「天下太平如何して得べきや 第三」
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時事新報に掲載された「天下太平如何して得べきや 第三」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
我輩は前論に於て人爵は政治社會のみにて之を專有せす學問農工商の社會に至るまで之を授與して厚薄なからしめは政治の熱心を殺きを政事家の増加治安を害するに至らざらんとの主旨を述べたれとも人各長する所あるへきは自然の理にして農商の事に長ずるものあり學問に長ずるものあり或は工藝技術に長ずるものあり此〓に長ずるものは之を行ひ其業に長ずるものは其れを勉るも亦た自然の〓なり然〓政治に長するものが政壇に上りて政事を行ひ又これを論するは〓に當然の職業と謂ふべし學者は學問を以て畢生の事業とするが如く政事家は政治社會を以て生涯を終るの天地と覺悟せざる可からず一時の血氣に〓して政治の門に入るは我輩の禁する所なれとも一心不亂政事家たらんと欲するものには固より其所〓に任して可なり扨この政事家なるものは所謂治世の能者にして既に政治社會に入れば其能を著すの餘地なかるへからす先進の政事家はこの餘地を以て後進の政事家に供し今の後進も亦た先進の地位に達するときは更に日〓〓主義の後進を容れ共に政治社會の事を興こして老少互に相容れ新陳の元素不知不識の際に相混和するときは老少代謝の機轉滑にして政治の變革を緩にすることを得べし若しも然らずして老は老と事を共にし、少は少と黨を同うし、互に調和を失ふときは兩者の間益相遠く益相隔りて遂に氷炭の勢をなすに至らん是時に當り老者は老を以て共に退き少者は其〓に乘して共に進むことあらは政治社會に激變を生し國歌の治安を妨くるなきを得ず凡そ政治の變革には世代の變あり思想の變あり世代の變なるものは老少全く其人を異にし例へば舊幕の老臣と今の政府の執政との如く新舊時を異にする者の間に起るものなり又思想の變なるものは同一の人にして前後其思想を異にし例へば王政維新の際に浮浪と稱したる貧書生と今日明治の功臣とは其人物は同しけれとも其思想は則ち既に變易し其變に因て政治上の新相を生するものなり故に思想の變は同一の人に起るものなれは其變や唯枝葉に止まるのみと雖とも世代の變は老少人を異にするより生するものなれば其變も亦た根本より起らざるを得ず今政治社會に於て老少互に相容れ先進後進共に事を爲すときは新陳の元素不知不識の際に混和して政治社會に激變を生せす根本の變も枝葉の變も順序を遂て之を行ひ緩急を〓り時宜を酌み痕跡を留めすして其功を奏すべしと雖とも老者は老者と事を共にし後進を疾視して互に相近かざるときは其〓遂に大差を生して後日に至つては誠に相近かんとするも其目的を達する能はざることある可し盖し先進が先進と事を共にして曾て他を交へざるときは仮令其事業に變化あるも唯僅に其人に存する思想の變に止まるのみにして既に世代を異にする後進に逢ふも相互に近〓可らざるの故障を見て双方政治上の主義は殆んと方■(きへん+「内」)圓鑿となるに至る可きや必せり此時に當て老政事家が一時に舊を抛〓其地位を退くときは之に代るに一點の老氣なき新政事家を以てして俄然政治社會に侵入し此れも改革すべし其れも變更すべしとて政治社會に轉覆の氣色を呈して積水一决之を能く禦ぐなきの勢を致す可し之を一家の事にすれば骨肉の父子〓〓にして家事を治め其子漸く長して〓〓堪るも父の目を以て見れば子の輕躁を恐て之に任ずるなきを人間痴情の常とす况や父子の間柄〓〓せずして同〓てもせざる者に於てをや百万歳も家を讓るの意は勿る可し然りと雖とも人間如何ともす可らざるものは死生老少の命にして家父〓なりと雖とも一〓は一年より〓老〓〓より促かささるも自から老を告るの日ある可し此時に當て其家政の趣を見るに家〓の〓〓屈強の時に能く其子と和して之を家事に慣れしめたる者と其〓老の日に至るまで子を疎外して容れざりし者と孰れか一家の爲に幸なるや能く舊物を維持保存して家名を墜ささる者は必ず父に愛せらて壯年の時より家政の習慣を成したる嗣子なる可し之に反して父の道を改るに三日を待たず相續と共に家法を顛覆して初世と二世と恰も別家の如き急變を呈して積水一决不幸の極度は家聲をも辱しめて近隣の嘲を取る者は必ず平生父の親愛を得ずして家の舊法に慣れざりし子ならん、一家の事實果して斯の如くならば一國の事實も亦斯の如くならざるを得ず千八百四五十年の頃英國にては「ダービー」、「ラツセル」、「パーマーストン」、の諸公政治社會の高位を占めたりしか「パーマーストン」公は後進の新政事家を疾視し之を汲引して共に事を與にすることを欲せず却て新政事家の肘を掣し其企望を妨けんとせり是に於て後進の政事家は手を拱て老政事家の擧動を傍觀し敢て之に容喙せざるが故に老は益老に、少は益少に、一大深溝を作りて政事家の老少を限りて互に相近くべからざるに至れり其後「パーマーストン」公以下の老政事家が俄然として死去したれば一時に諸公の幼孫の如き新政事家を出して議院に排列し政治社會に一点の老氣を留めずして根本の急變を生じたりと云ふ今日我邦の執政となり政治の全權を占むるものは〓〓の際に奔走したる人士にして知命前後の老政事家なり此等の老政事家は封建の治下に成長して其〓〓は〓〓したれとも維新の變後内外の風潮に化せられて所謂思想の變を生じ以て今日の政治社會に臨むものなり然るに〓〓〓〓政事家は維新の後に社會に出現し近時文明の〓〓を〓〓其腦裏に往來充塞するものは〓明日新の〓〓〓〓〓〓〓して我邦の政治社會は將に世代の變を生せしんとするの〓に當り今日當〓の老政事家は「ダービー」、「ラツセル」、「パーマーストン」、の諸公と其〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓ふべし是時に當り我が政事家は彼の「パーマーストン」〓の爲〓學び後進の政事家を容れずして共に政治社會の事を與にせざることあらば果して如何の〓〓〓すべき〓〓〓の政事家は其〓を著すの餘地なく〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓ず徒の〓〓の生ずるを〓じて老政事家の所爲〓〓〓〓彼れ我れを敵視すれば我れ〓〓〓して〓〓すべきとて〓〓の小事〓〓〓の原因となり〓に〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓ん而して今日の老政事家〓〓を以て共に〓〓〓〓〓〓〓〓〓を衣冠を脱するに至りて民間の〓政事家〓〓〓〓〓〓其虚〓充たし事物の〓〓より之を〓〓が〓政〓の〓〓〓行ひ老政事家の政略は之を一掃して〓〓〓〓〓〓〓〓〓あふ〓極〓より極端に〓り氷炭〓〓〓大〓〓〓〓〓〓〓國の長計を誤ることなき歟又其治安を害することなき歟我輩後日を想像して疑懼せざるを得ざるなり賈誼曰、大國之王、幼弱未壯、〓之所置傳相、方握其事、數年之後、大〓皆冠、血氣方剛、〓の傳相以病而罷、當是之〓〓〓安〓〓〓不〓、〓是れ賈誼が治安策中の一節にして七國の王は當時尚幼弱にて其傳相事を握ると雖とも數年の後には世代の變を生して漢より置く所の〓〓は〓〓し諸王自から政權を握るときは漢これを制する〓はざらんとの主〓なるべし今日の世局は漢の〓〓に異なり今日の新政事家は七國の諸王に同しからず今日當局の老政事家に至ては固より漢の置く所の傳相に比す可らずと雖とも新政事家の血氣方さに剛ならんとし老政事家は漸く將に勇退せんとするの一事に至ては聊か年を同うして論すべきものあらん我〓〓少の政事家互に相容れざること今日の如くにして〓て數年の後に至らば其主義相混和することなく一旦新陳交代するときは血氣方剛の新政事家俄然として政局に當り政治の社會に根本の急變を生すべし是時に當り一國の治安を害せざらんとするは名相「ピツト」〓と雖とも能はざるべし