行の規則七十三度は安全の法に非ず必すしも八十五度に引直す可しとて專ら其論を主張するもの多しと云ひ又獨逸の學士等は燃燒法にして百四十度を適當なりとする者ありと云ふ何れにも西洋各國に於て今後石油に就て愈其危險を論する者あるも今日の學術にては果して其安全を保す可き奇法なきものの如し然るに我日本國は英國の如きに比すれば氣候も温暖にして石油の引火力に多少の影響を及ほす可きは學術の經驗に明なる事實にして又これに加るに日本人民の住家は大抵皆木造なれば石油の用法に就て特に謹愼を要すとのことは言はざるも明白なる可し在人の説に日本に於て目下百般の事情を視察し石油をして全く危險なからしめんとするには閉塞法華氏の百度にして始めて可ならんと云ふ是れは唯學問上の一方より思考したることなれとも决して法外の言には非ざるなり

以上開陳する所の言に從へば今回我政府にて改定したる石油取締規則に閉塞發焔試驗法を用ひ攝氏驗温器三十度即ち華氏八十六度と限られたるは我輩に於て固より之を至當の法と認め江湖の〓者も必す我輩と見を同ふすることならんと信ず然りと雖とも〓に當る者は迷ふの〓に違はず石油の商賣〓關係する内外の商人等に於ては必す不平を訴ることならん、或は單に制限の度を高きに過ると云ふ者もあらん、或は俄に斯る制限を立てられては商賣上前約の都合もありて損害を蒙ると云ふ者もあらん、尚甚しきは試驗の方法、學問風に過きて其器械却て精密に失すると云ふ者もあらんと雖とも何れも皆窮餘の痴言にして之に耳を傾るに足らず制限度の高低を論するに單に高しと云ひ低しと云ふも其標凖を視されば無用の言なり石油の危險に就て標凖とする所のものは何そや國土の氣候と國民の家屋と油を用る器械と此三者より外ならず而して我日本國の氣候は前に云へる如く英國等に比すれば更に温暖なり、我國民の家屋は大抵皆木造にして可燃質のものなり、油を用る器械は則ち尋常の「ランプ」にして之を貯蓄する所は尋常の倉庫ある可きのみ此三者の實况を視察したらば八十六の度數决して高からざるを知る可し又商賣上に前約の都合とは果して無理ならぬことなれとも凡そ半年歟長くも七八箇月の猶豫を與へて規則を實施するに於ては苦情ある可らず商賣世界に例も多きことにて自から其〓法ありと云ふ可き程のものなれば本年本月第十號の布告に石油取締規則施行日限の儀は追て布告〓まて延期とある其追て布告の時に即日より實施せずして數月を〓〓すれば更に苦情の訴ふ可きものなし又試驗の方法學問風にして精密に過る云々に至ては殆んと論外の言なり人間万事學問ならざるはなし若しも學問ならざるものあらば之をして學問ならしめんとするこそ人間の義務ならずや石油の試驗法に於ても燃燒法開口法は久しく行はれたれとも完全の法に非ずとて「エーベル」氏が學問の主義の基つき精密にして然かも簡易なる閉塞法の新器械を工風して西洋各國及ひ日本に於ても大に稱讃を得て採用せられ舊法も將さに廢棄に屬せんとするは人智の進歩にして我學問の世界に一項を富まし兼て又通俗の便利を増したるものと云ふ可し然るに今其精密に過るを訴るが如きは學術を蔑視したる言にして譬へば汽船の航海は其程度時限精密に過きて殺風景なり風帆船の漂然漠然たるに若かずと云ふに異ならず内國外國共に商人の輩は自から學問に粗略なるものなれば或は是等の説あるも深く咎るに足らずと雖とも苟も上流の官吏に至ては内外共に斯る漠然たる考を抱くものはなかる可しと信す

又爰に學問の議論を離れ唯商賣の一方に就て思考するに今回の取締規則は果して永遠に内外の石油商を苦しむるに足る可きもの歟若しも然るものならば又再三の議を盡して取捨する所なかる〓かず我輩は固より學問の〓〓にして只管其盛大を祈る者なれとも國の商賣は直接に富貴の本源にして國民富貴ならされば學問も亦〓〓可らず商賣は學問の母とも云ふ可きものなれば今唯學問〓の〓〓の爲に大に一國の商賣を〓して人民の富源〓〓〓可きの前見もあらば或は一時の〓〓、尺〓枉げて〓〓〓〓するの處置もある可し我輩必すしも學問に固着する者に非す〓雖とも今回の規則は决して石油の商賣を衰〓せしむるものには非さる可し如何となれば日本國中石油の用〓〓〓一般に善くして之を廢す可らず、之を廢せんとするも之に代用す可きものを得ずして眞實に日用品と爲りたれ〓〓り既に日用缺く可らざるものとあれば上等の品を販賣して少しく價格を増すも之が爲に〓〓〓〓〓〓せるのみなず其危險なきを悟るに從て之を用る〓は却て前〓〓〓〓るに至る可し、謂れもなく唯〓を増すに非ずして品の上等なるが故に價も亦これに〓することなれば毫も商賣の〓〓に影響を及ほす可き事柄に非ず品物の〓〓の〓〓〓〓を知る况や人の財産生命にも關する危險の有〓一般〓〓や誰れか錢を愛んて危に甘んする者あらんや故に今八十六度の制限を低くして八十一度とするも商賣上に五度の利益を見る可らず十度も亦然らん十五度も尚又然らん結局其制限は商賣を妨るものに非ずして反對の繁盛を致す可きや疑を容れず然るを一時の不便利に驚き之を見て商賣斷絶の思を爲すが如きは啻に學術の眞理を重んぜさるのみならず商人の爲に謀て自から商賣の路を塞く者と云ふ可し然りと雖とも或は商人等の心算は我輩の意表に出るものにして全く石油の制限を廢し如何なる惡性のものにても自由自在に日本國中に販賣し云はば世界諸國に不通用なる品を集めて之を日本に投し世界中の禍を東洋の一帝國に嫁せしめんとするが如き深意ならば我輩帝國の人民は誓て之を聘し之を親〓するを拒む者なり議論ここに至れば或は外交に〓す石油の試驗小事に非ざ

るなり               (畢)