「全國一般の不景氣商况の變機如何(前號の續)」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「全國一般の不景氣商况の變機如何(前號の續)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

商况の一盛一衰は譬へば寒暑の來徃の如く徃くあれば來るあり决して永日のものに非ず然かも其盛なるや必す實に過き其衰るも亦實に過き兩樣共に人情を狼狽せしむるものなれば我輩の所見にては今日の不景氣を以て我商賣の本色なりと認るを得ず其次第を左に述へて更に讀者の高評を乞はんとす

第一 方今商賣社會に於て口を開けば則ち金融閉塞と云ふ抑も閉塞とは流行融通の反對にして金錢を貸借すること少なきの義ならんと雖とも日本國中に通貨の■(にすい+「咸」)少したるに非ず之を所有する者世に多しと雖とも唯今日の商况に於て人に金を貸せは危し、品物を買へば下落の恐あるが故に之を貸さず、之を買はざるのみ、然りと雖とも此有樣は固より金主の得意に非ず其所有の通貨を商賣市上に持出して利用するときは年中幾回の運轉を以て利を獲ること明白なる事なるに之を庫中に納めて幾百万圓を積むは即ち幾百万片の反故を秘藏するに異ならず之を金主の本意なりと云ふ可らざるなり金融閉塞して資本を借用するの道なしとて窮を訴る者あれとも是れは無資本無信用家のことにして我輩の所見にては今日世間の金滿家は金融閉塞して資本を貸すに道なしとて難澁を訴ることならんと信ず近來公債証書の騰貴するを見ても其一端を測り知る可し一年一割の利息にも當ざる公債証書を所有して安閑たるが如きは商人の决して爲ささる所にして活溌なる商賣社會にては或は之を不外聞とも云ふ可き程の擧動なれとも忍て之を買ふは何そや資金の閑却するに苦しみ止むを得ざるに出たるの窮策なりと云はさるを得ず在昔大坂の豪商等は金銀倉庫に充滿して一家これが爲に相吊すと云ふ奇話あり盖し彼等は大名を相手にして金を貸し唯其貸金の多からんことを希望する者なれとも不幸にして大名の財政よく整理し年年負債を拂ふて更に借用せざるときは金主は金を握て却て難澁するとの意味を面白く述へたるものならん今日の事情も亦これに似たり世間自家の資金の運動せずして難澁すること昔の大坂の富豪に類する者あらん或は之を評して富豪の困窮と云ふも可なり

第二 一年有半既に商賣の不景氣を致して賣買の高は以前に比して半にも至らず三分一もなしと云ふ果して事實ならんと雖とも凡そ人文の開けたる國に住居し物を買はずして生活す可きものに非ず仮令ひ二三年前は醉狂に乗して不用の物奢侈の品を買たること多しと雖とも其不用奢侈を除て要用の部分は缺く可らず仮に二三年前に一箇月の買物を十と算し近日の買物を五と定めて其差の五分は二三年前に悉皆不用の品にして然かも消費者の實力に於て素より買ふ可らざるを無理に買ふたる所のものなりしや甚た疑ふ可し或は其五分の内にも多少の要用品を存し、之を買ふて至當なりしものあらん然るに今日世の商賣は不景氣にして賣買の高以前の半に及はすと云ふ然は則ち今日民間の消費者は生活に缺く可らざるの需要品をも忍て之を買はざるものと云はさるを得す仮令ひ消費者は節儉の中、尚多少に之を買ふも中間の商人等が用心して新に品物を仕入れず唯所持品のあらん限りを賣盡すの覺悟を以て後を顧ざるが故に斯くも賣買の閉塞したることならんのみ然りと雖とも人間需要の品は之を用いて毀損せざるものなし消費者が何程に節儉を旨とするも二三年前に買ふたる綿縮緬の小袖は漸く敝れて着る可からず、金巾の襦袢は早く既に雜巾と爲りしことならん、家の普請も固より見合せたれども柱の腐れて壁の落ちたるには辛抱す可らず、是れも不自由なり其れも差支なりとて一切の要用皆器械的の急に迫られて新に求る所なきを得ず即ち買物の始まりなり世間漸く需用品を買ふの端緒を開き其初に在ては物價尚廉なりと雖とも漸く〓めて〓〓進むに從ひ忽ち商人の手に仕入れの少なきを覺へて物價騰貴の色を顯はすときは天下の人心皆な買方に向ひ今に當て早く買ざれば復た諸色高直の世に爲らんとて先を爭ふて錢を抛〓、商人は今に當て早く仕入れざれば機を失はんとて大に〓〓し、工塲俄に開て職工復た忙はしく、製作して賣れざるものなし、賣て利あらざるものなし、負債必ず拂ひ約束必ず履行し、借りて又返し、返して又借る、資本家の金庫始めて開て出入自由なるに至る可し之を商况不景氣の回復と云ふ

右の次第にて今日の實際を尋ぬれは資本家は金を所有して其の方法に困却し天下無數の消費者は漸く其需要品を毀損して漸く新調の急に迫らる、賣買の機會内に潛伏して体を具ふれとも尚未た發表せざるのみ故に前節にも云へる如く今の商况不景氣なりと云ふも决して永日に持續す可き者に非ず一進一退早晩回復の期ある可きは誠に理の睹易きものにして彼の年の豊凶を卜するが如き漠然たることに非ずと雖とも今の不景氣は果して其極度に達したるもの歟、今後尚増進す可きもの歟、極度に達したりとすれば其回復の期は今日に在る歟、尚増進するものとすれば何れの點に至て何れの日に回復の端緒を開く歟、或は其回復の勢は緩慢なる可き歟、急劇なる可き歟云云の問題に至ては我輩固より之を明言するを得ず商賣社會誰れか能く此問題を解く可きや之を解く者は商戰の知略に逞しき名將軍と云ふ可きなり

終に又一言す可きものあり我輩は前前號の社説に本年生糸の商况を臆測して其輸出の時節に至て或は無状なる可しとの次第を述へたれとも商賣社會の全局て一變して活溌の機に復し正に生糸輸出の時に伴ふことを得ば生糸の商賣も他と共に活溌にして苦慮するに足らざる可し即ち生糸に就き臆測の鄙言は中らざるものにして其中らざるは赤面の次第なれとも我商况の爲には祝す可し我輩は只管自から赤面するの好時節あらんことを祈る者なり  (畢)