「天下太平如何して得べきや 第一」

last updated: 2019-09-08

このページについて

時事新報に掲載された「天下太平如何して得べきや 第一」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

天下太平如何して得べきや 第一

我邦は今日までも大に爲すことあるの日を經過したりしが今日は方さに内外多事の衝に當りたるものの如し、この多事の日に際し内の治安を保て外に獨立の躰面を全ふし計畧其宜を失はざらんと欲せば大膽達觀以て事を處せざる可からず〓港の昔日に在ては外に鋒を爭ふの國なくして榮譽も耻辱も共に掌大の島中に集りたれば其榮辱はこの島中に於て之を爭はざる可らす開國以前の日本人は日本全國を以て日本以外の敵と爭ふの觀念なきが故に其爭は日本國内に止まり眼中日本の一部を映するのみにして未た其全部を見す蝸牛角上に錙銖の利を較し日本全國に何等の損害あるも其損害たるを知るに由なし今より之を評すれば局部の利害のために全面の利害を犧牲にしたるが如くなるも鎖國は自から鎖國の一乾坤にして國内の小競爭も或は當時事物の不活〓を擾すの機會と爲りて直接間接の効驗を生したるの意味もありしことならんと雖とも今や則ち然らず鋒を爭ふの强敵は國の腹背に羅列す此强敵の間に介在して對等の地位を保ち自國の面目を失はざらんと欲せば力を以て爭ひ利を以て爭ひ日本全國の力瘤は外交の一事に集まらざるべからす〓蚌の拙策を〓て内に區々の失得て爭ふときは數十の漁人將に其後に乘せんとす經世を以て自任する諸君子は何等の手段を以て今日の厄運に當らんとする歟我輩痛心に堪へざるなり

我輩は本來國權の利害を以て利害とするものにして政治上の是非は一切万事之を國權の利害に照し其利害を標準として審斷を下すものなり故に我輩の眼中には友なし又敵なし唯た一日本國あるのみ日本の爲とあれは榮譽財產は言ふに足らず生死を以て之が利害を决すべし其他區々の失得の如きは常に眼下を經過して我輩の眼を遮りたることなし我輩の心事は如此し日本國民の心事は渾て如此くなるべし否如此くならざる可らず然りと雖とも明盲相半するは世上の通患なり守錢奴が金錢の購買力を貴はずして直に金錢其物を貴ふが如き讀書家が文字の意味を解するを忘れて直に文字其物を釋するが如き畢竟目的を達するの媒介を得る爲に却て其目的を殉するものにして其不明驚くべしと雖とも政治上に於ては特にこの不明の多きを見るなり盖し政治の一局に熱する者の弊を擧れば其局面の事物に蔽はれて廣く全面の利害を顧みるに暇あらず小膽近觀以て事物の是非を評し其狀恰も隙中劇を觀るが如く正旦淨丑の區別を誤り唯た一時の感情に依賴して正邪淑慝を决するものなきに非ず是故に榮譽財產は國家の犧牲に供すべしと云ふ其榮譽財產を得るが爲に國家の利害を忘却するものあり各其主義を固執するは人民の幸福なりと云ふ其主義の衝突は人民の不幸を來すを顧みざるものあり此等の奇觀は畢竟熱心の過度審理の不明に原因するものにして之を奈何ともする能はずと云ふと雖とも一身一家の小事ならば則ち可なり苟も國家の大事に關するに至て之を奈何とする能はずとて其自然に放任す可きや我輩は斷じて其不可なるを知る者なり竊かに三四年來世狀を觀察するに政治の思想漸く人民の腦に浸入し一昨年十月の大詔ありてよりは我邦未だ曾て有らざる所の政黨を組織し主義擴張のため政治上の視察又は遊說を地方に試むるものも少からず是に於て都鄙の人民政治に熱心するの度次第に減進して其底止する所を知らず時に或は其熱に乘じて各自の職業を抛擲するものあり甚しきは政治主義の爭を腕力に訴へて其政敵を刄傷するものあり之を要するに我邦人民が政治上の熱心は增あり減なきの有樣なり而してこの熱心は報國の丹精とも稱ずべきものなれとも其熱程度を超へて各自の本職を忘却し人々皆政事家を以て自任するに至らば熱心と熱心と相觸れて遂に軋轢の烈火を生じ報國の丹精も其成果は將に亡國の荼毒に變ずるなきを期す可らず今の政事を談ずるもの口を開けは輙ち曰く明治二十三年には議院を開き日本の政法を〓せしむることは〓〓に於て明なり我邦の人民は政治思想を養ひ時來て狼狽するの患を貽ささるへしと今日にては政治に熱心するものも其餘熱に感するものも二十三年云々を冒頭に揭けて政治思想を養成するの急務なるを說かざる者なし我輩固より其赤心に感服すと雖とも其所謂政治思想とは如何なる思想なる歟預め之を詳にし然る後に之を養はざれは報國の赤心も實効を奏することなかるへきなり夫れ政治の社會には局面に立て政に當り又これに當らんとする者あり或は局外に在て之を評する者あり甲は政事を以て畢生の職業と爲し政談に奔走して直接に其主義を行ひ又行はんとする者にして之を名けて政事家と云ふ乙者即ち政を評するものとは政治の〓象を傍觀して其利害を斷し間接に所好の主義を行はれしむる者にて即ち學者を始めとして農工商全般の人民是なり政に當るものと政を評するものとは其區別大なりと知るへし今日の論者が政治思想を養ふとは政に當るの思想を養ふに在る歟將た政を評するの思想を養ふに在る歟若しも政に當るの思想なりと假定せば我邦の人民に政治思想を養へとは取も直さず幾百万の政事家を輩出せしめんとするものにて事實に於て之を輩出せしめたらば供給需要に超過して各自ら售らんことを爭ひ其爭は國家の禍たるを免れず然則ち政治思想とは政を評するの思想にして之を養ふは直接よりも寧ろ間接に所好の主義を行はれしむるの用意に外ならざる可し今夫れ政に當り又當らんとする者が直接に其主義を行ひ又行はんとするに當ては騎虎の勢にて知らず識らず淺近なる策を採用することあり英國大政事家の記傳を讀み其内〓に出入するの政略を見るに妄想を書きて衆民を誘服するものあり其舌を二三にして前約を履まざるものあり其策甚だ淺近なるに似たりと雖とも是れ其心事の淺近にして人物の卑劣なるにあらず其地位の然らしむるものにして局に當る者の勢に於て自ら之を制すること能はざる所のものなれば必ず無慾淡泊局外に在て之に注目するものなかる可らず即是れ政を評する者の責任と云ふ可きものなり故に政治社會を以て劇塲に譬ふれば政に當るものは俳優にして政を評するものは觀客の如し俳優は舞臺に上て其技を演し觀客は其技の巧拙を評すべし而して其之を評するは俗に所謂芝居の心持にして政治上の舞臺にては政治の思想と稱するものなり今劇塲に於ては俳優觀客各其職分を守るが故に始めて其体裁を具ふと雖とも觀客も亦た俳優の群に入り劇塲總躍りて開きたらば舞臺の混雜名狀すべからざらん政に當るものと政を表するものとの區別を忘却し人民擧て政事家たらんとするは政治上の舞臺にて總躍りて再演するものにして政治の競爭極度に〓し目前の利害を爭ふに忙はしくして國外の大敵を顧みるに〓なきに至る可し去迚は局部の利害のために全〓〓〓〓〓にし彼の守錢奴と讀書家が目的を得るの媒介を得んとして却て其目的を殉するものと相去ること果して幾步ぞや