「天下太平如何して得べきや 第五」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「天下太平如何して得べきや 第五」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

當局の政事家と民間の政事家と相容れざるは果して國家の長計に非ずとの理由明白ならば老政事家は一國の公のため大英斷を以て少政事家を政府に包羅し之をして其能を用るの餘地を得せしむるに若かず老政事家の英斷此に出つるときは政治社會に新陳の元素を加■(にすい+「咸」)するの大法に合するのみならず急激の政變を未萌に防くの得策にして其一身の私より論するも亦た機宜を失はざるものなり政治社會は譬へば森林の如し古木朽ちて新木生し隨て朽ち隨て生し常に鬱鬱蒼蒼たりと雖とも古木日光を遮り新木をして因て生長するの餘地なからしめば果して能く森林長茂の法を誤らざる歟政治社會の古木も亦た常に日光を遮らずして新木に與ふるに長茂の餘地を以てし新古共に鬱蒼の色を呈するこそ實に天下の美觀ならずや若し夫れ民間の少政事家に手足を伸ふるの地なくして其状殆んと牀下の筍に異ならざるときはこの筍は其凌霄の志氣を洩らす所なく或は牀を破て其頭角を露はすの日もあらん是れ經世家の深く恐るる所なり宋の蘇軾嘗て養士の法を論して曰く智勇辨力この四者は皆な天民の秀傑なるものなり類ね衣食を惡くして以て人を養ふ能はず皆な人を役して以て自ら養ふものなり故に先王天下の富貴を分けこの四者と之を共にすこの四者職を失はざれば則ち民靖し四者異なりと雖とも先王俗に因て法を設け一に出てしむ三代以下學に出て、戰國より秦に至るまて客に出て、漢以後郡縣吏に出て、魏晋以來九品中正に出て、隋唐より宋に至るまで科擧に出づと、今や世局自ら新に撃劍扛鼎勇力を以て政機に關するものあらずと雖とも民間の政事家と稱する者の中にも世事の薄氷を踏み人情波瀾の間に浮沈し智辯を以て天下の務に應せんとする者亦少なからずして所謂天民の秀傑なる者なきにあらず今この秀傑なるものに其頭角を出すの地を與へず職を失ふて天下の富貴に與かるを得ざらしむるは决して老成の策にあらず彼れ既に其職を失ふ是に於て政府を敵視し尺寸の猶豫を許さずして之れを攻撃し畢竟政府の運動を難澁ならしむるの結果を呈するのみ

官民對峙互に睨み合となり民間の志士は舌を以て攻撃を試み在朝の人士は其舌の自由なるを悦ばず内に熱く外に冷なる其最中に遙に東西諸國の形勢を見れば掛引きの活機日に敏に焦眉の急務眸前に蝟集して其何れより着手すべきや殆んど困却するの有樣なり從來我輩の輕蔑したる支那の如きも兵備の擴張を專らにして昨年今年樣樣軍艦を歐洲より購入し昨年以來朝鮮に對する政客の如き平常の緩慢にも似ず頗る活溌にして〓手の詐術を利用し申條の不立をも顧みずして朝鮮爲中國所〓之邦の論を主張し日本を睥睨して朝鮮を我物顏に處分するの状を見れば我輩は怒髮〓を衝くを覺へざるなり又太平洋を隔てたる米合衆國の報信に同國人民の活溌にして農工商の進歩駸駸底止する所なく殖産興業の企圖國内に充滿し企圖又他の企圖を培養して國家の富貴を増進し一千万圓前後の富豪も尚ほ指を屈すべく一百万圓以上の大盡の如きは殆んど斗を以て量る可し十年以前の米國を回顧すれば恍として別境かと疑ふの有樣なりと我輩之を聞て不平胸に塞からざるを得ず今掌大のこの日本にして此等の諸國と相對し國利を奪はれざらんとし、國〓を蔽はれざらんとし、諸國の運動と共に運動して我は一着を先んずるも彼れに一歩を後れじと互に相競進するは實に一大困難事なりこの困難の日に當て内に區區の小爭を〓き政府も内顧の患ありて一意外敵と競爭するを得ず好機の眼前を過ぐるあるも之に乘ずるの大膽なく蕭牆の混雜に妨げられて其運動活溌ならざれば世界文明の進歩は我れを俟たず遂に人後に瞠若として外國の鼻息を仰ぐに至らん今日は國内の小榮辱を爭ふの時にあらざるなり、局部の利害のために全面の利害を犧牲にするの時にあらざるなり、内國の改良も〓權のためなり其靜謐も國權のためなり榮譽財産及び生死も國權のためには之を顧みるに足らす兄弟〓於牆、外防其侮とは正に今日の急務にして日本人民は日本全國を以て日本以外の敵と爭ふの覺悟なかるべからざるなり夫れ虎狼後に立つときは猫犬の前に横はるを問はず今日は國外の虎狼眈眈として隙を伺ふの秋なれば復た國内の猫犬を顧みるに遑ある可らず目下の急務は人爵の授與を學者農工商に及ほして政治の熱心〓殖産興業發明工夫の〓に移し一方には政事家の數を■(にすい+「咸」)じて其軋轢を防ぎ〓方には富貴の増進を促して〓益を謀り、老少の政事家を調和して〓治〓會に新陳の元素を混和し老少交迭の際に詭激〓政變を生せしめざるにあり今日に當て内國の治安を保ち政府に内顧の患を絶たしめ之をして海外の大敵と爭はしめずんば文明の活劇塲に先鞭〓着けしむることを得ざるべし頼山陽嘗て蘇東坡を評して曰く東坡胸中常に天下の二字ありと、齷齪たり世上小膽の人、區區の得失を齒牙に掛けて大事の前の小事を忘るるを知らず、日本國民たらんものは胸に天下の二字を銘し日本全國の利害を標凖とし其利害のために運動せんこと我輩の希望して已まさる所なり                    (畢)